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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第3章 陰謀
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示談

十一月一日、イタリアは万聖節で祝日である。

イタリア中が聖人と殉教者の霊魂を弔うこの日、私達は久々にディ・マウロ弁護士から呼び出された。

オクタヴィアはナーディアを伴ってミラノから来る事になっていたので、私達はディ・マウロ法律事務所で落ち合うことにした。


死者の祝日のせいか、普段賑やかな旧市街はひっそりと静まり返っていた。

ナーディアとオクタヴィアが遅れて到着すると、ディ・マウロは早速、本題に入った。


「実は先日、カロリーナ・オルランディの弁護士がリッカルディ弁護士に連絡してきました」


三月の口頭弁論以来、カロリーナ・オルランディは私の中ですっかり過去の人となっていた。そのカロリーナの弁護士が今更何の用だろう?

私達はディ・マウロの次の言葉を待った。


「単刀直入に言いますと、アドリアーニ弁護士は示談を申し込んできたのです」

「示談?」


私達は驚いた。

カロリーナ・オルランディの申立はとっくに却下され、後は正式な判決を待つばかりである。ここで何故示談が出てくるのか、私には判らなかった。


「彼等の要求額は二十万ユーロです。ボローニャで小さなアパートが買える金額です。

カロリーナ・オルランディは自分の家が持ちたいと言っているそうです。応じなければ控訴すると言ってきました」

「控訴?」

オクタヴィアの顔が暗くなった。

「勿論、彼等の目的は訴訟に勝つことではありません。彼等も奥さんがアンジェリ氏の娘であることは百も承知していますから、控訴しても勝てる見込みがないことは判っています。

しかし、前にも言いましたが、カロリーナ・オルランディには失うものが何もありません。無償弁護が適用されますから、訴訟がどんなに長引こうと、彼女の経済的負担はゼロです。

しかも無資産者ですから、損害賠償を請求される心配もありません。つまり何も怖いものはないのです。

彼等が控訴すれば――勿論、ほぼ確実に、第一審と同じように却下されるのが関の山ですが――もう二年、判決まで待たねばなりません。

それで却下されたら、上告するつもりだと言っています。そうすると更に数年、待たねばならなくなるのです。

その間、不動産は勿論、差押えになったままです。不動産を売却する必要がないなら、直接的な被害はありませんが、例えば、銀行からの貸付が受けられなくなります。

また控訴、上告のたびに六万ユーロの手数料がかかります。それに我々、弁護士への報酬を合わせると二十万ユーロ近い費用がかかることになります。しかも、解決するのは何年も先になります。

今、ここで示談に応じれば、相続人全員で二十万ユーロです。本来なら、遺産の七十五パーセントを相続した貴女が十五万ユーロ、メンギーニ達六人が五万ユーロを支払うはずですが、貴女はアンジェリ氏の娘で、メンギーニ達はむしろ貴女に助けられるようなものですから、もし、貴女が示談に応じるなら、私はリッカルディ弁護士にこちらの負担額を八万ユーロに引き下げるよう、交渉するつもりです」

ディ・マウロの説明にオクタヴィアは怒りを露にした。

「私は嫌です。示談にするならメンギーニ達が全額負担すればいいんです。

私はこの話には参加しません!」

「奥さん、相続人の誰か一人でも反対なら、この示談は成立しません。

貴女のお気持ちは分かりますが、一人だけ参加しないと言う訳にはいかないのです。

しかし、私は貴女の意志を尊重します。貴女が示談は嫌だとおっしゃるなら、無理にとは言いません。

リッカルディ弁護士にオクタヴィアさんは示談に応じる意思が無いと伝えます。ただ、先ほど説明したように、時間的にも、金銭的にも示談にした方が、被害が少ないのです」

オクタヴィアは納得が行かないと言う顔をして黙った。

「どうせ示談になるなら、口頭弁論などせずに最初から示談を申し出ていればもっと早く解決していたんじゃないですか?」

同じく、納得の行かないロメオが非難がましく言った。

「いいえ。口頭弁論を行って、彼等の訴状が裁判官に問答無用で却下されたからこそ、彼等の要求は二十万ユーロなのです。口頭弁論の前は、示談なら遺産の五十パーセントを要求するとリッカルディ弁護士に言ったそうですよ。

それが、我々の提出した返答書で彼等の申立が全く無効であることが明らかになり、どうやっても勝ち目はないと、悉く思い知ったのでしょう。

二十万ユーロと言うと大金のようですが、実は遺産の一パーセントにも満たない額なんですよ」

ディ・マウロの口調は穏やかだった。

「でも、わたしはロレンツォの娘です。それなのに関係のないメンギーニ達に遺産の二十五パーセントを譲る羽目になりました。そして今、またこの女性にお金を支払うなんて、あまりにも理不尽です。

私は一親等です。三親等と主張する人に示談金を支払う必要などないはずです」


オクタヴィアは譲らなかった。今日のオクタヴィアはメンギーニ達との時とはまるで別人のように強気だった。

極秘にDNA鑑定を行ったオクタヴィアには、今や自分は正真正銘ロレンツォの娘であると言う絶対的な確信があった。その確信が彼女をここまで強くするのだろうと私は思った。


「――貴女のお気持ちは判りました。リッカルディ弁護士にそのように伝えます」

ディ・マウロはやむを得ないと言う顔をしてそう言った。

「こちらが示談を拒否するとどうなるんですか?」

今度はロメオが心配そうに尋ねた。

「七十五パーセントの相続人であるオクタヴィアさんが同意しなければ、当然示談は成立しません。彼等は第一審の判決で正式に訴えを却下されたら控訴するでしょう」

「控訴しても、彼等に勝てる見込みはないんですよね?」

ロメオは念を押した。

「彼等の申立が通る可能性は極めて低いです。ただし可能性はゼロじゃない。

これは、全ての訴訟に言えることですが、百パーセントと言う言葉は存在しないのです。

法律は人が作ったものですし、裁判官もまた人間です。絶対、と言うことはあり得ません。

勿論、彼等は、何十年も昔に時効になっている事を申立てている訳ですから、勝てる可能性は限りなくゼロに近いですがね。

ただ、彼等が控訴すれば、先程も言いましたがオクタヴィアさんには六万ユーロの手続きの費用がかかります。しかも正式な判決が出るのは一~二年先になります」

ロメオは考え込んだ。

「では、僕達は示談に参加する代わりに、こちらの負担額は五万ユーロと言うことでどうですか?」

「そうですね。あのがめついメンギーニ達が承知するかどうかが問題です」

ディ・マウロはうなった。

「承知せざるを得ないんじゃないでしょうか?

今の彼等は崖縁にいるも同然です」

ロメオが勝ち誇ったように言った。

「昨年、彼等は一年以内に全ての住民を退去させて引き渡すことを条件にボローニャ市とゴベッティ通り二区画の売買同意書に署名しています。

このまま、この問題が長引けば、土地は当初の確約のほぼ半額で市に強制収用されてしまう可能性があるそうです。彼等が示談を急ぐのにはこう言う裏事情があるんですよ」

ディ・マウロはびっくりした。

「それは初耳です。本当ですか?」

「本当です」

ロメオは勢い付いて断言した。

「先日、土地測量技師のファルネーゼ氏に聞いたので間違いありません。

市は、すでにこの土地の都市開発プロジェクトを完成させていますから、メンギーニ達に何度も催促してきているそうです。ファルネーゼ氏はそのことでミケーレ・オルシーニから相談を受けたと言っていました」


数週間前、競争入札に指定する会社を紹介してもらうためにファルネーゼの事務所を訪れた際、たまたまゴベッティ通りの話が出たのだ。


「そうですか。それはいい事を聞きました。そう言う事情なら、こちらが頑として五万ユーロ以上は出せないと頑張れば、どうしてもこの示談をまとめてしまいたい彼等は残額を負担せざるを得なくなりますね」

ディ・マウロの顔は明るくなった。

「母さん、控訴や上告になれば、もっと費用がかかるし、時間もかかるんだよ。だったら、ここで五万ユーロ払ってすっきりさせてしまった方がいいんじゃないかな?」

ロメオが難しい顔をして黙っている母を説得した。

「わたしは――悔しいです。わたしはロレンツォの娘なのに――」

オクタヴィアはさも悔しそうに唇を噛んだ。

「お気持ちはお察ししますよ、奥さん。しかし、ロメオ君の言う通りです。

ここはどう考えても示談に応じるのが賢い選択だと思います」

「――分かりました」

オクタヴィアは渋々承諾した。

「でも、これが最後になることを望みます。もう二度とこの問題で煩わさせられる事がないことを――」

「勿論です。示談書は私が作成します。示談がまとまればカロリーナ・オルランディは、もう二度と貴女を悩ますことはないでしょう」

ディ・マウロ弁護士はオクタヴィアを励ました。


法律事務所を出た後も、オクタヴィアは不満げにむっつりと黙り込んでいた。

数ヶ月前、ほぼ完全勝利だと言われ、解決したのも同然と思っていたのが、今になって控訴だの示談だのと言われれば、怒りたくなるのは当然だろう。


「死者を悪く言いたくはないけれど――」

ナーディアが重苦しい沈黙を破った。

「ロレンツォさんがちゃんとした遺言状を残してさえいればこんな事にはならなかったのに――カロリーナ・オルランディはメンギーニ達の相続分を相続すべきだったのよ」


ナーディアの言う事はもっともだ。

遺産は娘のオクタヴィアに、そして一部がカロリーナ・オルランディに行くべきだった。

しかし、有効な遺言状がなかった為に、六親等の裕福なメンギーニ一族が遺産の二十五パーセントを不当に相続し、ロレンツォの姪である貧しいカロリーナはわずか一パーセントに甘んじる羽目になったのだ。

私にはオクタヴィアよりむしろカロリーナの方が不憫だった。


最近、ただでさえ憂鬱の虫に取り憑かれがちだったオクタヴィアは、この日を境にますます塞ぎ込むようになってしまった。



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