鑑定
十月二十日、公証人ライモンディからボローニャ大学法学部の教授が作成した遺言状の見解書が郵送されてきた。
三十ページ以上に渡る見解書を要約すると、遺言状で譲与の対象となっているのは、不動産そのものではなく、不動産から得られるすべての収益、すなわち用益権であること。遺言状に記されたもう一人の相続人『或る人物』は名前もなく、身元の割り出しが不可能なため、この人物の相続権は無効であり、その権利はオクタヴィアに移転されること。用益権はオクタヴィアが死亡するまで続くこと。用益権を遺産の一部に換算することは困難だが、各不動産から得られる収入を査定し、オクタヴィアの存命中に得られると想定される金額を計算することは可能であり、そのためにはまず、全ての不動産の評価を行う必要があると言う内容だった。
「数日中に鑑定士を決定しなければならない」
ロメオは言った。
「私はフェルネーゼに評価して貰うべきだと思う。ライモンディの知り合いなら、五十パーセントにバルベリアとサン・マモロの物件が収まるように評価してくれるかも知れないでしょう?」
「問題はヴィラだ。ヴィラまでは五十パーセントに収まりきらないだろう。僕は遺言状の用益権を盾に何とかヴィラも母さんの相続分に含めたいと思っている」
しかしあの親族会の様子では、バルベリア通りとサン・マモロ通りの物件を両方相続するのさえ困難だろうと私は思った。
「レオナルドに電話したところ、彼等はどちらの鑑定士でも構わないらしい。
鑑定料が安いほうを選ぶつもりだと言っていた。僕はファルネーゼのほうが好ましいと言っておいたけどね。
今、ポリーニとファルネーゼの二人の鑑定士に鑑定料の見積もりを出してもらっているらしい」
しかし、鑑定料はファルネーゼのほうが高額だった。
レオナルド・メンギーニはポリーニに鑑定を依頼すると連絡してきた。
私達は行きつけのカフェでこのことについて話し合った。
「鑑定料を別に払っても僕達は僕達でファルネーゼに評価を依頼すべきだよ」
ロメオは主張した。
「同感よ」
私は彼に同調した。
「不動産の評価はとても重要だと思うの。評価額によって相続分はかなり左右されるはずよ」
しかしオクタヴィアは反対した。
「ファルネーゼの鑑定料は一万五千ユーロもするのよ。わたし一人で払うには高額すぎるわ。それに加えてポリーニの鑑定料の七分の一も払わないといけないのよ」
「母さんはファルネーゼに依頼するんだから、ポリーニの鑑定料を払う必要はないだろう」
「私だけファルネーゼに依頼すると言ったら、彼等はきっと怒るに違いないわ」
オクタヴィアは頑なだった。
「そんなこと関係ないだろう。不動産の評価はとても重要なんだ。彼等に遠慮することはないよ」
「とにかく、わたしはファルネーゼに依頼する気はありません。
彼等がポリーニに決めたなら、それでいいじゃないの。
わたしは必要以上にメンギーニ達を刺激したくないのよ」
オクタヴィアは怒り出した。
「母さん。別に悪いことをするわけじゃないんだよ。
納得のいく評価を信頼のおける鑑定士に行ってもらって何が悪いんだよ」
ロメオはなだめる様に言ったが、オクタヴィアはもう沢山と言わんばかりに彼の言葉を遮った。
「いい加減にしなさい!
相続人はわたしなのよ。
彼等との関係をむやみに悪化させたら、後でどんな嫌がらせをされるか分からないわ。
争いはもう沢山なの。
もう二度とこの話をしないで頂戴!」
彼女は激しい口調で言い捨てると、荒々しく席を立ってカフェから出て行ってしまった。
私達は顔を見合わせた。オクタヴィアはこうなると手がつけられない。
「なんだい、あの態度は?
僕達は母さんのために助言しているのに」
ロメオは憤慨した。
私は溜息をついた。
「今は何を言っても無駄よ。彼女の機嫌が直った時にもう一度説得してみたら?」
「判るかい?僕の苦労が。
ただでさえ大変なことに立ち向かっているのに、母さんは恐ろしくマイナス思考の上に気難しくて、機嫌が悪いと論理が全然通用しないんだ」
「あなたのお母さんでしょう?」
そう言いながら、私は憂鬱な気分になった。
しかしその数日後、ライモンディの元を訪れると事態は百八十度変わった。
ライモンディはオクタヴィアがメンギーニに合わせてポリーニに評価を依頼するつもりだと告げると、とんでもないと大反対した。
「奥さん。いいですか。
不動産の評価は遺産相続において最も重要な鍵になります。評価額によって貴女の相続分に何百万ユーロもの違いが出てくるんですよ。ポリーニは工学士ですが、土地のことや、アパートの賃貸状態のことなど全然判っていない。
その点、ファルネーゼは土地測量技師で不動産評価のプロです。
例え一万五千ユーロの鑑定料がかかったとして、それが何ですか?
この鑑定料を出し惜しんでポリーニなどに評価させたら後できっと後悔しますよ」
「でも、今のわたしに一万五千ユーロの鑑定料を一人で払うのは無理ですわ」
ライモンディのあまりの剣幕に圧倒されながらもオクタヴィアは遠慮がち言った。
「そんなことを気にしていたんですか!」
ライモンディは噛み付くようにそう言うと、呆れたように首を振った。
「お金のことは心配しないで下さい。鑑定料は私が立て替えておきます。ですからそんなつまらないことを心配せずに、私を信用して任せて下さい」
「判りました。お任せします」
オクタヴィアは数日前、あれほど頑なに拒んでいたのが嘘のように素直に同意した。
ライモンディには相手を一瞬のうちに納得させてしまうパワーと説得力があった。
そして、ライモンディは正しかった。
ライモンディの依頼を受けたファルネーゼがいざ不動産の評価を開始してみると、メンギーニ側の鑑定士ポリーニの評価額とかなりの差があることが明らかになった。
ライモンディの報告によれば、ポリーニが二百五十万万ユーロと評価したボローニャ郊外のゴベッティ通りにある土地を、ファルネーゼは建築可能地区で五百万ユーロ以上の価値があると鑑定した。しかも、メンギーニ達がわざと建築可能地区であることを伏せておくようにポリーニに指図した可能性があるらしい。
私は不動産や土地のことはまるで分からないが、鑑定士によって評価額にこれほど差があるとは驚きだった。
ライモンディによれば、ポリーニは確かに鑑定料が安いが、建物を外から眺めるだけで、中には入らずに評価を行なっているそうで、そのほとんどが賃貸されているサン・マモロ通りの物件に関しても、賃貸契約の条件や期限を全く調べずに鑑定しているようだった。
しかし、賃借者のいる物件の場合、賃貸条件や契約期間が後どのくらい残っているかによって不動産評価がかなり変わってくるそうなのだ。
「ポリーニは、賃借者のいる物件は通常の評価額から単純に三十パーセント引いて計算しているらしい。あまりにも杜撰だと思わないかい?」
ロメオは憤った。
しかも、途中経過を聞いてみると、ポリーニの評価額は、オクタヴィアが希望しているバルベルア通り、サン・マモロ通り、ヴィラ・マルヴァジーアの評価額がやけに高く、逆にゴベッティ通りの土地など、メンギーニ側に行きそうな物件の評価額が極端に低い。
これはどう考えても偶然とは思えなかった。
「これではっきりしただろう。
ライモンディも言っていることだけど、奴らはポリーニに自分達に都合がいいように評価させようとしている。母さんがあのまま意地を張ってファルネーゼに評価させることを拒否していたら、大損するところだったんだ」
ロメオは続けた。
「ライモンディはファルネーゼの鑑定が終了したら、その評価額を基に母さんの用益権が金額にすると幾らに相当するのか、計算することが出来るはずだと言っている」
「でもメンギーニ達がそう簡単に認めると思う?」
私はレオナルド・メンギーニの態度を思い出した。
前途多難なのは確かである。
「確かに、奴らのことだからそう簡単には認めないだろうね」
ロメオは頷いた。
「ただ、このままだと彼らが相続するのは虚有権しかない不動産で、売ることも活用することも出来ず、賃収入も全く彼等の懐には入らない。
だからライモンディは遺言状の用益権を放棄する代わり、用益権を現金に換算した額に相当する不動産を母さんが余分に相続出来るよう交渉するつもりらしい。
そのためにも、ファルネーゼが出す不動産の評価額はとても重要なんだよ」
「鑑定はいつ終わる予定なの?」
「一ヶ月半はかかるそうだから、十二月中旬になるそうだよ」
「一刻も早く、全てが終わるといいわね」
私は心からそう願っていた。




