波紋
二月二十七日、ライモンディからダヴェーリオ弁護士が例の書状をメンギーニ全員に書留で送ったと報告があった。
ついに宣戦布告が発せられたのである。
書状が発送されてから一週間が過ぎたが、メンギーニ達からは何の音沙汰もなかった。あたかも嵐の前の海が異様に静まり返るように、不気味な沈黙が続いた。
しかしながら、石は投げられ、私達の知らぬところで、すでに波紋が広がっていた。
ここで、この書状が投じた波紋によって思わぬ災難を蒙った人達についても話しておかねばならない。
その最初の人物は、遺産管理人のマリアンナ・コソットである。
その日の七時過ぎ、帰り支度をしていた彼女は、秘書からメンギーニ一族の来訪を告げられ、思わず顔を曇らせた。
アポは入っていないはずだし、前触れもなく事務所にやってくるなんて一体どういう用件なのか?
マリアンナは横柄で傲慢なメンギーニ一族に最初からいい印象を抱いていなかった。
マリアンナは既に勤務時間が終わっている秘書を帰して、メンギーニ達を事務所の会議室に迎え入れた。
後に彼女は、その時の彼等の様子をこう振り返っている。
「全員が全員、ただならぬ形相でした。そして、掴み掛からんばかりの剣幕で、いきなり私に詰め寄ったのです」
メンギーニ達はその時、ジルダも含め、六人全員集合していた。
マリアンナはこの時点では、弁護士が送った書状のことは全く知らされていなかったので、何が起こったのか理解出来なかった。
「彼等は、私に事情を何一つ説明せずに、私の知っていることを聞き出そうとしました。
そして、どうやら私が彼等にとって関心のある事柄を何一つ知らないと判ると、いきなり内輪もめを始めたのです」
マリアンナはこうも証言している。
事情を知らない彼女は、彼等が何について言い争っているのかよく判らなかったが、レオナルドとクラウディオ・メンギーニは食いつかんばかりの勢いでジルダ・メンギーニを罵倒していたと――
『馬鹿女め、なぜそんな余計なことを言ったんだ』
レオナルドは姉をこう罵り続けた。
おそらく、ジルダがオクタヴィアにかけた電話について非難を浴びせたのだろう。
マリアンナは口汚く罵りあう彼等に何とか事務所から出て行って貰おうと、何度も無駄な努力を試みた。
彼等は三時間以上も彼女の事務所に居座り、醜い争いを繰り広げた。
そしてレオナルド・メンギーニは去り際に、思いがけぬ修羅場を目の当たりにして唖然としているマリアンナに対し、威圧的な口調で遺産管理する必要がなくなった、今後一切この件に関わるなと釘を刺した。
翌日、混乱し、怯えきったマリアンナがオクタヴィアに電話をかけてきた。
そして「遺産管理人の任を解いてください」と訴えた。
「私はあんな人達と係わり合いになるのはごめんです」
彼女は前日の、メンギーニ一族の異様な光景にすっかり恐れをなしていた。
「この人達は尋常じゃない。精神を病んでいるに違いないと思いました」
マリアンナはこう締めくくっている。
オクタヴィアは彼女をなだめ、引き続き遺産管理人を務めるよう何とか説得した。
火の粉はロレンツォの専属大工ファブリーニの身にも降りかかった。
書状が発送されたちょうど一週間後、ファブリー二は訊きたいことがあるからと、レオナルド・メンギーニの屋敷に招かれた。
この時、ファブリーニはオクタヴィアに電話し、招待を受けるべきかどうか彼女の意見を訊いている。これに対し、オクタヴィアは自分に気兼ねをせずに知っていることを話せばいいと答えた。
「驚いたよ。レオナルド・メンギーニの屋敷には、ジルダ以外の全員が集合していたんだからね。あの仲の悪い一族がだよ」
翌日、ファブリーニはロメオに報告した。
「彼等にまずオクタヴィアさんがロレンツォの娘だってことを知っているか訊いてきたんだ。
無論、知っていると答えると、どうかその事について他言しないで欲しい、しかるべき謝礼はするからと言うじゃないか。
連中にはっきり言ってやったよ。俺は金で良心を売り渡したりはしないとね」
彼のこの証言からも、メンギーニ達が形振り構わなくなっていることが伺えた。
彼等はおそらくこの相続争いを相当楽観視していたのだろう。
後にミケーレ・オルシーニがライモンディに漏らしているように、彼等にとって真の戦いはオルガの遺産を巡る骨肉争いであった。狡猾で強欲な彼等同士の騙し合いであり、皆が皆、一ユーロでも余分に相続するためなら、一歩も譲らず何年でも法廷で戦う覚悟なのだ。
アンジェリ家の遺産に関しては、相手が世間知らずなオクタヴィアなだけに、彼等にとって楽勝出来るゲームのはずだった。彼等は共通の利益のために一時休戦し、アンジェリ家の遺産分割協議を少しでも有利に進めるために同盟を結んだ。
遺言状の有効性はあくまでも認めない、不動産の鑑定はポリーニ氏の評価額の正当性を主張する。
オクタヴィアが自分の言い分を通すには訴訟で戦わなければならない。
だが資金のないオクタヴィアが長丁場の民事訴訟を闘えるはずがない。
すぐにこちらの出す条件に屈服せざるを得なくなるだろう。
そうして、少しでも余分に相続し、続くオルガの遺産争いの軍資金に当てるつもりだったのだ。
しかし、彼等の計画はここに来て総崩れになった。これほど侮り、甘く見ていたオクタヴィアが予想外の攻撃を仕掛けてきた。
しかも、彼女は知ってしまったのだ、彼等がひた隠しにしてきた出生の秘密を――
数週間後、相続人の一人、ミケーレ・オルシーニが連絡してきた。
ミケーレは、電話で彼自身はオクタヴィアの出生の秘密を全く知らなかったと告げ、もし真実であれば然るべき法的手続きを取り、オクタヴィアが全てを相続すべきだと本心はともかく、好意的な言い方をした。
ダヴェーリオ弁護士の書状がメンギーニ達に激しい衝撃を与えたのは事実のようで、それまで張り切って遺産管理を仕切っていたレオナルド・メンギーニは書状を受け取るや否や全てを放棄してしまった。
彼等は間違いなく弁護士に相談するだろう。そして彼等が依頼する弁護士がキーパーソンになる。
ライモンディの目論み通りディ・マウロ弁護士の友人、マルタ・リッカルディ弁護士に依頼するかどうか――私達は緊張しながらライモンディからの報告を待った。
一週間後、ロメオが興奮で頬を紅潮させながら私に言った。
「彼等はマルタ・リッカルディ弁護士に正式に今回の件を依頼したそうだよ」
「本当?」
「間違いない。さっきライモンディから連絡があった」
ロメオは嬉しそうに頬を緩ませた。
「よかったわね。第一関門突破って所かしら?」
「うん。でも勝負はこれからだよ」
ロメオが顔を引き締めた。
ライモンディとロメオは毎日のように連絡を取り合っていた。
彼の話では、ライモンディとディ・マウロ弁護士の共通の友人で、メンギーニ一族の中では最も良識的なミケーレ・オルシーニが、メンギーニ達の内情をライモンディに随時、報告する役回りを買って出たらしい。
「早い話がスパイってことね」
このことをロメオから聞いた私は面白そうに言った。
「勿論、見返りとしてそれなりの謝礼を要求してくるだろうけどね」
ロメオは笑った。
「メンギーニ達はオルガ・メンギーニの遺産相続を巡って既に訴訟を起こしたらしい。だからミケーレとしては、アンジェリ家の遺産の方は示談で早く決着をつけて、裁判の軍資金にする気なんだろう」
「彼等は幾らぐらい要求してくるかしら?」
ロメオの顔が曇った。
「ライモンディの話では、とにかく欲の塊のような連中だから、きっと吹っかけてくるんじゃないかって。
彼の予想だと遺産の三十五パーセントだそうだよ。ディ・マウロは三百万から四百万ユーロだろうと言っているそうだ」
「三十五パーセントだなんて、それじゃあ用益権を金額に換算して相続するのと変わらないじゃない?」
私は憤った。
「母さんも三十五パーセントなんてとんでもないって怒っているよ」
「当たり前よ。そんな要求絶対に呑んだらだめよ」
私はきっぱりと言った。
「彼等がこちらの足許を見て付け込んでくるような連中よ。だから弱みを見せたら絶対にダメ。こちらで額を決めてそれ以上は絶対に譲らないと言う断固たる態度で挑むべきよ」
私はいつになく強い口調で言った。
メンギーニ達がダヴェーリオ弁護士からの書状を受け取ってから三週間がたったが、彼等の弁護士からはまだ何の連絡もなかった。




