入札書
いよいよ入札書の開札日、一月十日がやってきた。
私とロメオ、オクタヴィアは緊張した面持ちでマリアンナの事務所を訪れた。
マリアンナはいつになくハイテンションで、ナーバスな感じがした。
ミーティングルームに通され、各自が席に着くと、マリアンナは開口一番こう言った。
「この指名競争入札では、残念ながら不正が行われたようです」
「どう言う事ですか?」
ロメオがさも驚いたような顔をして聞き返した。
「私は競争入札の参加者の中に不正を働いた者がいると小耳に挟みました。
それは――トーニ建設会社です」
この言葉で私の最後の希望は無残に打ち砕かれた。
やはりマリアンナもグルだったのだ。
私の心境など知らないマリアンナは得意そうに続けた。
「彼は、落札するために極端に低い見積書を提出した可能性があります」
「入札書はまだ開封されていないのに、何故そんなことが分かるんですか?」
ロメオが間髪いれずに突っ込むと、マリアンナは一瞬言葉に詰まった。
「それは――前にもそう言う事があったと、知り合いに聞いたからです。
ですから、今回も落札するために同じ手を使ったのではないかと」
「その知り合いは誰ですか?」
「エレベータの卸売業者です。彼は以前、市の事業でトーニ建設会社と一緒に仕事をした事があると言っていました。トーニ建設会社は財政難に陥り、工事を途中で放棄してしまったそうです。ですから、幾ら見積もりが安いからと言ってトーニ建設会社のような小さな会社に工事を依頼したら、後でとんでもない事になります」
マリアンナはいつになく激しい口調で捲くし立てるように言った。
私の中で失望が怒りに変わり、それはやがて冷静な嫌悪となった。
マリアンナが喋れば喋るほど、彼女がクロであると言う事実は確固たるものになっていった。私はいつか無言のまま、冷ややかな目でマリアンナを凝視していた。
「それで、肝心な入札書は、開封せずに保管してあるんですよね」
ロメオが念を押すように尋ねた。
「勿論です。提出されたままの状態で保管してあります。
今、持ってきますね」
マリアンナが出て行くと私達は顔を見合わせた。マリアンナが陰謀に加担している事はもはや疑う余地がなかった。
マリアンナが分厚い封筒を幾つも抱えて戻ってきた。
「これで、全部です。時期がクリスマス前だったこともあって残念ながら提出期限に間に合わず辞退した会社が幾つかありました」
マリアンナは涼しい顔をして言ってのけた。
私はすぐにトーニ建設会社の封筒に注目した。
蓋に沿って封蝋の中央を走る亀裂が生々しく私の瞼に焼きついた。封筒が一度開封されたのは、誰の目にも明らかだった。
「入札書はこれだけですか?
それでは僕達はこれから家に帰ってこれを開封します。請負業者が決まったら連絡します」
ロメオはそう言うと机の上に積み上げられた封筒を紙袋に詰め込んだ。
当然、この場で開封すると思っていたマリアンナは予想外の展開に面食らったようだった。
私達は豆鉄砲を食らった鳩の様な顔をしているマリアンナを尻目に慌しく事務所を出た。
バルベリア通りの家に戻った私達はこの問題をどうするか話し合った。
「カロリーナ・オルランディとの示談もまだ終わっていないのに、こんな事が起こるなんて――」
オクタヴィアはしばらくの間、中世時代の悲劇のヒロインのように打ちひしがれていたが、やがて悲しみは激しい怒りに変わった。
私は一刻も早く、チェザリーニ/小グリエルモを首にするべきだと主張した。私達はディ・マウロ弁護士に相談し、チェザリーニと小グリエルモに契約解除の通知を送った。
本性を表したチェザリーニ/小グリエルモはオクタヴィアが署名した契約書を盾に法外な違約金を請求してきた。オクタヴィアが署名した契約書にはガリエラ通り、バルベリア通りの設計及び建設工事指揮まで彼等に依頼するとあり、本文中に違約金に関する記述は一切ないものの、建築家協会の定める規則によれば、契約が途中で解除された場合、建築家は違約金を請求することが出来るのだそうだ。
契約書を見たファルネーゼとジョルジョーネはこんな不透明な契約書は初めて見たと口を揃えた。
「これは詐欺よ!」
私は憤った。
「何て奴らだ。最初から僕を騙すつもりだったんだ。まさか、本当に違約金を払わなくちゃいけないかな?」
ロメオはいささか弱気になっていた。
「馬鹿な事言わないで!そんな訳ないでしょう?
不正を働いたのは彼等の方なのよ。契約を解除されたって文句は言えないはずよ」
私はきっぱり言い切った。
「ああ――わたしがいけないんだわ――わたしが軽はずみに署名したりするから――ああ、『米の水路』であれ程煮え湯を飲まされたのに、またわたしの署名が原因でこんなトラブルに巻き込まれるなんて――」
オクタヴィアは署名の呪縛から逃れられない運命にあるようだ。
またもや自らの署名が巻き起こした禍を呪った。
私の頭にある考えが浮かんだ。
「パドヴァに行きましょう」
「パドヴァ?そうか、あの卸売業者に会い行くんだね?」
ロメオは納得した。
「そうよ。あのフォン・ブルナーとか言う卸売業者は小グリエルモにトーニ建設会社を中傷する文書を送って欲しいとメールで頼まれたんだったわね?
そのメールを手に入れるのよ。彼等の不正を証明する何よりの証拠になるはずよ」
「彼等の不正を証明出来れば違約金を払わずに契約を解除出来るわけだね?」
「そう。メールを手に入れて――それを建築家協会に提出したらどうなるかしら?
彼等の不正はボローニャ中に知れ渡って大変なスキャンダルになるはずよ。
グリエルモ建築事務所ってボローニャでも有名な建築事務所でしょう?
スキャンダルにされたら事務所の信頼が地に落ちる。
きっと違約金の請求を取り下げてくると思う」




