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アンジェリ家の遺産  作者: 如月鶯
第一部 相続人
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プロローグ

プロローグ


    

「ロレンツォおじさんが亡くなった」


当時、まだ婚約者であったロメオからそう告げられたのは二〇〇五年二月十八日のことだった。

ボローニャの彼のおじさんについては何度か話を聞いたことがある。

ボローニャの名門アンジェリ家の出身で、ボローニャ旧市街に幾つもの不動産を持つ資産家であること。

これらの不動産はルネサンス時代の由緒ある建物にもかかわらず、長年手入れもせず放置してあるので老朽化が進み、今やほとんど廃墟のような状態であること。

ロレンツォは貧しい人々にこの荒廃した建物をただ同然で貸していること。

ロレンツォ自身は内気で人付き合いが苦手な変わり者で、こうした建物のひとつの最上階に独りで暮らし、猫を何匹も飼っていること。

ロメオと母親のオクタヴィアにはささやかな愛情を示し、時々電話がかかってくること。

難聴がひどいので電話が通じないことがしばしばあり、しかしSMSやメールなどの文明の利器とは縁遠い人なので、彼と連絡を取るには、電報を打たなければならないことなど。


おじさんと言ってもロメオの母方祖母の従兄にあたる従大叔父である。ロメオの父親は彼が二歳の時に離婚したきり全く音信不通であったから、彼の父方の親戚と言えばその母で二年前に亡くなった、孫のロメオを息子以上に愛していた祖母以外なく、母親のオクタヴィアとその母で三年前に亡くなった祖母のレーアは共に一人娘で、ロメオ自身も一人息子だったので、ロレンツォはロメオ達母子に残された最後の親戚だった。


「えっ――いつ?」


私は驚いて聞き返した。ロメオの祖母が急逝した三年前から、彼の口からたびたびロレンツォの名を耳にするようになった。二年前には母オクタヴィアと共に、ロレンツォに会いにボローニャまで行っている。しかし、具合が悪いと言う話は一度も聞いたことがなかった。それどころか、この風変わりなおじに好感を寄せるロメオは、次回ボローニャに行く時は必ず君を紹介すると言っていたのだ。


「去年の十一月九日に亡くなったんだ」


十一月九日と言えばもう三ヶ月も前のことである。ロメオの話によれば、昨日十七日の夜、カイロリと名乗る紳士から電話があり、ロレンツォの死と、オクタヴィアが法定相続人の一人であることを告げられたのだそうだ。


「来週中にカイロリ氏がミラノに来て詳しいことを話してくれるそうだよ」


そう話すロメオの表情は悲しみに沈んでいた。


「ロレンツォはまだ七十九歳だったんだよ。早すぎるよ――」


二年前、母と共にロレンツォに会ったロメオは、その時の彼の様子を、足の踏み場もないほど散らかし放題のアートメントで荒んだ生活を送っているものの、家の修理を自らこなすほど、体力的には元気だったと言っていた。そのわずか二年後に急逝するとは、オクタヴィアもロメオも、夢にも思っていなかったに違いない。


「昨年の夏、ロレンツォから母さんに電話があって、近いうちに僕たちに会いにミラノに来るって言っていたんだ。でもその後、全然連絡がないから、こちらから電話して僕たちがボローニャに行くって言ったら、絶対来てくれるな、私から連絡するからって頑なに拒むものだから、そのままにしておいたんだよ。まさか具合が悪かったなんて――」

ロメオは端正な顔をゆがめた。


これがボローニャの名門アンジェリ家の遺産を巡る、壮絶な相続争いの始まりだった。

この時、私はロメオのもたらした悲報を、恋人の遠縁の痛ましい訃報として受け止めただけだった。

しかし、このロレンツォの死によって、ミラノで、どちらかと言えば平凡な毎日を送っていた私は、壮絶な骨肉争いに巻き込まれ、イタリアの裕福層に渦巻く人間の欲と闇に飲み込まれていくのだ。


友人のナーディアから遺産の鑑定を行った土地測量士のファルネーゼ氏まで、この話を知る知人は皆、口を揃えてその稀有な経緯を書き残すべきだと私に勧めた。

「絶対に書き残すべきよ。長年、弁護士をやっているけれど、こんなケースにぶつかったのは初めてだわ」

特に弁護士として私達を支えてくれたナーディアは、彼女の特徴である、いささか弁論家めいた、熱烈で説得力のある口調で主張した。

「まるで映画が小説のような話だわ。こんなことが、あなたの身にふりかかるなんて――まだ信じられない」

ナーディアは善意の中に軽い羨望を込めて「信じられない!」と何度も繰り返した。


確かに、わたしにはこの話をまとめる資格があると思う。なにしろ、私は様々な人々を巻き込み、ボローニャの有力者達を虜にさえした、この波乱に満ちた遺産争いの発端から始終渦中にいて、その顛末をしっかり見届けたのだから。






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