名もなき子供たち
エルファーン家没落の報せから、季節がひとつ巡ったころ。
秋の終わり。ヴァルドール邸の庭には赤く染まった楓の葉が舞い落ち、冬の訪れを静かに告げていた。
セリアはその日、図書室で手紙を読んでいた。差出人は不明。紙も封蝋も粗末で、誰かのいたずらか、庶民の嘆願書かと最初は思った。
けれど、封を開けた瞬間――彼女の心臓は、わずかに脈を早めた。
「セリア様へ。
お兄ちゃんがいなくなってから、みんな、どこに行けばいいのかわかりません。
わたしたちを、助けてください。
お兄ちゃんは、セリア様はやさしい人だって、いつも言ってました。
だから、信じて書いてます。
――ミナ・エルファーン」
筆跡はまだたどたどしく、インクのしみもある。おそらくは子供の手で書かれた手紙。読み進めるうち、セリアの指先がかすかに震えた。
ミナ。確か、ライグに妹がいるとは聞いていた。三人いると記憶している。だが、面識はない。子供の自筆でこれほど必死な手紙を書くには、よほどのことがあったに違いない。
「……どうして、私に?」
セリアはつぶやいた。
彼女は今や、ライグとは何の関係もない。婚約も解消された。手を差し伸べる義理も、責任も、何ひとつない。
それでも、彼女の胸に残る言葉があった。
「セリア様はやさしい人だって、
お兄ちゃんが言ってました」
あの無愛想な男が、そんなことを?
嘘くさい。だが、あの目を思い出す。じっと何かをこらえるように、誰よりも黙って痛みを抱えていた――そんな目を。
「……執事を呼んで」
彼女は立ち上がり、背筋を伸ばした。
「エルファーン家の子供たちの居所を、調べさせて。できるだけ早く」
* * *
数日後、ヴァルドール邸の裏手にある小さな離れに、三人の少女たちが連れてこられた。
彼女たちは痩せていて、汚れた衣服を身にまとい、緊張した目でセリアを見上げていた。
一番年上と思しき少女が、恐る恐る口を開いた。
「……わたしがミナです。手紙、読んでくれましたか?」
セリアは静かにうなずいた。手紙の文字と同じ、震えるような声。だがその中に、必死に強さを保とうとする意志がある。
「読んだわ。ずいぶんとがんばって書いてくれたのね」
「……はい」
ミナの後ろに、さらに幼い二人の少女が身を寄せ合っている。妹たちだろう。末っ子の子は、まだ五歳にも満たないように見えた。顔色が悪く、目の下にうっすらとクマがある。明らかに、まともな生活ができていない。
「今はどこにいたの?」
「……教会に。でも、人が多くて……おなかも、すいてて……それに、迷惑って言われて」
セリアは唇を噛んだ。帝都の教会や孤児院が手いっぱいなのは知っていた。だが、その狭間に落ちていく命があることも、また事実だった。
それでも。
「……私ができるのは、一時的に保護することだけよ」
セリアは静かに言った。
「私はあなたたちの家族じゃない。長くは置いてあげられないわ。ごめんなさい」
それは、貴族としての正しさだった。責任を持てない命を軽々に預かることは、愚かで、そして――時に残酷だ。
それでも、ミナは頭を下げた。
「一時でも……助けてくれて、ありがとう。セリア様」
その声に、セリアは胸が詰まるのを感じた。
私は、何をしているのだろう。
助けたい。でも、助けきれない。
それをわかっていて、なお、手を伸ばしてしまった。
優しさとは、時に無責任だ。
そのことを、誰よりもセリア自身が知っている。
それでも、少女たちを見捨てることは――どうしても、できなかった。
* * *
その夜、セリアは窓辺に立ち、星を見上げた。
煌々と輝く夜空の中、かつて自分とライグを結びつけたとされる「結び星」は、今も同じ場所にある。
「……馬鹿らしい。運命なんて、ただの偶然」
そうつぶやいて、窓を閉めようとした。
けれど――そのとき。
「久しぶりだな、セリア」
背後から、低くて懐かしい声がした。
驚いて振り返ると、そこには――
痩せこけて、古びた外套を身にまとった男が立っていた。
ライグ・エルファーン。
没落したはずの男が、かつての婚約者が、そこに立っていた。