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ラッキーオーナーブリーダー  作者: 秋山如雪
第7章 試練の季節から追い風へ
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第44話 トツゲキオーのデビュー

 2004年7月18日(日) 函館3R(レース) 2歳新馬戦(芝・1800m)、天気:晴れ、馬場:良


 このレースでデビューするのは、「パンツ」ことコヤストツゲキオー。そして、舞台は地元、函館競馬場だった。


 圭介は、美里と相馬、それに真尋を連れて、函館に向かうことになる。普段は真尋は留守番が多いが、思い入れがある自家生産馬のデビューとあって、着いて行くことを懇願したのだ。

 三石町から函館市まで、約372キロ。高速道路を使っても5時間以上はかかる。その上、この当時はまだ道央自動車道が、長万部おしゃまんべ町までしか通じていなかった。(※現在は大沼公園まで)


 もっとも、北海道の広くて真っ直ぐで、信号機がほとんどない道は、高速道路を使わなくても、時間的には大して変わらないのだが。


 その道中の車内。

「いよいよパンツトツゲキオーのデビューか」

「だから、パンツじゃないって。あんたもしつこいわねー」

「あはははっ!」

 呆れたように嘆息する助手席の美里や後部座席で大きな笑い声を上げる真尋に対し、圭介は思い入れがある「パンツ」のデビューと言うことで、上機嫌だった。


 だが、後部座席の相馬は、競馬新聞を開き、低い声を上げていた。

「でも、兄貴。コヤストツゲキオーは58.6倍の最低人気ですよ」

 

 そう。このレースでは8頭の馬が出走するのだが、コヤストツゲキオーの前評判は低く、最低人気だった。

 圭介が持参したスポーツ新聞を見ると、馬柱には△印すらついておらず、完全に無印だった。つまりそれだけ期待値は低い。


「そうですか。騎手は誰ですか?」

古谷ふるや騎手です」


「古谷騎手なら、十分チャンスはありますね。何しろ今年のリーディングジョッキーですからね」

 圭介がハンドルを握りながら頷く。


 古谷静一(せいいち)。1969年産まれ、今年35歳になるベテランジョッキーだが、それよりもすごいのがデビューから何回もリーディングジョッキーになっており、すでに通算2500勝以上もしている、現在の競馬界を代表する名ジョッキーだ。そして、その年もリーディングジョッキー候補と言われており、事実、成績ではトップを走っていた。


 そもそも圭介は、調教師の関に任せきりだったから、騎手の指名は特にしていなかったが、この古谷騎手がコヤストツゲキオーのデビューに際して、騎乗したのは幸運だった。


 函館に着き、一泊。


 翌日、函館競馬場に向かうことになる。レースの発走は11時55分。


  函館競馬場と言えば、欧州で使われる緑が鮮やかな洋芝が使われているのが大きな特徴だ。芝の根付きの関係で野芝より馬場が柔らかく、非常に時計が掛かると言われている。その為、欧州血統やパワータイプの馬が活躍する傾向にある。


 同じく洋芝が使われている札幌競馬場が、勾配の殆ど無い平坦なコースなのに対し、函館競馬場は緩やかながらも最大高低差3.5mのアップダウンがある。


 約260mとJRAの10競馬場の中で最も短い最後の直線の部分はほぼ平坦。豊富なスタミナと、先行力が好走には求められる。


 また、スタートから最初のコーナーまで距離が短めなので先行争いは激化する傾向にある。


 例によって馬主エリアの馬主席に向かう前に、券売機で相馬は賭けていたが、その勝馬かちうま投票券を見せてもらうと。


 彼はコヤストツゲキオーに、単勝で5000円も買っていた。もし勝てば、30万円近くの金が手に入ることになる。


「相馬さん。勝ったら、奢って下さいね」

 と、期待の目を向ける美里に、相馬は、


「すみません、姐さん。ほとんど返済に消えます」

 と、相変わらずダメ人間のようなセリフを吐いていた。


 馬主席から眺めることになるが、このレースが後に「伝説」となるくらいのレースになるとは、誰しも思ってはいなかった。


 そして、「奇跡」が起こる。


 8頭立てのレース。2枠2番で、8番人気の58.6倍。

 もちろん、その場にいた誰しも「期待」なんてしていなかっただろう。


 しかし。

「スタートしました。まずは先行するのは……」

 コヤストツゲキオーはいきなりスタートから出遅れており、1コーナーから2コーナーに入る頃には、最後方の8番手になっていた。芦毛の馬体がよく目立つ。というより、他に芦毛の馬がいないため、どこにいても彼は目立った。


 このレース自体、全体的に超スローペースで、1000mの通過タイムが1分12秒だった。3コーナーを周り、最終の4コーナーを回っても、コヤストツゲキオーは最下位に沈んでいた。


 それを見ていた圭介は、

(やっぱりダメか)

 と、半ば諦めていたが、実は相馬の見解は違っていた。

(じっくりと脚を溜めている)

 と、彼は見ていた。


 最終コーナーを回って、最後の直線。わずか260mしかない、短い函館競馬場の直線の、残り200m。


 その200mを表すハロン棒を過ぎたあたり。

 彼は一気に加速した。


「大外からコヤストツゲキオーがすごい脚で飛んでくる」

 実況中継が、多少だが興奮気味に告げていた。だが、文字通りまるで「飛んで」きたかのような脚だった。


 彼は恐ろしいほどの「末脚」を発揮したのだ。

 急加速し、1頭、また1頭と大外から文字通りの「ごぼう抜き」を演じたのだ。気が付くと、最後の直線の残り200mだけで全頭を抜き去っていた。まるで「力を溜めて一気に爆発させた」かのような見事な競馬だった。


 そして、見事に、

「コヤストツゲキオー、まとめて差し切って、1着でゴールイン!」

 競馬場から小さいながらも歓声が上がっていた。


 さらに驚くべきことに、終わってみると、上がり3ハロンのタイムが、12.8、11.9、11.1という物だった。


「やったー! パンツくん、勝ったね!」

「ああ。さすがパンツだ」

「ああ、もう。面倒だからパンツでいいわ」

 真尋、圭介、そして諦めた表情の美里が口々に喜びを表現する中、相馬は、


「よし! 30万円!」

 と、大喜びで吠えていた。


 58.6倍の最低人気から、一気に巻き返し、大穴を開けたコヤストツゲキオー。


 勝利者インタビューに続いて、彼らはオーナーとして「口取り式」に参加することになる。


 そこで、圭介は憧れの騎手、古谷静一に出逢う。

 本物の古谷静一騎手は、圭介が思ったより小柄で、女性のように細身だったが、目に力があり、そして柔和な笑顔を浮かべる、人当たりのいい性格に映った。


「サインして下さい!」

 と、もはやオーナーと言うより、一ファンのような態度で臨み、古谷から苦笑されていたが。


 彼は口取り式が終わった後、興味深い一言を圭介に残したのだった。

「いい馬ですね。将来性はありそうですよ」

「本当ですか?」


「ええ。少なくとも距離適性的には合ってますね。1800~2000mくらいで結果を残しそうです」

 騎手として、実績がある古谷騎手が残したその一言は、彼ら弱小の子安ファームのメンバーにとって、大きな「後ろ盾」になる。

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