魔王・イズ・バック その①
微かな冷気を感じる。風のない、柔らかな冷たさだ。眠気と暖、二つの欲求がぶつかり合って、心地が悪い。
「う…む」
後者が勝った。気だるい頭が、何とか腕に指令を出す。後ろ手の状態から動かない。何か手錠のようなもので拘束されているらしい。そうか、正座のような状態で寝ていたのか。腰を痛めるぞ、わたし。
いや、待て。手錠。拘束。物騒な響きをした言葉を前に、頭が急速に冴える。ここはどこだ。わたしはどうしてこんな所で寝ているのだ。寝る前は何をしていたーーー殺されたのだ、勇者と思しき男に。ならばなぜ、覚醒したのか。
手がかりを求めて、周りを見渡す。辛うじてものが見える程度の薄暗さ。黒い岩肌に囲まれている。円状の、狭い空間。肌寒さ。どこかの洞窟だろうか。見覚えはない。
しかし、この程度の戒めでこのわたしを縛ろうとは。どこの誰がやったのかわからんが、危機意識のないやつだ。
一つだけ確かなのは、ずっとここにいても仕方がないということだ。
ならば、万力すら凌駕する力で、拘束具を引きちぎる!
ーーー引きちぎろうとしたのだが、手はピクリとしか動かず、ガチャガチャという情けない音だけが響く。
「ふ、ふふ。なにかの間違いだろう」
予想外の事態に、思わず独りごちてしまった。フン、と気合いを入れて、もう一度!しかし、結果は変わらない。
「力が出せていないのか…なぜだ!」
愕然とする。拘束具に負ける魔王など、いるものか。何だか声の調子も悪いような気がする。本当に、どうしたものか。
不意に、まばゆい光がパッと、わたしを照らした。思わず目を細める。誰かが来たのか。頭がぐるぐると回り始める。これは幸か不幸か? この何者かは敵か味方か? 敵ならばどうやって戦う? 憶測が浮かんでは消える。
結局、出た結論は、どうしようもない、なるようにしかならない、だった。とにかく、相手の出方を伺うしかないようだ。
「ようやく見つけた。後は生きているかどうかだが」
目が慣れてきた。五人いる。口を開いたのは、最も前に出ている男だ。他の四人は後方で横一列に並び、こちらを見ている。
男がどんどん近づいてくる。心臓が脈打つ。脳が勝手に危険信号を出している。
冷静になれ。そう己に言い聞かせる。男は白い服の上に、黒い上着を羽織っている。見たこともない服装だ。異国の者かもしれない。
あれこれ考えているうちに、男の顔が眼前まで迫ってきた。顔の高さを合わせるために、かがみこんで来て。わたしが座位であるとはいえ、どれだけの大男なのだ。
「あなたの名前を教えてほしい」
男の第一声は穏やかなものだった。
「何を考えている? 貴様は何者だ?」
「怯える気持ちはわかる。しかし安心してほしい。私に害意はないよ」
「怯える、だと! わたしは魔王だぞ! 恐れるものなど何も無いわ!」
思わず怒鳴る。不躾なやつだ。戒めさえ解ければ、こんなやつ、敵ではないというのに。
しかも男は、怯むどころか笑っている。嬉しそうに笑っている。なんなんだこいつは。
「いや、失礼。安心したものでね。あなたをずっと探していた。魔王ザーラス」
「質問にも答えよう。私は誰だ、だったね」
「ずいぶん昔に、あなたと死闘を繰り広げた男。そう言えばわかるかね」
死闘。魔族とは覇権を求めてよく争っていたが、髭面の人類と戦ったことなどあっただろうか。
いや、髭面、髭面ではあるが、この顔はどこかで見覚えが。あ。
「あーっ!!! おのれ貴様、勇者!」
完全に思い出した! こいつどの面下げて!
くそ、とどめを刺しに来たのか。しかし、害意がないとも言っていたか。わけがわからない。
「お互い変わってしまったものだね。あなたもそんな姿をしているものだから、先ほどまでは魔王だと確信が持てなかった」
「それは、どういう…」
そう言いかけた時、彼が目の前に手鏡を差し出した。覗く。なんか知ってるような、知らないようなやつが映っている。ほう、人類の童か。人類の、ことに童の雌雄は分かりづらいが、多分メスだな。年端もいかない感じの子だが。そうか、鏡に映っているということは、これがわたし? わたしなのか? つまるところ、わたしは人類の童女。は?
「どういう…」
「どういう、悪ふざけだこれはっ」
否定と戸惑いとやるせなさをありったけ込めてぶちまける。
しかし。しかし。
洞窟内で、声が美しく反響するだけで、現実が変わることは無かった。