魔王・イズ・バック その②
「そう落ち込みなさんな」
勇者に戒めを解かれ、今まさに洞窟の出口にいる。落ち込むなと言われても、そうする他ないとしか言いようがない。
「無比な魔法! 圧倒的な力! オーラ溢れる立ち姿! 全部失ったんだぞ!」
「涙の一つも流したくなるわ」
「自己肯定感が高いのは、よいことだね」
適当に話を流す勇者の後ろ姿を見る。随分、年をとったようだ。戦った時は小僧と呼べる程度の齢だったはずだ。
私の視線に構わず、彼は洞窟と外界を遮断しているであろう、両開きの扉を開けた。軋む音と石の擦れる音が混ざる。
扉の向こうに広がる光景に、わたしは息を飲んだ。
出口はガラス張りの、筒状になった通路につながっていて。その外側には果てなく広がる青色があった。その広大な空間を、魚たちが悠々と泳いでいる。
思わずガラスに手を張り付け、顔を近づける。魚だけでなく、鉄の塊も泳いでいる。あれは船だろうか。下を見れば砂と岩礁が一面に広がっている。これはまさにーーー
「海、なのか?」
勇者もガラス越しに、同じ光景を見ている。
「その通り。あなたの旧領でもある」
旧領? 信じられない。わたしの記憶する領地の様子と、この光景はおよそ一致しない。かつての支配地は、荒涼とした土地ばかりだった。
「何が起こった? いや、そもそもわたしはどれほど寝ていたのだ」
「様々な疑問が浮かんできただろう。少しは頭が冴えたかね」
「ああ、そうとも。貴様には聞きたいことが山ほどある」
「その言葉を待っていた」
勇者の横顔はどこか憂いを帯びていた。なぜかは、わからない。わたしは何も知らなさすぎるのだ。それだけは、わかる。
「通路の向こうに潜水艦を停泊させてあるのでね。話は道すがら聞くとするよ」
疑問。魔族の国は滅びたのかーーー滅びた。今や人類の国になった。
疑問。魔族は滅びたのかーーー人間社会に順応して、生きている者もいる。
疑問。あの戦いから何年経ったのかーーーわからない。
疑問。なぜわたしはこのような姿になったのかーーーわからない。
言葉を交わすうちに、総てが変わってしまったという念がますます強くなっていく。戸惑いを抱えたまま、歩く。その先には確かに潜水艦なるものが確かにあった。
「これが潜水艦だ、ようこそ」
見たこともない、鉄の船。潜水艦。海中を泳ぐことができるという。まだ魔族の国があった頃は、船は水上を行くものだった。今わたしがいる場所は、いよいよわたしの知る世界ではないのだと、強く思い知らさせてくる。
意を決して中へ足を踏み入れるーーー前に、勇者が肩に手を置き、制止してきた。
「待ってくれ。乗り込む前に一つ」
「なんなのだ?」
「魔王ザーラスは、この国では大層嫌われている」
「ザーラスの名を語るのは、やめておくべきだ」
「フン、嫌われる心当たりなどないぞ。心外だな」
「この国が水没したのは、魔王の厄災による、と考えられているのでね」
「なんだと。ますます心当たりがないぞ!」
水没などさせる前に、わたしは死んだのだ。加えて、そもそも水の魔法なぞ知らん。わたしは拳を突き上げて抗議したが、勇者は坦々と語り続ける。
「あなたがどう思おうと、それは構いやしないがね。そう教科書に載っているなら、民の多くはそう考える」
「むぅ。ならば偽名を名乗れと?」
「ロコだ」
「なに?」
「あなたの肉体の名前だ。丁度いいだろう」
「昔に死んだ娘だそうだ。理屈はわからないが、あなたは今その娘の体を借りてる状態なわけだね」
「ロコ…」
受け入れがたい。わたしは、わたしではないと否定されたような…そういった感覚。何とも形容しがたい気持ち悪さがある。だが、この娘が過去に生きていた人物だというのならば。
「この童も光栄だろう。このわたしを宿しているというのだからな」
誇り高く生きるべきだろう。魔王とはかくあるべきだ。何があろうと、立ち向かう。そういう生き方しか知らない。だがそう在れば、わたしはわたしであれる上に、この娘が恥をかくこともない。
「勇者よ。貴様の望みはなんだ。たっぷり聞かせてもらうぞ。来い」
タラップを乗り越え、潜水艦に乗り込んだ。ここまで新鮮な気持ちで足を踏み出すのは、いつぶりだろうか。何も知らない、何もわからない非力な自分。どういうわけか、それが嬉しい気もした。
勇者はわたしの後ろをついて来る傍ら、こう呟いた。
「ああ。それと」
「私も今や勇者ではないよ。大統領だ。ドラムス大統領」