改 第1話 研究室でスライムが喋り出した
大阪の道路から、巨大な“柱”が突き出た。
ニュースはそれを「原因不明の現象」と呼んでいる。
……そして、それが起きた理由を、僕は知っている。
深夜の研究室で、僕は小さくガッツポーズをした。
ビーカーの中で、透明なゲルがゆっくり揺れる。
関西先端科学大学大学院、高分子生命研究室。
時刻は午前二時過ぎ。普通の学生ならとっくに寝ている時間だ。
だが僕――白石湊は違う。
今日、今まさに研究成果が実ろうとしている。寝てなんかいられない!
「自己増殖型ゲル……成功か?」
一瞬、光が揺れた気がした。
……反射か?
ピンセットで軽くつつく。
ぷるん。
……うん? もう一度つつく。
ぷるるん。
「ん?」
ピンセットで突いた以上の震えが返ってくる。自発的に動いた?
眉をひそめ、ビーカーを持ち上げた。
その瞬間――
『……聞こえるか』
パチッ。頭の奥に電気が走った。
思考に、誰かの声が割り込んだ。
「っ!?」
思わず頭を押さえる。
ここは深夜の学校だ。得体の知れないナニカの声に、僕は恐怖で固まった。
心臓はこれまでにないほどバクバクと音を立て、手には大量の汗がにじむ。
「……え? なに? 誰?」
視線を落とす。
ビーカーの中で、透明なゲルがゆらゆら揺れている。
ぷるん。
……やっぱり動いている。
次の瞬間。
ぐにゃり、と形が崩れた。
持ち上がる。
液体のはずのそれが、意思を持ったみたいに。
「うわ……!」
ビーカーの縁を越えかけた、そのとき――
『我は大魔導士、グレイアルト・シルヴェリス・アルヴァリオン――』
(喋ってるよ……しかもスライムが……)
驚きすぎると、人間は声が出なくなるのだと今思い知った。
なんとか、無理やり声を絞り出す。
「え……っと。グレイ、だね」
ぴたり、と止まる。
さっきまでの揺れが嘘みたいに消えた。
『……略しすぎではあるまいか?いや、もう良い。ここに来て我は魔力がほとんど残っておらん。何か食べ物はないか?』
スライムが縁を越える。
とろりと外へこぼれ落ちた。
一瞬、淡い光。
身体の一部が伸びる。
その先に、赤いダイヤのような石が現れた。
『無くしたかと思ったが……無事で良かった』
ほっとしたような声。
石は、そのまま身体の中へ沈む。
うっすらと、内側で光が残った。
――いや待て。
今、どこから出した?
「それに……食べ物って……」
備品棚をガラリと開ける。
並んでいるのは試薬ばかりだ。
塩酸、水酸化ナトリウム、クエン酸、グルコース……。
(……強酸やアルカリは論外だな)
視線を走らせる。
(糖分も、いきなり入れていいのか分からない)
僕は頭の中で、高校生物と大学の有機化学の知識を必死に総動員した。
相手は魔導士を自称しているが、目の前にあるのはどう見ても未知の生物だ。
「……とりあえず、浸透圧への影響が一番少なそうなこれにするか」
考え抜いた末、僕が手に取ったのは塩(塩化ナトリウム)だった。
これなら死ぬことはないだろう――そう判断したのだ。
僕は薬さじでひとつまみ、
「ほら。とりあえずこれ」
次の瞬間。
『ぐああああああ!!!』
「うわっ!?」
スライムが暴れ、光が弾けた。
内側から、先程のダイヤ型の石が現れた。
ひびが走る。
嫌な予感がした。
――パキ。
一瞬の静寂。
パリーン――砕けた。
『何をする貴様!!』
「え!? 塩ダメなのか!?」
『我を殺す気か!! 貴様のせいで大事な石が割れてしまったではないか!』
「知らねぇよスライムの弱点とか!」
……あの石、なんだよ。
慌てて棚を漁る。
目についたのは、砂糖。
「……これならどうだ」
ほんの少し、落とす。
スライムの動きが止まった。
ぷるん。
『……うまい。もっとないのか』
吸い込まれるように消えていく。
気づけば、一瓶空だ。
「燃費悪すぎだろ」
冷蔵庫を開ける。
差し入れのプリンを見つけた。
スプーンでひとすくい、落とす。
その瞬間――
ぷるん、と大きく震えた。
『……うまい!! これはなんなのだ!!』
「プリンだよ。……気に入ったか」
『……ふぅ。この世界の糖分は、魔力の代わりになるようだ』
「糖分=魔力? それに……この世界だと?」
グレイが得意げに揺れる。
『うむ。我は元は人間の大魔導士だ。此処とは異なる世界から来た。だが転移の事故で魔力をほぼ失い、今はこの姿だ。魔力が戻れば人の姿にも戻れる。ただし今は無理だがな』
「どれくらい必要なんだよ」
『さあな。子供程度の姿なら、もう少しで成れるかもしれぬが』
「へぇ」
スライムが子供になる未来。……想像したくない。
頭が重い。
「……もう、いいや」
視界が暗くなる。
◇◇◇
朝。
研究室のドアが勢いよく開いた。
「おはようございまーす!」
青葉ひまりだ。
反射的に起き上がり、グレイを隠す。
ぷるん。
「じっとしてろ!」
「先輩また研究室で寝てたんですか? 朝からこの辺のニュースで持ちきりですよー」
ひまりがテレビの電源を入れる。
映し出されたのは――大阪市北区。
道路の中央から、巨大な柱が突き出ている。
「今朝早く、大阪市北区で、道路から巨大な柱のような構造物が出現しました」
「高さはおよそ三十メートル。現時点で原因は不明です」
通行人の声が流れる。
「昨日までこんなの無かったんです」
「突然道路が割れて柱が出てきて……怖かったです」
「おお、すぐそこだ。全然気付かなかったなー」
『……おい、何でそんなに呑気なんだ? あれ転移柱だぞ』
「ん?」
意味が分からない。
『割れた石の信号が伝わってしまった』
「……え? どういうことだ」
『我の師匠が設置したものだ。魔物が増えすぎた世界から、別の世界へ流すための柱』
頭の中で言葉が引っかかる。
魔物。別の世界。
そんなもの、あるわけが――
しかしグレイは話を続ける。
『つまり――』
言葉が、そこで切れる。
『ここから魔物が出てくるが、大丈夫か?』
喉が渇く。
さっき塩を落とした手が、やけに重い。
テレビの柱から、目が離せない。
……あの石は、僕が割った。
塩を入れて。
そのせいで、あれが出てきた。
ってことは。
……これ。
もしかして――
僕が大阪を壊したも同然じゃないか。
そんな事――
口が裂けても言えない。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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