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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第3章 メンギーニ一族
18/53

公証人ロベルト・ライモンディ

想像を上回る修羅場を目の当たりにして、どっと疲れが出た私達は取り敢えず、何か食べようということになり、サン・マモロ門にあるカフェに入った。


カフェの地下はボローニャ郷土料理を食べさせる小さなレストランになっていた。

中世時代の煉瓦のアーチが地下室独特の雰囲気を醸し出していた。


「母さん。署名した書類を見せてよ。」

ロメオが席に座ると待ち構えたように言った。

「ええ。でも私達の間だけの単なる取り決めよ。」

オクタヴィアはバッグから一枚の紙を取り出すと私達に見せた。

ロメオは真剣な顔つきで紙に目を通した。


************************************************:


 私文書


ロレンツォ・アンジェリの遺産相続に関して


レオナルド・メンギーニ、クラウディオ・メンギーニ、ジルダ・メンギーニ、イザベラ・ピッコリ、リディア・オルシーニ、ミケーレ・オルシーニ、オクタヴィア・セーラは法定相続人として、ロレンツォ・アンジェリの遺産を受諾し、遺産相続に関して以下のように取り決めることとする。


一.レオナルド・メンギーニ、クラウディオ・メンギーニ、ジルダ・メンギーニ、イザベラ・ピッコリ、リディア・オルシーニ、ミケーレ・オルシーニ、オクタヴィア・セーラは本日から二十日以内にロレンツォ・アンジェリの遺産相続受諾の署名を行うこと。


二.同時に下に署名せる者は、鑑定の専門家に依頼し、相続対象となる資産に含まれる全ての不動産の評価を行うこと。鑑定評価料は一万五千ユーロを越えないこと。鑑定士候補のポリーニ氏(あるいは第二候補としてライモンディ公証人推薦の鑑定家)と連絡を取り、鑑定評価にかかる費用の見積もりを出してもらうこと。


三.鑑定評価が完了してから四十五日以内に、評価額に基づいて対象となる不動産の分割協議を行うこと。分割は以下の二グループの間で行われる。レオナルド・メンギーニ、クラウディオ・メンギーニ、ジルダ・メンギーニ、イザベラ・ピッコリ、リディア・オルシーニ、ミケーレ・オルシーニを一グループとする五十パーセントの相続人、そしてオクタヴィア・セーラを一グループとする五十パーセントの相続人である。


四.上述の期日までに、遺産分割協議が合意に達しない場合には、本書に署名せる者は不動産を二等分に分割するよう努め、等分出来ない場合にも、差額は十万ユーロ以下であること。その上で上述「三」に記述されている通り、公証人の面前で双方に配分される不動産を決定すること。

 

二〇〇五年九月十七日 ボローニャ

これに同意する。

       レオナルド・メンギーニ

       クラウディオ・メンギーニ

       イザベラ・ピッコリ

       リディア・オルシーニ

       ミケーレ・オルシーニ

       オクタヴィア・セーラ

***************************************************


本文の下にジルダ・メンギーニを除く六人の相続人の署名があった。


「ここには遺産は五十パーセントずつ二等分すると書いてあるけど――」

私は指摘した。

「遺言状の用益権を不動産に換算して相続するつもりなら、これに署名したらまずいんじゃない?」

ロメオは青ざめた。

「本当だ。母さん――署名する前に読まなかったの?」

ロメオを責めるように母を見た。

オクタヴィアは動揺して蒼白になった。

「他の相続人は何も言わずにすぐ署名していたし――

それにこれは私達の間だけの取り決めごとで、正式な書類じゃないと思ったのよ」

「でも署名がある。私文書と言うのが、法的にどの程度の効力があるのかは分からないけど」

「ああ、これで私は遺言状の用益権を失ってしまったんだわ!」

オクタヴィアは絶望的な表情になった。

「まさか――これはあくまでも公証人の立会いなく交わされた私文書だし、専門家の意見を聞いてみないと――」

私はなだめるように言った。

「ライモンディに電話して聞いてみよう」

私文書を食い入るように見つめていたロメオが不意に口を開いた。


幸いライモンディは事務所にいた。電話で話を聞いたライモンディは問題の書類を持ってすぐ事務所に来るように指示した。私達は慌しく食事を終えると、ライモンディの事務所に向かった。


ライモンディの事務所はマッジョーレ広場の裏手にあるカルティエやグッチ、エルメスなどの高級ブランドのブティックが並ぶモダンなアーケードの中にあった。

事務所のベルを鳴らすと若い美人秘書がドアを開け、私達は奥の待合室に通された。

五分後、来客を送り出す大きな声が聞こえたかと思うと、ライモンディが颯爽と待合室に現れた。


私がライモンディに実際に会うのはこの日が始めてだった。

ライモンディは五十歳前後の体格のいい颯爽とした男性で、想像していたよりずっと若々しかった(私は公証人という響きからどうもは白髪の老人を想像しがちであったのである)。

瀟洒なスーツを着こなした公証人は、彫りの深い浅黒い顔と射るような眼光が強烈な印象を与えた。


私達はライモンディに急き立てられるようにして彼の書斎に通された。

その部屋は贅沢の限りを尽くした豪奢な調度品で装飾され、高額そうな古典主義の絵画が壁に掛かっていた。

ライモンディが厳しい顔つきで私文書に目を通している間、私達は固唾を飲んで彼の反応を見守った。


ライモンディは顔を上げると、判決を待つ罪人のようにうなだれているオクタヴィアに視線を向けた。

「奥さん、安心して下さい。貴女の用益権は無事ですよ」

ライモンディは優しく言った。

「――」

私とロメオをホッとして顔を見合わせた。

「では、わたしの権利は前と少しも変わらないんですね?」

オクタヴィアは救われたような表情を浮かべて顔を上げた。

「大丈夫ですよ」

しかし、ここでライモンディの表情が厳しくなった。

「だだし、このようなことは今後二度と起こらないようにして下さい。

貴女の署名は大きな意味を持っています。今回はたまたま大丈夫でしたが、署名ひとつで相続権を放棄させることも出来るんです。

ですから今後、貴女ひとりの判断でこういった書類に絶対に署名しないで下さい。

何かに署名をしなければならない場合には、署名する前に必ず私に見せて下さい。私文書と言っても、日付と署名がある以上、法的にれっきとした効力があることを覚えておいて下さい」

ライモンディは真剣だった。

「分かりました」

オクタヴィアは先生に叱られた子供のように素直に頷いた。

「しかし、貴女はこれで、ここに書いてあるように数日中に遺産受諾に署名しなければならなくなりました。

鑑定士はファルネーゼ氏をお勧めします。彼は私の旧知の友ですが、この分野にかけては、ボローニャでも数本の指に入る大変優秀な専門家です。彼に鑑定を依頼し、後は私に任せて頂ければ、来年の一月までにバルベリア通りとサン・マモロ通りの物件を貴女に相続させてみせますよ」

ライモンディは自信たっぷりに言った。


意識してそうしているのか、ライモンディのしゃべり方や立ち居振る舞いは映画によく登場する正義のヒーローを髣髴させた。


――スーパーマンみたい。

私の受けたライモンディの第一印象である。


彼が果たして本当に信頼できる味方なのかどうか、その時の私にはまだ分からなかったが、恐ろしいほどに頭が切れ、その上、自分の能力に絶大な自信があるのは明らかだった。


「よい報せもありますよ。例の教授から連絡があり、数週間に遺言状の見解書が出来上がるそうです。これは遺産分割協議を有利に運ぶ重要な鍵になるはずです」

ライモンディの語調は確信に満ちていた。


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