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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第2章 新しい生活
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ファブリーニ

一月中旬、ヴィラ・マルヴァジアの屋根がいよいよ着工し、建物の周りに足場が組まれた。

工事はアンジェリ氏のお抱え大工だったファブリーニの建設会社が請け負う事になった。

建設会社と言っても、共同経営者であるファブリーニと相棒のグイドの他に数人の専門職人を抱える小規模な会社であったが、仕事の腕は確かだった。仕事こそ決して速いとは言えなかったが、ファブリーニとグイドは昔堅気の優れた職人で、決して妥協せず、自分達の仕事にきちんと信念を持っているのが好ましかった。


ロレンツォとは二十五年の付き合いだというファブリーニは工事現場に訪れる私達にロレンツォのエピソードをコミカルに、愛情を込めて語ってくれた。

崩壊寸前のヴィラの屋根はもう完全にやり直す以外、どうしようもない状態だった。

ジョルジョーネ建築家と構造設計技師の指示で、老朽した屋根はみるみる内に取り壊された。屋根を失くしたヴィラはまるで爆撃にあった廃墟のような惨めな姿になった。


一方、マリアンナの紹介でバルベリア通りとガリエラ通りの建物を担当する事になったチャザリーニは、ガリエラ通りの修復プロジェクトに着手した。

バルベリア通りの建物は二〇一一年まで店舗の賃貸契約が残っているので、空き家であるガリエラ通りの建物から始めることにしたのだ。


とは言っても実際に設計を行うのはチェザリーニではなく、彼が連れてきた建築家のグリエルモだった。グリエルモ建築事務所はボローニャ一大きな建築事務所で、創立者の大グリエルモは、七十年代にボローニャ新地区にある住宅街のほとんどを築き上げたと言われている程だった。ただしガリエラ通りを担当したのは大グリエルモの息子の小グリエルモの方だった。


チェザリーニは対抗心剥き出しで、時々ヴィラ・マルヴァジアに偵察に行っては、ジョルジョーネの仕事ぶりにあれこれケチをつけた。

また、ジョルジョーネが鬱陶しくてたまたらないらしいマリアンナも、何かにつけてこの陽気な建築家を攻撃したが、私もロメオも、そしてオクタヴィアも、マリアンナは好きだったが、こうした中傷には耳を貸さなかった。


マリアンナは私達にとても親切だったし、財産管理人としてはとても有能で、こま鼠のようによく働いた。しかしながら、時折見せるこうした一面に、私は彼女の心の奥底に秘められた炎のような激しい何かを垣間見るような気がするのだった。

ディ・マウロ弁護士は裁判所に提出する返答書を一月二十日に完成させ、口頭弁論が三月二十日に決まった。


二月に入るとヴィラ・マルヴァジアの屋根の取り壊し作業が終わり、いよいよ屋根の木材が運びこまれた。土台となる壁の補強工事が終わると、先ず一辺が四十センチはありそうな太い梁が渡され、その上に鯨の背骨のような骨格が組まれた。更にファブリーニ達大工職人が木の桁で背骨の隙間をうめていった。



閑寂とした冬の空を春の接吻が少しずつ溶かし始めていく頃、ヴィラの屋根も背骨を伸ばし、小骨を張り、徐々に形を成していった。

私とロメオは足しげくヴィラ・マルヴァジアの様子を見に行った。


「机に向って設計図と睨めっこしてたって何も分かりゃあしないよ。

実際に現場に行かなきゃあ駄目だ。俺は物理とか工学とか、難しいことはよく分からないが、この梁がどのぐらいの重さまで耐えられるか、折れた梁や陥没した床をどう言う状態でどう修理するか、体で覚えてるのさ」


この頃では、すっかり打ち解けて仲良くなったファブリーニは、私達をヴィラの屋根に案内しながら、よくこんな話をした。屋根の上の足場から下を見下ろすと目眩がしそうだが、視線を前方に向けると雑木林とその遥か彼方に広がる田園ののどかな風景が目に入った。

十六の時からこの道一筋という、たたき上げ職人のファブリーニは理論的な建築家とはまた違う、独自の信念と哲学を持っていた。


「人任せはいけねえ。ちゃんと自分の目で確認するんだ。建設会社なんてのは発注人が監督しなきゃあ喜んで手を抜くもんなんだ。勿論、俺とグイドは別だよ。だからあんたもガリエラ通りの工事が始まったら現場に毎日、足を運ばなくちゃあ駄目だ」

ファブリーニは若いロメオにそうアドバイスした。


ファブリーニはロレンツェの昔話をよく聞かせてくれた。

「ユニークな人だったよ。なんで建物を放ったらかしにしてたって?

いや、彼なりに何かしようと何度も試みたんだよ。エンジニアはバルベリア通りの屋根だのテラスだのの設計図を何枚も自分で作ったんだ。

彼は工学士としては優秀だったから。でもいつも途中でやめてしまうのさ。

いざ本当に実行するとなると怖くなったんだろうなあ――

よく変化が怖いと言っていた」

私はふとオクタヴィアを思い出した。

「だから色んな設計図を作っても、全部立ち消えになってしまうのさ。

だけどたった一度だけ、彼が文化財保護局に建物の改築プロジェクトをちゃんと提出して許可をもらったことがあったよ。

バルベリア通り一階の、今空き室になっている事務所があるだろう?

エンジニアは事務所の通りに面した窓をショーウィンドウに変えて店舗に改装しようと考えたんだ。

プロジェクトは許可されたが、エンジニアは結局着工しなかった。

許可の期限は三年だから、結局何もしないままこのプロジェクトは期限切れになってしまったのさ。なんともエンジニアらしいエピソードじゃないか」

ファブリーニはそう言ってさも愉快そうに笑った。


私達はこんな風に廃墟と化したヴィラの中で、屋根の上で、ロレンツォの様々なエピソードを聞かされた。

何だかんだ言ってもロレンツォを好いていたファブリーニはアンジョーニの話になると口汚くこの専属会計士を罵った。


「奴はエンジニアの信頼に付け込んで彼のお金を着服してたのさ。

エンジニアにはバルベリア通り、ガリエラ通り、サン・マモロ通り、ゴベッティ通りにあわせて百軒以上のアパートや店舗を持ってたんだよ。幾ら安い家賃で貸してたとは言え、店舗や倉庫もあったんだ。もっとお金が貯まっていたはずだ。

それが彼が亡くなった時、銀行口座には僅かな預金しか残ってなかったそうじゃないか。

俺が思うにアンジョーニがこっそり横領してたんだ。いや、きっとそうに違いねえ」

「でも、ロレンツォはどうしてアンジョーニをそこまで信頼して、全て任せてたのかなあ?

銀行口座も共同名義にしてたんだよ」

ロメオが言うとファブリーニは驚愕した。

「銀行口座を?何て悪党だ!」


ロメオはアンジョーニがロレンツォの死後、口座の残金の半分を引き出し、姿を眩ませたいきさつ――実際には、バルベリア通りの四階に住んでいるはずだが、誰も連絡を取れないので姿を消したのも同然である――を話すと、ファブリーニは顔を真っ赤にして怒った。

「なってこった。狡賢い爺さんだよ。

知ってるかい?アンジョーニはもう九十になるんだよ。つまりエンジニアより十歳以上も年上なのさ。それなのにロレンツォは亡くなって、アンジョーニはまだピンピンしてるんだからなあ――」

ファブリーニは溜息をついた。

「エンジニアはずっと強い父親だったジュゼッペの庇護のもとで生きていたからなあ。

父親が死んで、庇護を失ったエンジニアはアンジョーニを父親の代役のように考えたのかもしれないよ。アンジョーニはジュゼッペと同じで強くて頑固者だったからね。それですっかり頼りっきりになってしまったのさ」

ファブリーニは彼なりにこんな見解を示した。


ファブリーニは更にこんな驚くべき話をした。

「エンジニアが亡くなった後、彼の自宅が引っ掻き回されていたのは知ってるかい?」

これは初耳だった。

「一昨年の二月頃だったかなあ。裁判所の財産管理人がアンジョーニと一緒にエンジニアのアパートに入るって言うんで俺も呼ばれたんだよ。

何でも金庫をこじ開けるって言うんでね。それで、財産管理人とアンジョーニと、何とかって言う胡散臭い爺さんと一緒にロレンツォの住居に入ったんだ。

そうしたらどうだい。家中の引出やら戸棚やらが開けっ放しになって、どこもかしこも荒らされていて足の踏み場もない状態じゃないか。

俺は、アンジョーニの仕業と睨んだね」

ファブリーニはこう断言した。

「アンジョーニが?何のために?」

ロメオは尋ねた。

「そりゃあ決まってるだろう。奴の横領の証拠書類を処分するためだよ」

ファブリーニは自信満々だった。

「じゃなかったら、三階の婆さんだ。ロレンツォの家の鍵を持ってたのはアンジョーニと婆さんの二人だけだ。婆さんはロレンツォが死んだ後も、エンジニアの飼い猫に餌をやりに住居に出入りしてたからなあ。アンジョーニでないとするとあのがめつい婆さんが怪しい。

何か金目のものがないか、物色したに違いねえ」


私は上目遣いで卑屈な笑いを浮かべていたバルベリア通りの老婆を思い出した。

ひょっとしたらメンギーニ一族の誰かが侵入して遺言状を探したのではないかと言う疑念が、ふと私の脳裏をよぎった。しかし、今となっては確かめる術はない。

結局、この侵入者が誰だったのか、今も謎のままである。


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― 新着の感想 ―
アンジョーニとお婆さんは、何か知ってるだろうね。 そんな引っ掻き回された部屋のまま放っておいたり、何事もなかったように過ごすなんて。
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