約束の焚き火
監査官が去ってから二日後の夜。
屋敷の裏庭では、小さな焚き火が揺れていた。
子供たちの声があがり、火のそばには煮込み鍋と、焼き芋の香ばしい匂いが漂っている。
「これ、ほんとに食べていいの!?」
「うまい!これ、街で売ってるやつより全然うまい!」
ライグがじゃがいもと塩を混ぜて作った、簡単な芋団子が子供たちの手で次々になくなっていく。
「食べるのはいいけど、お行儀よく。手を洗ったの?」
「はーい……」
セリアの優しい叱責に、子供たちが照れ笑いしながら頷く。
それは、奇跡のような風景だった。
* * *
焚き火の光の向こうで、セリアは静かに薪を足していた。
ドレスではなく、簡素なエプロン姿。
ふと見ると、頬に少しだけ灰がついている。
「……なんだか、お前らしくないな」
ライグが笑って言うと、セリアは眉をひそめた。
「そう?私は昔からこういうの、わりと好きだったわよ。焚き火も、子供も」
「いや、ほら。あんまりそういう顔、人前でしなかったから」
セリアは少し黙って、火を見つめる。
「見せられなかったのよ。そういうの、期待されてなかったし」
「貴族のお嬢様ってやつか」
「ええ。誰かに愛されることより、“選ばれること”が最優先だった。だから……人に甘えるのも、頼るのも苦手だったのよ」
「……ああ。分かるよ、少しだけ」
ライグは、そっと火かき棒で薪を動かした。
火花がはじけ、オレンジ色の光がふたりの顔を照らす。
「子供のころから、“無能な当主の跡継ぎ”って言われてた。どこに行っても、人の下。いつも“お前には無理だ”って目で見られてた」
セリアが静かに言う。
「でも……今は違う」
「ん?」
「あなたはちゃんと、子供たちを見て、世話をして、怒って、笑って……“無理だ”って言われたその手で、ちゃんと守ってる」
ライグの顔に、照れくさいような笑いが浮かぶ。
「お前こそ、貴族のお嬢様だったくせに、今じゃ泥だらけの子供の世話焼き。星結びの女神が見たら腰抜かすんじゃねぇか?」
セリアも笑った。
その笑い声を、子供たちが遠くで聞き、なんとなく安心したようにこっちを見ていた。
「ライグ」
セリアが不意に言った。
「もし、もしもよ。全部終わって……この屋敷のことも、子供たちのことも落ち着いて……そのときに、私が“星結びじゃなく、自分であなたを選びたい”って言ったら……」
そこまで言って、セリアは言葉を止めた。
ライグが目を細める。
「……言ってくれるなら、ちゃんと聞くよ。そのときは、“俺もお前を選ぶかどうか”、ちゃんと自分で考えて答える」
その言葉に、セリアは微笑んだ。
「ずいぶん上からね」
「当たり前だろ。今度こそ“自分で選ぶ”って決めたからな。ちゃんと対等でいたいんだよ、俺は」
そう言って、ライグは火のそばにしゃがみ込み、最後の薪をくべた。
炎がふっと舞い上がり、ふたりの影が地面に長く伸びる。
その夜、約束の言葉は交わされなかった。
けれど――焚き火の灯りの中で、ふたりの間には
“誰にも決められない、ふたりだけの未来”が
そっと芽吹いていた。