灰の中の希望
焚き火の夜から数日。
屋敷の空気は少しずつ穏やかさを取り戻していた。
子供たちの生活リズムも安定し、笑顔の数も増えてきた。
セリアとライグの関係も、以前のようなぎこちなさがなくなっていた。
まるで、本当に家族になったような――そんな錯覚すら、覚えるほどに。
だが、それは長くは続かなかった。
* * *
ある朝、屋敷の執事がセリアのもとに駆け込んできた。
「お嬢様、至急です。ラシェル公爵家の代理人が、正式な通達を――」
「……父から?」
「いえ。公爵閣下ではありません。“リヴォルト侯”からです」
セリアの手が止まる。
リヴォルト侯――
それは彼女の父が長年対立してきた政敵であり、婚姻制度“星結び”においても、保守的な血統維持派の急先鋒だった。
「内容は……?」
「お嬢様が当主不在のまま、元没落貴族の子供を“非公式に”保護している件について、“星結びの法に反する疑いがある”と――国家監査院への告発を準備しているそうです」
セリアは目を閉じた。
これは――“牽制”ではない。“潰し”だ。
星結びの制度は、形式を破れば罪に問われる。
ましてや、破談になった相手と“関係を再構築している”となれば、それは制度への侮辱と見なされる。
「……彼らは、私ではなく、“星結び制度”そのものを守りたいのね」
彼女は静かに言った。
そしてすぐに立ち上がった。
「ライグを呼んで。話があるわ」
* * *
「告発……?」
呼び出されたライグは、顔をしかめた。
「ふざけんな。俺たちが何をしたっていうんだ。子供たちを守っただけだろ」
「そう。でも“誰が決めた相手と組むか”――それが問題なのよ」
「……俺が、“お前の相手にふさわしくない”ってことか」
セリアはかぶりを振った。
「そうじゃないわ。逆よ。今のあなたは……十分すぎるほど、ふさわしい。だからこそ、彼らは怖いのよ。制度じゃなく、意思で選ばれることが」
ライグは何も言わなかった。
セリアの言葉の中に、かすかな決意の色がにじんでいることに気づいていた。
「ねえ、ライグ」
彼女は正面から彼を見つめた。
「このまま私といると、あなたはまた“制度に背いた男”として記録される。子供たちも、“不適切な環境で育った”と判断される可能性がある」
「だから、何だよ」
「……一度だけ、離れて。子供たちは私がなんとかする。あなたは、あなたの名誉を守って。再出発するの」
ライグは、目を伏せた。
長い沈黙のあと、ぼそりとつぶやく。
「……俺の名誉より、大事なもんがあるって、やっと気づいたんだよ」
「でも、それを守るには……」
「それでも、もう誰かに“決められる”のは嫌なんだよ」
ライグが顔を上げた。
その目は真っすぐで、かつての頼りなさはもうなかった。
「俺はここにいる。子供たちと、お前のそばに。誰に何を言われても、自分で決めたことだ。……それだけで十分だろ」
セリアの目が揺れる。
けれど彼女は、静かに、わずかに首を振った。
「それじゃ足りないのよ、ライグ。想いだけじゃ、制度は壊せない」
「……じゃあ、どうすりゃいい」
「証明するの。私たちが“制度に従っても選べる”と。だから私は、父のもとに戻るわ。正式な許しを得て、“再度あなたと星を結ぶ”。手順も、記録も、全部正しい形で」
ライグが息を呑む。
「……また、星結びを?」
「ええ。でも今度は、“誰かに決められる”のではなく、自分の意思で」
それは――制度の皮肉を、逆手に取る決断だった。
“星結び”の形式を踏襲しながら、心は自由に。
かつて“逃げた許婚”だったふたりが、“選び直す”という意思を記録に刻む。
それが、セリアの出した答えだった。
「……分かった」
ライグは、静かに頷いた。
「じゃあ俺も、胸を張って選ばれるように、もう一歩前に進むよ。ここで、やるべきことを全部やってから――」
彼は拳を握った。
「もう一度、お前を迎えに行く」
セリアは微笑んだ。
「ええ。待ってるわ、“もう一度、出会うために”」
ふたりは短く手を取り合った。
まだ夜は明けていない。だが、灰の中には――確かに、小さな火が宿っていた。
それは、いつか燃え上がる希望の火。
決して、誰にも踏みにじらせはしない。