第一回親族会
九月十七日、私達は第一回親族会に出席するために朝からボローニャに向かった。
「親族の集まりに部外者の私がどうして行かなくちゃならないのよ」
せっかくの土曜日だと言うのに、朝六時に起こされた私は車の中でまだブツブツ文句を言っていた。
「僕達、もうすぐ結婚するんだから、もう家族同然だろう?」
ロメオは調子のいいことを言う。
「だって相続人はお義母さんでしょう?息子の彼女なんて、全然関係ないじゃない」
「まあそう言うなよ。二人より三人のほうが何かと心強いし、親族会が終わったら美味しいものでも食べに行こうよ」
ロメオは私をなだめるように言った。
「それから――」
ロメオは続けた。
「バルベリア通りとガリエラ通りの物件、それにヴィラ・マルヴァジアを希望することにしたよ」
私は顔を輝かせた。
「本当?」
ロメオは優しく頷いた。
「うん。サン・マモロ通りの物件はバルベリア通りに次いで価値の高い物件だから――最良の物件ばかり二つ希望したら彼等は絶対同意しないだろうからね。ライモンディは反対したけどね。彼はサン・マモロの物件に興味があるから、何としても母さんに相続してもらいたがっている。でも僕個人としてはヴィラのほうが好きだし、何と行っても君が一番気に入っている物件だからね」
「ありがとう。嬉しい!」
「でも、あのヴィラの使い道を一緒に考えてくれよ。廃墟のまま放っておくわけにはいかないからね」
「わかった。あのヴィラを救うためなら出来るだけのことをするわよ」
私は張り切って答えた。
「そう言えば親族会はどこで開かれるの?」
「ヴィラ・メリッサと言うボローニャ市内にあるミケーレ・オルシーニの屋敷だよ」
「ヴィラ・メリッサ?」
「もともとこのヴィラはわたしの祖父のものだったのよ」
オクタヴィアが口を挟んだ。
「それを彼がまだ二十歳の青年だった時、メンギーニ達はソマリアで事業を起こせば成功出来ると唆して、彼の持ち家だったこのヴィラを二束三文で売らせたのよ。祖父はその頃、まだ若くて世間知らずだったから、うまく丸め込まれてヴィラを手放して、そのお金でソマリアに渡って事業を始めたのよ。
アール・ヌーヴォー様式の美しいヴィラだったのに、その当時でも考えられないような安値で売却してしまったと母が昔言っていたわ」
「これで分かっただろう。メンギーニ一族は代々卑劣で強欲な奴らだったんだよ」
ロメオは怒りを込めてはき捨てるように言った。
「なんだか因縁を感じるわねえ。でもロメオの曾おじいさんもメンギーニ家の一員でしょう?」
「うん。僕の曾祖父とロレンツォの母親ジュリア・メンギーニの父親と、オルガ・メンギーニ達の父親は兄弟だったんだ。
曾祖父の父親ライモンド・メンギーニは清廉潔白で理想化肌の人だったけど、その兄のミケーレ・メンギーニは計算高くて強欲な人間だったらしいよ。だからロレンツォや僕の祖母側のライモンド・メンギーニの子孫と、レオナルド・メンギーニ達、ミケーレ・メンギーニの子孫では同じメンギーニ家でも全く別の人種なんだ」
「なんだかアベルとカインみたいね」
私は感慨深げに言った。
ボローニャ市内東北部にあるヴィラ・メリッサは美しい庭園に囲まれたアール・ヌーヴォー様式の館だった。
ミケーレ・オルシーニは妹のリディアと同じ細い魚のような目をした五十代半ばの長身の男だった。
「やあ、オクタヴィア。会えて嬉しいよ」
ミケーレは落ち着きのない笑顔を浮かべて私達を迎えると、親族会の行われる庭園に面した広い客間に私達を案内した。
先日会ったリディア・メンギーニとイザベラ・ピッコリはそれぞれ夫を伴って既に到着していた。
リディア夫婦とソファーで談笑している白髪の男は初めて見る顔である。
「オクタヴィアかい?」
白髪の男が立ち上がった。
「私はクラウディオ・メンギーニだ」
クラウディオはレオナルド・メンギーニによく似た明るい青い目と厳しい顔立ちをした六十代の男性だった。
「はじめまして。クラウディオ。息子とその婚約者を紹介しますわ」
オクタヴィアは私とロメオを紹介した。
「私も妻を紹介しよう。カミーラ」
クラウディオは窓際でイザベラ夫婦と談笑していた女性を呼んだ。
クラウディオの妻カミーラは神経質そうな顔をした痩せぎすの女だった。
「君のお母さんのレーアには何度もあったことがあるよ。いや実に美しい女性だった」
クラウディオは思い出すように言った
「若い頃の彼女は大変な美人で華やかな女性だった。しかし亡くなる前の数年間は相当お金に困っていたようだね。私も何度か電話で相談されたよ」
オクタヴィアの顔から微笑が消えた。
クラウディオの青い目にはそんなオクタヴィアの反応を楽しむような残忍な光が宿っていた。
何もこんな時にこんな話をしなくても――
私達はすっかり白けた気分になってその場を離れた。
しばらくするとレオナルド・メンギーニが娘のエリーザを伴って到着した。
「やあ。わたしが最後のようだね。これで全員揃ったわけだ」
「ジルダがまだじゃないの?」
イザベラが訊ねた。
「姉さんは欠席だ。彼女の旦那は重い心臓病を患っていて重体なんでね。それどころではないそうだよ」
レオナルドはまるで他人事のような言い方をした。
「それでは諸君、早速本題に入ろうじゃないか」
相続人一同はガラスと鍛鉄で出来たアール・デコ調の優美な丸テーブルを囲むようにして椅子に腰を下ろした。
私とロメオはオクタヴィアの後ろに椅子を置いて座った。
「ちょっとその前に――」
クラウディオ・メンギーニが手を挙げた。
一同がクラウディオを見た。
「ひとつ、はっきりさせておきたいことがあるんだが――」
クラウディオはオクタヴィアに顔を向けた。
「オクタヴィア、あんたには相続人としての権利が本当にあるのかね?」
「当たり前じゃないか。何を言い出すんだ」
ロメオは気色ばんだ。
「いやね。あんたの母親のレーアはアントニオ・メンギーニのソマリア滞在中にソマリア人の現地妻との間に生まれた娘だろう?だがアントニオ・メンギーニは娘を連れてイタリアに帰国してからイタリア人の女性と結婚した。だから相続権はアントニオの妻の子孫に与えられるべきじゃないのかね?」
この人は狂っている――
本気でこんな戯言を言っているのだとしたら、正気の沙汰とは思えない。
これがクラウディオ・メンギーニ
私はカイロリがレオナルド・メンギーニとクラウディオ・メンギーニはメンギーニ一族の中でも煙たがられていると言っていたことを思い出した。
そう言えば、以前遺産を相続人の間で七等分出来ないか弁護士に相談していると見当違いな事を伝えるためにロメオ達に電話してきたのも彼だ。
「何を訳の分からないことを言っているんですか?」
ロメオが呆れたように言った。
「祖母の両親は確かに正式に結婚していませんが、祖母はちゃんと娘として認知されています。それにその後、曾祖父がイタリアの女性と結婚した事が何の関係があるんですか。第一、その女性との間には子供はいませんでしたし、その女性の親族も現在存在しない。そんなことは裁判所が相続人を探した際にちゃんと戸籍調査して判っていることですよ」
クラウディオはロメオをジロリと一瞥すると更に食い下がった。
「大体、正式に結婚もしていないソマリア女性との娘であるレーアは本当にメンギーニ家の一員と言えるのだろうか?
実際、アントニオが娘を連れてイタリアに帰ってきた時、親戚一同がそんな混血児の娘にメンギーニの姓を与えることに大反対だったそうじゃないか」
クラウディオの語調には蛇のように陰険な響きがあった。
「いい加減にして下さい!」
それまで黙っていたオクタヴィアがついに怒り出した。
「貴方はわたしの母を侮辱するつもりですか?
一体何の権利があって――母の出生のことまでとやかく言うんですか?
母はちゃんと認知され、戸籍上もアントニオ・メンギーニの正式な娘です。これ以上妙なことおっしゃるなら、わたしはミラノに帰ります」
オクタヴィアは立ち上がると華奢な体を怒りでわなわなと震わせながらクラウディオ・メンギーニを睨みつけた。
「まあまあ。オクタヴィア。クラウディオに悪気はないんだよ」
レオナルド・メンギーニがとりなした。
いや悪意の塊だろう――と私は思った。
「まあ、ここは気を静めて本題に入ろうじゃないか」
オクタヴィアは渋々座ったが、その瞳はまだ怒りに燃えていた。
「さて、諸君もご存知の通り、遺産の五十パーセントをオクタヴィアが相続し、残りの五十パーセントは我々六人の間で分割される。そこでどうだろう。まず遺産の半分を相続するオクタヴィアがどの物件に興味があるか聞いてみようじゃないか」
一同の目が一斉にオクタヴィアに注がれた。
「わたしは――」
オクタヴィアは遠慮がちに切り出した。
「バルベリア通りとガリエラ通りの物件、それにヴィラ・マルヴァジーアを希望します」
「あら、貴女は遺産の九十パーセントを持っていくつもり?」
イザベラ・ピッコリが皮肉たっぷりな言い方をした。
「あら。五十パーセントなら、これで妥当な線だと思いますわ。勿論、正式に物件を評価してみないと判りませんけど」
オクタヴィアは反論した。
「しかし、バルベリア通りもガリエラ通りもボローニャ旧市街の最もロケーションに恵まれた物件だ。そんな物件ばかりを君が独占するのは不公平だろう」
今度はミケーレ・オルシーニが口を挟んできた。
「同感だわ。バルベリア通りの物件を取るならもうひとつは郊外のゴベッティ通りの物件を選ぶべきだわ」
とリディア・オルシーニ。
「いや。私はオクタヴィアが最も価値のあるバルベリア通りの建物全てを独占するのは納得いかないな」
今度はクラウディオ・メンギーニが口を挟んできた。
「バルベリア通りの物件は中が幾つものアパートに分かれているだから、バルベリア通りの物件からは一部のアパートだけを選んで――いや、いっそうのこと全ての物件から五十パーセントずつ取ると言うのはどうかね?」
「なに馬鹿なこと言ってるのよ――」
イザベラ・ピッコリが反論した。
「私達はその残りの五十パーセントを更に六等分しなくてはならないのよ。ややこし過ぎるわよ。第一、ヴィラ・マルヴァジーアの五十パーセントの更に六分の一なんて貰っても困るわよ。彼らがヴィラを欲しいと言うなら、ヴィラは彼らに貰ってもらったほうがいいでしょう。私はオクタヴィアの相続分が五十パーセントきっかりならあえて文句は言わないわよ。でも彼女が一パーセントでも多く相続するのは絶対に認められないわ。ただでさえ、私達の中で一番多く相続するんだから」
「ちょっと待ってくれ。君は六分の一と言ったが、七親等のミケーレとリディアが六親等の我々と同じ取り分と言うのはおかしいだろう」
「あら、レオナルド。私と兄さんの相続分にケチをつけるつもり?」
「当たり前だ。五十パーセントを五等分して、君とミケーレは五分の一を二人で分けるべきだ」
「いいえ。それは違うでしょう。もともと五親等のオルガ伯母さんがベースになっているんだから、あなたとクラウディオ、ジルダが五十パーセント。私、ミケーレとリディアが五十パーセントを相続して、七親等とミケーレ達は二十五パーセントを半分ずつ相続するというのが正しいと思うわ」
「なるほど、イザベラ。そうすると君の相続分が一番多くなるわけだ」
「あら、文句があるならちゃんと弁護士に立証してもらうわよ」
メンギーニ達は彼等の相続分を巡って言い争いを始め、収拾のつかない状態になった。
私は突然始まった彼等の醜い争いを呆然と傍観するしかなかった。
レオナルド、クラウディ兄弟が互いに噛みつかんばかりの罵り合いを始め、イザベラは醜い顔をさらに醜く歪めながら、小型犬のような金切り声を張り上げた。
リディアも負けてはいない。魚のような目をぎらぎら充血させながら反論し、それぞれの配偶者がこれに加わった。
クラウディの妻のカミーラは真剣質そうな眼を三角に尖らせて、義兄にくってかかった。
ただ、ミケーレ・オルシーニだけが、気弱そうな顔に困惑の色を浮かべ、妹や従兄弟の争いをおたおたと見守った。
「皆さん。これは提案ですが、相続する物件を決定する前に、まず各物件を専門家に評価してもらう必要があります。
鑑定士には裁判所が推薦する工学士のポリーニ氏かライモンディ公証人の知り合いで土地測量技師のファルネーゼ氏のどちらかを考えています。
それから現在、相続受諾に署名したのはレオナルドだけですが、相続税の支払期限も迫っていることですし、我々も相続を放棄する気がないなら近日中に署名に行くべきでしょう。
ですから分割協議の時期も含めて諸々の期日を私文書で取り決めておいたほうがいいと思うんですが、どうですか?」
メンギーニ達の中では一番理性的なミケーが混沌となった事態を収拾しようと、遠慮がちに口を挟んだ。
「同感だな。もう九月だし、これ以上ずるずる延びるのは私もごめんだ。私文書で期限を決めて、それに基づいて事を運ぶというのはいい考えだ」
レオナルド・メンギーニが同意した。
「それでは、私文書を作成しますので、相続人の皆さんは私の書斎に行きましょう」
ミケーレに促され、相続人達は奥の書斎に消えていった。
相続人でない私とロメオはメンギーニ達の配偶者とレオナルドの娘エリーザと共に客間に残された。
「お母さん、独りで大丈夫かな?」
ロメオは心配そうだった。
「さあ――でも、遺産分割に関することじゃないから大丈夫だと思うけど――」
私は自信なさげに答えた。
三十分後、相続人たちが客間に戻ってきた。
「それでは、数日中に鑑定士を決定しよう」
レオナルド・メンギーニは相続人を見回した。
「じゃあ私は早速、ポリーニとファルネーゼの両氏に鑑定料の見積もりを出してもらいますよ」
ミケーレ・オルシーニが快活な声で応じた。
更に相続税はアンジェリ家の土地の一部を売却し、その売却金で全員分支払うということで話がまとまった。




