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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第3章 陰謀
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談合

数週間後、ディ・マウロ弁護士からメンギーニ達がこちらの要求通り彼等の二十万ユーロのうち、十五万ユーロを負担することに同意したと言う連絡が入った。

強欲な彼等がこうも簡単に、こちらの条件を呑んだのは、よほど切羽詰っているのだろう。

彼等としては、一刻も早く、この一件を片付け、ゴベッティ通りの土地を売ってしまいたいに違いない。


ガリエラ通りの入札書提出期限は十二月二十二日に決まった。

オクタヴィアは十二月に入るとすぐにサンレモに行ってしまったので、開札は年明け早々にマリアンナの事務所で行うことになった。


私とロメオはクリスマスとお正月を日本で過ごした。せめてクリスマス休暇くらいボローニャやカロリーナ・オルランディの事を忘れてゆっくり過したかった。

カウントダウン、シャンパン、そして洪水のような花火というイタリアの騒がしい新年にいささか辟易していた私にとって、年越し蕎麦を啜りながら家族と迎える日本の新年は新鮮で懐かしかった。


一月三日にイタリアに戻ってくると、新年の宴の余韻に浸る間もなく、新たな試練が私達に襲いかかった。

その発起人となったのはファルネーゼが紹介してくれた建設会社の一つ、トーニ建設会社の社長、ルドヴィコ・トーニである。


トーニは入札書の開札前に是非、話しておきたい事があると新年早々、ロメオに電話をかけてきた。

バルベリア通りのアパートメントまで私達を迎えに来たルドヴィコ・トーニは長身に黒のロングコートを粋に着込んだ伊達男風の五十代の男性で――ファブリーニやグイドのような日に焼けた熊のような職人風の男を想像していた私は見事に期待を裏切られた――息子でエンジニアの卵と言う二十ぐらいの青年を連れていた。


トーニはたいそう饒舌で、息子に経験を積ませるために是非、この工事を請け負いたいと思っていること、そのために、会社の利益をぎりぎりまで削った破格の見積額を提出した事を説明し、彼の会社の仕事ぶりを見せるために、彼が現在請け負っている工事現場に私達を案内した。

トーニはその後、私達を昼食に誘ったが、息を吸う間もなく喋り続けるトーニに少々辟易していた私は、翻訳の仕事が残っている事を理由に先に家に戻った。


ロメオがようやく帰宅したのは六時過ぎのことだった。

ああ昼食などに行かなかったのは大正解だったと、私は密かに胸をなでおろしたが、ふとロメオがただならぬ表情をしている事に気が付いた。


「何かあったの?」

私はびっくりして尋ねた。

ロメオは殺人現場でも見てきたような顔をしていた。

「大変な事が判ったんだよ」

「大変な事?」

「この競争入札の裏でとんでもない陰謀が仕組まれていたんだ」

「陰謀?」

私は訳が判らなかった。

「そうだよ。僕もまだ信じられないけど――小グリエルモが推薦した建設会社に落札させるために、マリアンナと建築家と入札に参加した建設会社がグルになって、入札額を操作してるって――」

私は自分の耳を疑った。

「何言ってるのよ。マリアンナが――マリアンナがグルだなんて、そんな馬鹿な事があるわけないじゃない?

トーニさんはきっと勘違いしてるのよ」


私は笑った。こんな降って沸いたような話を信じられるわけがなかった。

しかし、ロメオは真剣だった。この日の午後、ロメオを自宅に招いたトーニは驚くべきことを言い出した。

トーニは入札書提出期限日の十二月二十二日に入札書を入れた封筒を密封してマリアンナの事務所に届けた。

ところがその翌日、彼の息子がエレベータの卸売業者にガリエラ通りの建物に取り付けるエレベータの仕様について詳しく聞くために電話したところ、この卸売業者は「あんたの会社が出した見積額は他の参加会社より百万ユーロも低いようだけど、本当に大丈夫なのかい?」とうっかり口を滑らしたのだ。

息子から話を聞いたトーニがすぐにこの卸売業者に電話をかけ直して詰問したところ、卸売業者はトーニが入札書に記した見積もり額を正確に知っていると白状した。

トーニは彼の話が事実であることを示す為に、ロメオの目の前でこの卸売業者にオンフックモードで電話をかけた。そして卸売業者はよもや発注者のロメオが聞いているとは知らずに、驚くべき事を喋り出したのだ。


ロメオはトーニが録音した卸売業者との会話を私に聞かせた。

会話を要約するとだいたい次の様な内容である――入札書提出期限日の翌日、一月二十三日に入札書は密かに開封され、その内容はトーニ以外の参加業者とグリエルモ建築家に知らされた。

トーニ建設会社以外の参加業者は裏で談合行為を行っており、小グリエルモが推薦する建設会社に落札させるために示し合わせて見積もり書を作成した。見積もり額は大幅に水増しされており、その差額はチェザリーニ/小グリエルモ、そして他の参加業者の間で山分けする予定だった。

だから入札書を盗み見た彼等はトーニ建設会社の見積額が予想外に低い事を知って焦った。このままでは、トーニ建設会社が落札してしまう。

そして卸売業者のところに一通のメールが届いた。

トーニ建設会社が信用できない悪徳会社だと言う内容の文面に署名して欲しいと依頼するメールだった。揉め事に巻き込まれる事を嫌がった卸売業者は、署名を拒否した。卸売業者はメールの差出人が誰か、なかなか口を割らなかったが、トーニが執拗に問いただすと、ついにグリエルモ建築事務所だと白状した――


あまりにも衝撃的な内容に私は体中から血の気が引いていくのを感じた。

様々な想念が頭の中で入り乱れ、混乱した。


談合――この言葉は、日本のニュースで何度か耳にしたことがある。

何処何処のダムの建設を巡って、結構有名な企業が談合を行ったとか、公開入札で何処何処が談合行為を行ったと新聞やニュースで騒がれ、問題の企業のお偉いさんが報道陣の前で頭を下げる姿がニュースの映像で流れるのを見たことがある。

何億円という金額が取り沙汰され、ああ、お金のあるところにはあるんだなあ――と他人事のように聞き流していたものだ。


でも、それは、新聞やニュースでしか目にしない、私のような一般人には縁のない遠い世界の出来事だと思っていた。

まさか、その談合が、自分のこんなに身近で、いや、まさに自分達に対して行われる日が来ようとは、どうして想像出来ただろう。


確かに競争入札前のマリアンナの行動には不審な点が多かった。

しかし、私達の知らないところでこのような恐ろしい陰謀が仕組まれていようとは、どうして想像出来ただろう?

私はまだ自分の耳が信じられなかった。


「信じられない――マリアンナがそんな――あの親切なマリアンナが――」

私は呆然としていた。

「僕もだよ。でも彼は――トーニは僕の目の前でこの卸売業者に電話をかけたんだよ」

「この卸売業者が言った入札参加業者の中に私達が選んだ建設会社は含まれていなかった。ファルネーゼに紹介してもらったもうひとつの会社も無かった。彼等はどこに行ってしまったの?」

「トーニが入札の指名通知書と要綱を受け取ったのは十二月十日だったそうだよ。

提出期限は二十二日なのにだよ?

トーニは締め切りに間に合わないようにマリアンナがわざと通知を遅らしたに違いないって怒っていた。

でも彼は土日も徹夜して、何とか二十二日の締め切りに間に合わせたんだ。

おそらく、僕達が選んだ他の建設会社も十日に通知を受け取ったんじゃないかな?

それで、きっと間に合わなくて辞退したんだよ」

ロメオはそう断言した。

「――私は信じない。マリアンナがそんな恐ろしい陰謀に関わっているなんて――

そんな事、信じられない――」


私は混乱していた。

マリアンナはジョルジョーネやファルネーゼを中傷して追い出そうとしたりと、時として好き嫌いが極端過ぎるところはあったが、この分野の素人である私達を献身的に支えてくれていた。


「でも、君も録音を聴いただろう?

入札書の内容が明らかに漏れているんだよ。入札書を管理しているのはマリアンナだ。

彼女以外、入札書を開封出来る人間はいないんだよ」

「トーニは封筒をどんな風に封印したの?

開封されたかどうか見れば分かるのかしら?」

「トーニは封筒を封蝋で封印して印璽まで押したと言っていた。

だから、もし一度開封してもう一度封をしたのであれば、すぐに判るはずだって」

「私は――封筒をこの目で確認するまでは、こんな話は信じられない」

私はきっぱりと言った。

「この録音を聴いてもかい?」

「この卸売業者だって本人だとは限らないでしょう?

もしかしたら、トーニが、自分が確実に落札するために、知り合いに一芝居打たせたのかもしれない」

私は言い張った。

マリアンナにかなり好感を抱いていた私はこの陰謀説を一瞬にして信じることは出来なかった。


翌日、私とロメオはこの卸売業者が本物かどうか確かめることにした。

入札心得書にあったエレベータのメーカー名をインターネットで検索すると、このメーカーのイタリア国内の卸売業者は一人しかいなかったのですぐに判った。


「フォン・ブルナー、この男に間違いないよ。オランダ人だと言っていた。パドヴァに事務所があるんだ」

責任者の名前を見つけたロメオは叫んだ。

「声を聞いたら、昨日の人と同一人物か分かる?」

「うん。外国訛りの特徴のあるしわがれ声だったから、聞けばすぐ判るよ」


ロメオはエレベータの問い合わせをするふりをして、このフォン・ブルナーに電話した。

秘書らしい女性が応対し、フォン・ブルナーに取り次いだ。

ロメオは何食わぬ様子でエレベータについてニ、三質問すると礼を言って電話を切った。


「間違いない。昨日の電話の声と同一人物だよ」

ロメオは断言した。


マリアンナの裏切りがほぼ確実となり、私はショックを隠せなかった。

ロメオから一部始終を聞いたオクタヴィアの衝撃と怒りは大変なものだった。

そして、彼女の口車に乗せられて、ライモンディ公証人との友好関係を絶ってしまったことを今更ながら深く悔やんだ。


オクタヴィアの中で昔の恩人に対する感謝の念が泉のように湧き上った。

サン・マモロの僧院を奪われたことであれ程怒り、恨んだことをすっかり忘れて、「わたしは彼のおかげで遺産を二十五パーセントも余分に相続する事が出来たわ。彼の功績を考えれば、サン・マモロも、百万ユーロの報酬もきっと妥当だったんだわ」――私は今でも報酬百万ユーロはどう考えても高すぎると思っているが――とまで言い出した。 


そしてある日、ついに意を決し、ほぼ一年半ぶりにライモンディに電話をかけたオクタヴィアは、今まで誤解していたことを謝罪し、彼の尽力を今更ながら理解し、心から感謝していること、また、以前のような友好関係を復活したいと願っていることを口下手な彼女なりに精一杯伝えた。


オクタヴィアからの電話を受けたライモンディの喜びはひとしおで、翌日、ディ・マウロ弁護士が「ライモンディ公証人はオクタヴィアさんから電話を貰って有頂天になっていましたよ。感激して、私にわざわざ電話してきました」とロメオに報告してきたほどだった。


数日後、今度はライモンディがオクタヴィアに連絡してきた。

ロレンツォの生前からサン・マモロの物件を狙っていた建設会社がライモンディに横取りされた事を逆恨みして、彼に対して訴訟を起こしたので、オクタヴィアの相談役になった経緯を証言して欲しいと頼んできたのだ。

オクタヴィアは大切の恩人との関係を修復するまたとないチャンスと、喜んで承諾した。


こうして、私達はディ・マウロ法律事務所でライモンディと久々の再会を果たした。

ライモンディは少しやつれたように見えたが、そのエネルギッシュな存在感は健在だった。

ディ・マウロがオクタヴィアの証言を取っている間、ライモンディがロメオに尋ねた。


「ガリエラ通りの工事ですが、もう請負契約書に署名しましたか?」

「いいえ――」

思いがけない質問にロメオは身構えた。

「それは良かった。ロメオ君、工事を始めてはいけない。これは私の心からの忠告です」

「どうしてそう思うのですか?」

「きな臭い噂があります」

ライモンディはそう言うと意味ありげな微笑みを浮かべた。

ライモンディは何もかも知っている。私は改めてボローニャの狭さを知った。


「ロメオ君、以前、私は君達が望むなら出来る限り力を貸すし、相談に乗ると言いましたね?

今でも、その気持ちは変わっていません。必要ならいつでも私に連絡しなさい。君はこの分野ではまだまだ素人だ。これから沢山の事を学んで行かなければならない。

私とディ・マウロ弁護士はいわば君の父親です。喜んで君を支えるつもりですよ」

ロメオを見つめるライモンディの目は温かかった。


私はふと、レンブラントの名画『放蕩息子の帰還』の場面を思い起こした。

家族を捨てて飛び出していった放埓な息子がやがて落ちぶれて父親の元に戻ってくる。父親は息子を責めることなく温かく迎えるのだ。

レンブラントはこの慈悲と希望の瞬間を、暖色系の柔らかな筆致で感動的に表現している。

ロメオは放蕩息子ではないが、この時のライモンディはあたかも失った息子を再び見出して、喜びと感動に包まれている慈悲深い父親のように見えた。



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