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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第5章 決断
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駆け引き

メンギーニ達の弁護士からようやく連絡があったのは三月も終わろうとしている頃のことだった。

彼等の要求は現金で五百万ユーロ。ディ・マウロ弁護士の予想額が三百万から四百万ユーロだったから、想像を上回る金額を要求してきたことになる。


ライモンディの話ではダヴェーリオ弁護士の書状からメンギーニ達が受けた衝撃は相当のものだったらしい。彼等にしてみれば、相手は不動産や法律に疎い世間知らずなオクタヴィアだから、うまくすれば相当の財産を相続出来ると踏んでいたのが、とんだ計算違いだったのだろう。そこで示談で取れるだけ取っていこうと言う算段に出たのだ。

法外な金額を聞いたオクタヴィアは当然のことながら激しく憤り、絶対に応じられないと彼女にしては珍しく即答した。


ライモンディは現金で支払うと、オクタヴィア達にとってもメンギーニ達にとっても税金の問題上、割高になるので、不動産の一部を彼等に相続させるのが、お互い一番得策であるとオクタヴィアに説明し、ガリエラ通りの建物と現金二百万ユーロでどうか、交渉してみると伝えた。


弁護士達の交渉が進む中、ライモンディがオクタヴィア母子に新たな提案をしてきた。

ゴベッティ通りの土地に関するプロジェクトだ。

ゴベッティ通り周辺の土地は三区画に分かれており、ボローニャ市の新都市開発計画の予定地になっている。従って、いずれ市がこの土地を購入する予定になっていた。


ライモンディの提案はこうである。

ライモンディが三区画の土地のそれぞれ五十パーセントを購入し、ファルネーゼに依頼して土地の有効性を実証してもらう。その上で、ライモンディの兄で実業家のウンベルト・ライモンディのコネや人脈を使って市と交渉し、より高値で売却し、その売却金を山分けしようと言うのだ。ファルネーゼの予測によれば現在の倍額近い値段に地価を引き上げることが可能なのだそうだ。


ライモンディは例によって買主が彼の妻と兄名義になっている前提契約書を用意してきた。

さすがのオクタヴィアもサン・マモロの物件の一件で、この手の契約書には慎重になっていたので、署名する前にナーディアに相談した。


サン・マモロの一件以来、ライモンディ公証人に不信感を抱いていたナーディアは彼と共同事業を進めることに反対したが、契約書の内容そのものには特に問題がないと言った。色々思案した末、ロメオ達はこの話に乗ってみることにした。

一方、メンギーニ達がガリエラ通りの物件と現金二百万ユーロと言うこちらの提案をはねつけてきたために交渉は暗礁に乗り上げた。


「奴等はこちらの足許を見ているに違いないよ」

ロメオが頭を抱えた。

「経済力のない僕達に長期戦は無理だと踏んでいるんだ」

「卑劣な人達ね。でもこちらの弱みを悟らせてはダメよ。

ロメオ達の方が正しいんだから断固とした態度で――」

「でも、もし奴等が示談には応じない、訴訟で戦うなんて言い出したら――」

ロメオは弱気になっていた。

「それは絶対にないと思う」

私は断言した。

「だって訴訟になれば、例え何年かかっても彼等は確実に負けるのよ。それに訴訟って、負けたほうが裁判の費用とか、その間蒙った損害の賠償金なんかを全額支払うんでしょう?

彼等だって一文の得にもならない裁判をするより、この際、示談で手堅く遺産の一部を手に入れるほうが賢いと分かっているはずよ」

「でも、彼等は僕達が出した条件を却下してきたんだよ」

「そこが彼等のしたたかなところよ。

彼等はロメオ達に認知訴訟を起こす経済力がないことを見越しているのよ。だからこうやって心理的圧力をかけて、彼等の法外な要求を通そうとしているのよ」


私は親族会で見たメンギーニ達の欲で醜く歪んだ面相を思い出した。

あんな人達の思い通りにはさせない――


私はそう思った。

最初の頃、出来るだけこの相続問題に関わらないようにしていた私だが、いつの間にかどっぷりと巻き込まれてしまっていた。何よりも孤独で無防備なオクタヴィアに付け込もうとしていることが許せなかった。


「彼等の中で、一番厄介なのが、レオナルドとクラウディオ・メンギーニだ」

ロメオは考え込むように言った。


「彼等はどうやらゴベッティ通りの三区画の土地に目をつけているみたいだから、いっそこの土地を渡すというのもひとつの手だと思うよ」

「ライモンディもこの土地で儲けようとしているんでしょう?

承知するかしら?」

「決めるのは僕達だ。ライモンディが何と言おうと、彼等がこの土地で示談に応じるなら、これが最善策だと思うよ。はっきり言って僕は土地には興味がないしね。

いくら潜在価値があると言われても、僕にはバルベリア通りの建物やヴィラのほうが大事だよ」

ロメオはきっぱりと言った。


そしてライモンディにゴベッティ通りの三区画の土地を提供してはどうかと提案したところ、人並みはずれた知恵者のライモンディはその一歩先を行く妙策をひねり出した。


「ファルネーゼにこの土地の調査を依頼して建築可能な土地であることを証明した上で、実業家でボローニャ市に強力なコネのあるライモンディの兄さんの力を借りて、現在の評価額を遥かに上回る売値で市と商談をまとめれば、三区画のうちの二区画だけでメンギーニ達が要求している金額を十分満たすことが出来るそうなんだ」

ロメオはライモンディの提案を私に伝えながら声を弾ませた。

「さすがライモンディらしい発想ね。でも短期間でそう簡単に商談がまとまるものなの?」

私はびっくりした。

「この区画はいずれ市が買い取る予定にしている土地だよ。

ロレンツォの土地以外、この辺りの土地は全部ボローニャ市の公有地だからね。

数年後の都市開発計画でこの一帯は公園、金融機関、行政施設が建設される予定なんだ。そこでファルネーゼの調査と分析で土地の潜在価値を証明して、より高い値段で売却する確約を市と取り付けようという訳なのさ。

しかもウンベルト・ライモンディは市の権力者達と懇意だから、短期間で商談をまとめることが出来るそうなんだ」

「ふうん――」

――イタリアって何よりもコネと権力がものを言う国なのだ。

私は改めて実感した。


しかしこんな妙策を思いつくとは、さすがライモンディである。

メンギーニ達がゴベッティ通りの三区画に目を付けているのは最初から判っていたが、三区画とも渡してしまうのではなく、地価を上げて二区画で手を打とうというのだ。私は彼の傑出した頭脳と柔軟な思考回路に感服せざるを得なかった。


「とりあえず、ここはライモンディの手腕に賭けるしかないわね」


ライモンディが敵でなくて良かった――私はこの時、心からそう思った。


四月になるとファルネーゼによる土地の分析と調査が終了し、ライモンディの兄ウンベルト・ライモンディが市と交渉するために奔走し始めた。


そして四月六日、もともと三百八十万ユーロと鑑定されていたゴベッティ通りの二区画を、市が六百万ユーロで買い取ることで商談がまとまったとライモンディが報告してきた。つまり、ライモンディ兄弟はわずか1ヶ月足らずでゴベッティ区画を二百二十万ユーロも値上げしたことになる。メンギーニの要求は五百万ユーロだから、この二区画の土地に六百万ユーロの価値があることを示せば、彼等もきっと承諾するはずだと、ライモンディも今度ばかりは自信ありげだった。


「今、向こうの弁護士からの返事待ちなんだ。ライモンディは今度こそ大丈夫だろうと言っているけど、相手が相手だからね。どう出てくるか」

ロメオは緊張した面持ちで言った。

「ライモンディの話では、ミケーレ・オルシーニが他のメンギーニ達を説得する役を買って出たらしいよ」

「そう――」


メンギーニ達の内情も色々と複雑なのだろう。ミケーレ・オルシーニは傲慢で支離滅裂なレオナルド、クラウディオ・メンギーニに振り回されるよりも、双方の間をうまく立ち回って謝礼をせしめたほうが得と踏んだのかもしれない。

ミケーレ・オルシーニと言えばオドオドとした挙動不審な態度が印象に残っている。

私はイソップ童話のコウモリを連想した。


「今はライモンディからの朗報を待つしかないわね」


それから一週間後、ライモンディから待ちに待った朗報が届いた。

「やったよ!ライモンディの目論見どおり、奴等は六百万ユーロと言う値段に目が眩んで示談に応じると言ってきたそうだよ」

ロメオは喜びで大きな瞳を輝かせた。

「よかった――これで一安心ね」

「正式な書類に全員が署名して、遺産分割協議が完全に終了するまで、まだ油断は出来ないけど、取敢えず彼等はこちらの出した条件を呑んだわけだ」

「そうね。それで正式な書類にはいつ署名するの?」

「来週、相続人全員が集まって、まずディ・マウロ弁護士が作成した示談書に署名することになった。その後で公証人の前で正式な遺産分割協議書に署名する。協議書の作成には一週間ほどかかるそうだから、遺産分割協議が完全に終了するのは五月の中旬頃になるだろうとライモンディは言っている」

「問題がなければ――でしょう?うまく事が運ぶといいわね。」

全てが順調に進んでくれたらどんなにいいだろう――私は心から思った。

しかし、それがどれほど難しいことなのかも十分承知していた。


四月十七日月曜日、オクタヴィアは示談書に署名するために朝から独りでボローニャのダヴェーリオ弁護士の事務所に向かった。


しかし弁護士事務所に現れたのは、ミケーレ、リディア・オルシーニ、イザベラ・ピッコリ、ジルダ・メンギーニの代理人、そして彼らの担当弁護士マルタ・リッカルディだけで、レオナルド、クラウディオ・メンギーニは現れなかった。


「母さんは怒って帰ってきたよ。わざわざミラノから出向いたのに二人もの人間が約束をすっぽかして連絡もないんだからね。人を馬鹿にするにも程があるって。」

ロメオは憤った。

「じゃあ、遠路遙々行ったのに、示談書に署名せずに戻ってきたの?」

「いや、母さんと出席した相続人は全員署名したよ。

でも相続人七人全員の署名が揃わないと意味がないからね」

「レオナルドとクラウディオはどういうつもりなのかしら?」

「リッカルディ弁護士は彼等全員がこちらの出した条件に同意したことには間違いないと、はっきり母さんに言ったらしいよ。彼女も依頼人が当日すっぽかすとは夢にも思っていなかったみたいで慌てていたらしいけど」

「それで、残りの二人はいつ署名するつもりなの?」

「リッカルディ弁護士は数日中に署名するはずだと言ったらしいけど――」

ロメオはやや自信なさげに言った。

「そう――」

私は胸騒ぎを覚えた。

「でもリッカルディ弁護士は二人ともたまたま来られなかっただけで、今週中には署名しに来るとはっきり言ったそうだよ。大丈夫、今週中には片が付くよ」

ロメオは珍しく楽観的だった。

「だといいけど――」


私は一瞬よぎった不吉な予感を拭い去るように言った。


しかし私の予感は的中した。

クラウディオ・メンギーニは三日後の木曜日に弁護士事務所を訪れ、署名を済ませたが、レオナルド・メンギーニは次の週になっても署名に現れなかった。


楽観的だったロメオも二週目も終わりに差し掛かるとさすがに苛立ちが隠せなかった。

「レオナルド・メンギーニは誰よりもゴベッティ通りの土地に注目していたんでしょう?第一、この条件で示談に応じるとはっきり言ってきたんだし、きっと大丈夫よ」

落ち込むロメオを今度は私が励ました。

「そうだね。ライモンディも心配ないと言っているしね」

ロメオは不安を振り切るように笑顔を見せた。


そうこうしている間に四月が終わってしまった。

レオナルド・メンギーニは相変わらず署名に現れなかった。



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