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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第1章 もう一人の庶子
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ディ・マウロ弁護士の結論

ロリーナ・オルランディの訴状問題はひとまずマルタ・リッカルディ弁護士にゆだねられ、私達は連絡待ちの状態だったが、そんな事を心配している暇もない程、忙しかった。

ロメオと私は週に二~三度、ボローニャ―ミラノを往復して一週間を過ごしていたが、いよいよボローニャに移住する計画が具体的に決まろうとしていた。

住み慣れたミラノを離れる――私達の人生に大きな転機が訪れようとしていた。


ロメオはロレンツォの住居を改装して住もうと提案したが、私は頑なに反対した。あの住居は何かのしかかるような陰気な空気に満ちていて、今でもロレンツォの幻影が棲み続けているような気がしてならなかった。

挿絵(By みてみん)


最上階のロレンツォのアパートメントは東西南北に窓が開き、ボローニャの丘陵とサン・ルーカ聖堂のクーポラを見晴らす素晴らしい眺望に恵まれていた。

少し手入れをすれば住み心地の良い住居になることは間違いなかったが、それでも私はどうしてもこの家に住む気にはなれなかった。


バルベリア通りの建物にはアパートメントこそ沢山あるが、すぐに人が住める家はひとつもなかった。それも、少々の修理や手入れが必要という程度ではなく、水道管、ガス管、電気工事を含む、本格的な大工事が必要な住居ばかりだった。中には屋根に大きな穴が開いていたり、床が陥没しているアパートメントまであった。


建物全体の大掛かりな修復工事はいずれ行うとして、取りあえず、私達が住める場所を探さなければならなかった。私達は色々考えあぐねた末、来年の夏に賃貸契約が切れて空く予定になっている二階のアパートメントに住む事にした。これで私達の引越しは来年の九月と決まった。


一方、ゴベッティ通り二区画を差押えられたメンギーニ達の焦燥は最高潮に達していた。

特にクラウディオ・メンギーニの妻カミーラは執拗なまでにオクタヴィアに電話をかけてきた。今や、オクタヴィアがロレンツォの娘であると言う事実こそが、彼等の希望の灯だった。

強迫観念に駆られたカミーラはオクタヴィアにしきりにDNA鑑定を勧め、あげくの果てはオクタヴィアの父親は実は、ジュゼッペではないかと言い出した。

カミーラの無神経な電話に辛抱強く対応していたオクタヴィアの堪忍袋の緒がこれでプツリと切れた。


「母さんが生まれた時、ジュゼッペは七十近い老人だったんだよ。馬鹿げているのにも程があるよ。さすが、あのクラウディオの奥さんだね」

ロメオは呆れ果てた様にこう言った。


そんな時、マリアンナが極秘でDNA鑑定をしてくれると言う知人の医者を紹介してくれることになった――ただし、正式なDNA鑑定は裁判所の許可を得て、故人の遺体から採取したDNAで行われなければならないので、これはあくまでも非公式かつ非合法な検査のため、訴訟時に証拠として提出することは出来ない。


まず、その道のプロがロレンツォの住居に赴いて故人の毛髪など、DNAを含む遺品が残っていないか徹底的に家捜し、ロレンツォのフケが付着した上着と、汗の結晶が残る靴下を収集した。検査の結果、オクタヴィアの血液に含まれるDNAと、ロレンツォのアパートメントで発見されたフケと汗から採取されたDNAは完全に一致した。

これでオクタヴィアがロレンツォの娘であることが科学的に実証されたのである。


その間、私達がディ・マウロ弁護士から受けた連絡と言えば、リッカルディ弁護士が未だにアドリアーニ弁護士と連絡が取れずにいると言う事ぐらいだった。

アドリアーニ弁護士は裁判所にも現れず、事務所に電話しても留守番電話になっていると言う。


「田舎に帰っているのかしら?」

私は首をかしげた。


そうこうしている間にも、ヴィラ・マルヴァジアの修復プロジェクトは着々と進んでいた。

ジョルジョーネ建築家が屋根の設計プロジェクトを完成させて文化財保護局に提出し、大工のファブリーニがフレスコ画のある天井に支柱を何本も立て、穴の開いた屋根にビニールシートを張って、建物を雨と崩壊の危機から守った。また修復士がやってきてフレスコ画を特殊な保護紙で覆う作業を行った。


十二月三十一日、まさに二〇〇六年最後の日に、ジョルジョーネ建築家から屋根の設計プロジェクトが文化財保護局に許可されたと言う連絡があった。こうして波乱に満ちた二〇〇六年は終わりを告げ、慌しく年が明けた。


カロリーナ・オルランディ問題は相変わらず何の進展もなかった。

さてはカロリーナの後ろに強大な黒幕がいるのではないかと、例によってオクタヴィアが不吉な妄想を膨らまし始めた頃、ディ・マウロ弁護士から呼び出しがかかった。


一月八日、私達はナーディアを連れ、再びディ・マウロ法律事務所を訪れた。

オクタヴィアは不穏な知らせをもたらされるのではないかと怯えたようにディ・マウロを見上げていた。

「今日はいい知らせですよ。奥さん」

ディ・マウロは優しく言った。

オクタヴィアは疑わしそうだった。

「我々は――正確に言えばリッカルディ弁護士は、この数ヶ月、アドリアーニ弁護士を捕まえようと奔走しましたが、どうにも連絡が取れませんでした。どうやら郷里に帰っていたようです。

しかし、この事が結果的に吉と出ました。リッカルディ弁護士がアドリアーニ弁護士を探し回っていたその間、私はこの訴状を考究し、様々な法例や法典を調べました。

その結果、この申立そのものが無効であることが判ったのです」

「無効?」

私達は驚いてディ・マウロを見た。

「そうです。カロリーナ・オルランディの相続権を証明するには、母のマリアとジュゼッペ・アンジェリのDNA鑑定を行い、マリアがジュゼッペ・アンジェリ氏の娘であることを証明しなければなりません。

しかし、民法二七〇条によれば、故人の死後認知は、非嫡出子、つまりマリアの死後二年以内に行わなければならないのです。マリアは一九八二年に亡くなっていますから、カロリーヌ・オルランディの提訴そのものが無効なのです」

オクタヴィアは嬉しそうに両手を握りしめた。

「それでは、訴訟にはならないんですね」

ディ・マウロは頷いた。

「そうですよ、奥さん。第一の大きな勝因がこの民法二七〇条の時効です。

更に民法二七六条によれば、遺産分割協議無効の申立は直接相続人に対してのみ行えます。つまり、オルガ・メンギーニの法定相続人であるメンギーニ達に対してはこの申立は行えないのです。アンジェリ氏の非嫡出子である奥さんにも、同様の障害がありました。覚えていますか?」

「ええ。更に私には、養父に認知されているという問題がありました」

「そうです。

でもこの二七六条は障害であって、不可能ではありません。

しかし二七〇条の時効は、申立そのものを無効とするものですから、訴訟を起こす事自体が不可能ということになります。

ですから、早まって示談など申し入れなくて本当に良かったです。訴状が無効と判ればビタ一文支払う必要はありませんからね」

「では、解決するんですね?」

ロメオが嬉しそうに言った。

「イタリアの民事手続きは時間が掛かりますからね。

まず我々はこの訴状の無効を申立てる返答書を裁判所に送ります。それから一ヵ月後に口頭弁論が行われますが、間違いなく提訴は却下されますよ」

「それで完全に終わるのは何時ですか?」

オクタヴィアが心配そうに尋ねた。

「口頭弁論後、裁判官が提訴を却下すれば、事実上我々の勝ちです。ただ正式な却下判決が出るのは一年後になります」

「一年後――」

オクタヴィアの顔が曇った。

「手続きにかかる必要最低限の時間です。

しかし口頭弁論で全てが決まりますよ。奥さん、何も心配することはありません。提訴は却下されますよ」

ディ・マウロが力強い口調で言った。


思わぬ朗報に私達は浮き足立った。裁判所への返答書にはカロリーナの申立の無効だけでなく、オクタヴィアがロレンツォの実子であると言う事実も盛り込むことになった。

こうして、メンギーニ一族を震撼させたカロリーナ・オルランディ問題は一気に解決に向おうとしていた。



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