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ハニートラップに気を付けて

作者: うたた寝

視点がコロコロ変わります。長いです。よろしくお願いします。

女:A国諜報員。コードネームアゲハ蝶。B国による国王暗殺計画を防いだ事でその名を知られるようになった。特殊魔法ー魅了


男:B国諜報員。コードネーム黒豹。知らぬ者はいない程の大物諜報員。多くの諜報員を従え組織的な諜報を行っているが、その正体は謎に包まれている。特殊魔法ー魅了 





❖❖❖





私はA国の諜報員。コードネームは「アゲハ蝶」だ。知る人ぞ知る凄腕の諜報員。巷では「アゲハ蝶に盗めない情報はない」とまで言われている。なにせ私は15歳で華々しく諜報員としてデビューして以来、任務に失敗した事がない。だから当然難しい任務を与えられる事が多い。


今日は組織のボスから新しい任務をもらう日だった。いつものように政府の建物に行き、統計調査局の名札が下げてある部屋に入った。勿論、統計調査局なんて名前は嘘っぱちだ。本当の名前は国家情報局。


部屋に入ってしばらくするとボスが来た。


「またお手柄だったわね、アゲハ蝶。貴方のお陰で魔道具工場が爆破されずに済んだわ」


「はい。なんとか未然に防げて良かったです。ミスターK」


ミスターKはにっこりと笑った。美しい金髪と透き通った翡翠(ひすい)色の瞳。ミスターKなどと呼ばれているが、その正体は誰もが見惚れる程の絶世の美女だ。我が国の情報部では、ケクラン家の中で最も魔法能力が高い者がミスターKを名乗る事が決まっている。


何故そうなのかはケクラン家に伝わる特殊魔法が関わっているらしいのだが、詳しい事は私も知らない。今までミスターKを名乗った女性は何人もいるそうなので、特殊魔法には男女の性別は関係ないのだろう。


ミスターKの名前は、我が国で諜報員を取りまとめるボスのコードネームとして他国に知れ渡っていた。


「それで、貴方に新しい任務があるの。B国への潜入捜査よ」


ついに来たか。私はグッと手を握って気を引き締めた。今までは国内の任務だけだったが、いずれは国外へ行かされるだろうと思っていた。国外での任務はエリート中のエリート諜報員にしか許されない。光栄と言えば光栄だが、その分命懸けの任務になるのだ。


「いよいよ国外ですか……。わかりました。それで、どんな任務なんでしょうか?」


「実は、黒豹が見つかったの」


「そうなんですか??」


驚いて思わず聞き返した。今まで全く尻尾を掴めなかった黒豹が見つかるなんて凄い。


「ええ。彼の表向きの顔は通訳だったのよ。各国の使節と共に様々な国を訪れて任務に当たる。要人と簡単に会える立場にあるから、任務がやりやすいってわけね。実際に何カ国語も話せる秀才らしいから、裏の顔を持っている事がなかなか見抜けなかったの」


「なるほど………」


「貴方の任務は、黒豹に近付いて、我が国に潜り込んでいるB国諜報員のリストを手に入れる事。この前の爆破は未然に防いだけど、まだまだ潜り込んでいる諜報員がたくさんいるわ。それを何とか見つけ出さないと」


「わかりました、ミスターK。私にお任せを」


「頼んだわ、アゲハ蝶。貴方の能力『魅了』を思う存分発揮して、黒豹を仕留めて頂戴」


そう言うと彼女はにっこりと微笑んだ。





❖❖❖





俺はB国の諜報員。コードネームは「黒豹」だ。知る人ぞ知る凄腕の諜報員。名前だけは有名になったが、俺の正体を知る者は殆どいない。B国諜報員でさえも。


今日は急遽本部に呼ばれた。珍しい事もあるもんだと思いながら、本部がある魔法技術部へ向かった。B国情報部の本部はこの魔法技術部の中にある。


ここは様々な魔道具を作り出す研究所だが、そのど真ん中に情報部があるのだ。これには理由がある。B国には魔法を使える者が少なく、おまけに遺伝的に魔力量がかなり少ない。必然的に科学技術や魔道具技術を発展させる事で、他国に負けないようにしていた。


建物に入り長い廊下を歩く。左右には研究室がずらっと並び、その横を通り過ぎて廊下の突き当たりにあるボスの部屋をノックした。扉を開けると背が高くて少し癖毛の銀髪丸眼鏡の男が俺を出迎えた。


「よう!ジェームズ。調子はどうだ?」


「最悪だ!突然呼び出しやがって。せっかくの休暇が台無しになった。どうしてくれるんだ」


「まあ、そう言うなって……」


奴は俺に椅子を勧めた。軽口が特徴のうちのボスだが、そのノリとは裏腹に実力は本物だ。


我が国では、魔法技術部のトップが情報部のトップを兼任する決まりになっている。B国史上最年少でトップに就いた天才。それがこの男ライリーだ。14歳で魔道具を使った通信網を構築して皆の度肝を抜き、16歳で技術部と情報部のトップに就任。以降B国を率いている。


B国諜報員のトップはミスターXと呼ばれ、そのコードネームは周辺の国々に知れ渡っていた。


ちなみにコイツは俺の幼馴染みでもあり、幼い頃から一緒に牛を追い回した仲だ。きちんと公私を使い分けてはいるが、二人だけの時は気楽な友人に戻る事も多かった。


「奴ら食いついたぜ? 何せ餌をたっぷりとまいておいたからな」


ライリーが不敵に微笑んだ。


「そうか。楽しみだな。で、誰が来る?」


「アゲハ蝶だ」


思わず口笛を吹いた。


「あの凄腕って噂のか? 奴はA国内だけの任務じゃなかったのか?」


「それが、満を持して我が国に来るらしい。A国内の情報提供者からの情報だ」


「どんな奴だ?名前のイメージ通り、やっぱり女なのか?」


「わからん。ただ、これからお前に接触してくる奴は全てアゲハ蝶だと思っておいた方がいい。そして奴とうまく接触出来たら、ミスターKの情報を聞き出すんだ。名前、姿、どんな物を好むか……。とにかく何でもいい。断片的な情報でも、たくさん集められれば追跡出来る」


「凄いな。何でもいいのか?」


「ああ。本当は持ち物を手に入れられれば一番いいんだが、流石にそれは無理だろうからな。多くの情報を集めて絞り込んでいく。うまく的が決まれば、あとは追跡してドカンだ」


「追跡型爆破の魔道具だっけ?相手が死ぬまでずっと追いかけるって話だったよな。この前はまだ試作品だったのに、もう出来たのか?」


俺がそう聞くと、キラリと眼鏡を光らせてライリーは笑った。


「おいおい。誰に聞いてるんだ?既に()()()仕上がってるぜ。あとはミスターKの情報を入れるだけだ。数週間後に奴は木っ端微塵になってただの肉片になってるよ」


「………なるほど。流石だな」


「せっかく『黒豹』の情報を、わざわざあちらさんに流したんだ。うまく食いついてもらわらないと困る。さ〜て。あとは頼んだぜ?きちんとお前の『魅了』の力で落としてくれよよな?この色男」


「了解」


俺は片手を上げて軽く返事をしてから部屋を出た。流石はライリーだ。ああ見えて抜け目がない。何手も先を読むしたたかさがないと、ミスターXは名乗れない。


今回はミスターKの情報を得る為に、わざと俺の情報を流した。A国情報部の屋台骨であるミスターK。奴は多大な権限を持ち、その力はA国政府中枢にまで及ぶという。奴を殺せばA国情報部はガタガタになるだろう。奴らは魔法を駆使してこの国で好き放題やっている。このままやられっぱなしにさせるわけにはいかない。


ミスターKの情報はずっと追っているが、A国内では監視が厳しくてうまく情報を集められなかった。そこでミスターKの側近をB国におびき寄せたというわけだ。


あとは俺の出番だ。俺の「魅了」の力は強力で、今まで任務に失敗した事はない。B国の人間は、魔力も少なく特殊魔法が使える者も少ないから、俺の持つ特殊魔法「魅了」は重宝された。幼い頃は煩わしいと思っていたが、今となってはこの国を守る貴重な戦力になっている。


これから俺に接触してくるであろうアゲハ蝶。凄腕の諜報員だ。気を引き締めてかからないと殺られるな。そう思いながら本部を後にした。





❖❖❖






私の目の前にとんでもないイケメンが座っている。


黒豹こと、イーサン=トレヴァー。


イーサンは勿論、偽名だろう。蒼い瞳に艶のある黒髪。背が高く肩幅もあって全体的に骨が太い感じだ。そのがっしりとした骨格の上に鍛え上げられた筋肉を纏い、さらにその上から黒いジャケットを羽織っていた。その姿は誰が見ても「確かに黒豹だ」と思う位に、黒い猛獣そのものに見えた。


何て事かしら。


待ち合わせ場所に行き、彼をひと目見たその瞬間、私は思わず見惚れてしまった。


どうしよう。凄まじくタイプだわ。タイプどころか私のストライクゾーンのど真ん中。一瞬でものの見事に私のハートは撃ち抜かれてしまった。まずいわ。非常にまずいわ。


私は心を落ち着ける為に、必死で諜報員養成所の校歌を思い出した。


「我らがA国諜報員。暗殺潜入お手の物。キックだ!パンチだ!隙を見て逃げろ!行け行けA国諜報員!己の道をまっしぐら!!」だったかしら。よし。なんだか落ち着いてきたわ。


私は表情を取り繕うと、よろめきそうになる体をなんとか立て直した。そして凄まじい色気を放つその男に負けないように己を奮い立たせた。頑張るのよティファニー。なんたって貴方は孤高の諜報員、アゲハ蝶なんだから。


「グレース=アシュベリーですわ。初めまして」


偽名を名乗り、私はにっこりと微笑んだ。


「こちらこそ。イーサン=トレヴァーです」


イケメンはニッコリと笑った。


ああああ!笑顔が眩しいッ!!


クラッとよろけそうになったのをもう一度立て直した。ナイスよ、アゲハ蝶。やるじゃない!


私とイーサンは顔を見合わせて微笑んだ。





❖❖❖





俺の目の前にとんでもない美女が座っている。


アゲハ蝶こと、グレース=アシュベリー


勿論グレースは偽名だろうが、そんな事はどうでもいい。まさかアゲハ蝶がこんなに美人とは。


輝く瑠璃色の髪に薄紫の瞳。瞳は光を反射しやすいのかキラキラと輝いている。色彩豊かな髪と瞳に白い肌。黒いワンピースを身に纏った姿はまさしく「アゲハ蝶」そのものだった。どこからどう見ても凄い美女だ。


何て事だ。


待ち合わせ場所に行き、彼女をひと目見たその瞬間、俺は思わず見惚れそうになってしまった。


だが、それを必死に隠して何食わぬ顔をした。ポーカーフェイスは諜報員の基本だ。本当に訓練しておいて良かった。間抜けな顔をしてボケーッと見惚れないで済んだからな。


しかし困った。彼女は凄まじく俺のタイプだった。タイプどころか俺のストライクゾーンのど真ん中だ。一瞬で、ものの見事に俺のハートは撃ち抜かれてしまった。困った。非常に困った。


しっかりしろ俺!お前はあの「黒豹」だぞ?こんな事でどうする!


俺は自分を叱咤して、気持ちを落ち着かせる為に心の中で√3を唱えた。1.73205080757……………。よし、落ち着いたな。


冷静になって彼女を観察した。彼女は俺を見た瞬間に何故か瞳をキョロキョロと泳がせた後で、いきなり無表情になった。と思ったら、何故かヨロヨロしながら椅子に座った。何だ何だ?どうも様子がおかしい。


「グレース=アシュベリーですわ」


彼女がにっこりと笑った。


「こちらこそ。イーサン=トレヴァーです」


俺が微笑むと何故か彼女はヨロッとしたが、その後にいきなり姿勢を正してキリッとしていた。やはり挙動不審だ。まさか今の「ヨロッ」が魔法攻撃じゃないだろうな……。


俺とグレースは顔を見合わせて微笑んだ。





❖❖❖




イーサンとのお付き合いはうまくいっている。良かったわ。取り敢えず第一段階はうまくいった。


正直言って、彼にどうやって近付くかというのが一番の悩みだった。何故ならいつもは他のメンバーが全て下準備をしてくれるので、私は与えられた役をこなすだけだったからだ。


言われた通りに変装してターゲットに近付き、必要な情報を抜く。すぐに別の現場に行って同じ事をする。「魅了」の力はかなり特殊で、使える人間は私しかいない。何せ魔法大国A国ですら、三百年に一人しか現れないという逸材なのだ。だから効率良く私が動けるようにして、現場をまわしているわけだ。


ところが今回の任務は、何故か完全なる単独行動。そして潜入捜査なんて物は、実は私は初めてなのだ。下準備や調査やターゲットにどうやって近付くかなどを、全て自分で考えなければならない。


色々と悩んだ私は、知り合いからの紹介という形が一番怪しまれないだろうと思い、まずは彼の上司に近付く事にした。


上司行きつけの高級バーに勤め「魅了」を使って仲良くなる。次に「良い人を紹介して欲しい」と頼んだ。出来るだけ早く結婚したい。結婚して余命僅かな母を安心させたいと涙ながらに話せば、大喜びで協力してもらえた。そうして無事にイーサンを紹介してもらって、お付き合いが始まったのだが。


イーサン………。


色男過ぎる!素敵!!たまらない!!


待ち合わせ場所で私を見た瞬間に浮かべる笑顔も、私の話を聞いて少しだけ口角を上げる仕草も、色っぽく耳元で囁く声も、全部全部素敵だ。酔っ払いに絡まれた時はあっという間に取り押さえてくれた。


疲れて気怠げにしている所も良い。凄まじい色気がダダ漏れてしまっている。何て事かしら。駄目よアゲハ蝶。ダメダメ!彼は敵なんだから、本気になっちゃ駄目。


私は気を取り直して「魅了」を使った。毎回彼と会う度に「魅了」をかけている。こう見えてもきちんと仕事はしているのだ。


私の「魅了」は目を使う。ターゲットを見ながら軽く目を見開くだけだ。視界に入れればいいだけなので視線を合わせる必要はないが、もしターゲットと視線が合えば、より強く魔法をかける事が出来る。彼ほどの大物諜報員にいきなり強い魔法を使うと、気付かれる可能性が高い。だから初めは弱くかけ、少しずつ強くしていっている。調整は可能だ。


ただ、何故か黒豹は「魅了」が効きにくかった。魔法は相性があるので、相手によってかかりづらい場合がある。多分彼は私の魔法がかかりにくいタイプなんだろう。だから少しずつ魔法を強くしている所だ。時間はかかるが、気長にやればきちんとかかるから大丈夫。だって私はアゲハ蝶。失敗した事なんてないもの!!


きちんと「魅了」がかかれば、うっとりとした目つきで私を見るようになる。そうなれば任務は殆ど成功だ。頑張るのよ、アゲハ蝶!!


いつものように彼と食事を楽しんだ後、彼の頬にキスをした。私を見下ろす彼と目が合う。その隙を見逃さず私は軽く目を開いて「魅了」を使った。彼は微笑みながら耳元で「おやすみ」と囁いた。


私達は見つめ合ってにっこりと微笑んだ。





❖❖❖




グレースとの付き合いはうまくいっている。良かった。取り敢えず第一段階はうまくいった。


正直言って、どうやってアゲハ蝶と接触するかが一番の問題だった。アゲハ蝶は男か女かもわからないし、年齢もわからない。なんとかしてアゲハ蝶を見つけなければならない。


そこで俺は、俺の前に姿を現した人間を徹底的に調べあげる事にした。行きつけの食堂のオバチャンや、公園でたまたま煙草をくれた爺さん。果ては毎日すれ違うだけの人間までも。こんな奴は違うだろうとツッコミを入れたくなるような奴まで、徹底的に調べた。


だが、なんと敵は正々堂々とやって来た。


「君に是非紹介したい女性がいるんだよ」


上司に紹介された女性の名前は、グレース=アシュベリー。ダラム地方出身で、母親と歳の離れた弟が一人いるらしい。


すぐに組織の者に調べさせた。確かにグレース=アシュベリーは存在するが、今は工業都市の繊維工場に出稼ぎに行っていた。つまり高級バーで働くグレースは偽物という事だ。


何故こんな雑な潜入をするのだろうか。こんなに雑な仕事をするなんて、本当にアゲハ蝶なんだろうか??俺は不思議に思ったが、様々な調査結果を見れば彼女がアゲハ蝶である事に間違いはなかった。


「なるほどな。つまり正々堂々と闘おうという隠れたメッセージだな……」


つまり奴はこちらを挑発しているわけだ。捕まえられるもんなら捕まえてみろと。ならば正々堂々と受けて立とうじゃないか。そう思ったのだが……。


何て事だ!グレース!!


可愛い過ぎる!!たまらない!!


待ち合わせ場所で俺の顔を見るなり浮かべる笑顔も、俺の話を聞いて楽しそうに笑うのも、全部全部可愛い。俺が酔っ払いを取り押さえたら目を輝かせて俺を見ていた。


パッと見では、ツンケンしているように見えるんだよな、グレースは。でもそんな事は全然なくて、嬉しい時は分かりやすい位にあどけない笑顔を見せてくれる。そのギャップがたまらない。


クソ!駄目だな。しっかりしろ黒豹!彼女は敵だ。ミイラ取りがミイラになってどうする!!


俺は気を取り直して「魅了」を使った。毎回彼女と会う度に「魅了」をかけている。彼女ほどの大物諜報員に、強い魔法をかけると気付かれる可能性が高い。だから初めは弱くかけて、少しずつ強くするようにしている。


ただ、何故かアゲハ蝶は「魅了」がかかりにくかった。今までの任務でも魔法がかかりにくいタイプはいたから、アゲハ蝶はそのタイプなんだろう。


俺の「魅了」は強力だから、彼女のようなタイプでも時間をかければ必ずかかる。なにせ俺は千年に一人しか現れないという逸材なのだ。今まで落とせなかった者は一人もいない。ただもう少し魔法がかかりやすいように、会う頻度を多くしてもいいかもしれない。


いつものように彼女と食事を楽しんだ後、彼女が俺の頬にキスをした。グレースの顔が少し赤くなっている。どうも調子が狂うな。諜報員のわりに色事が苦手というか、随分と初心(うぶ)な感じがする。ハニートラップなら今の時点で、情熱的な口づけを交わす位の事はしそうなのに。


見下ろすと彼女と目が合った。すると彼女は軽く目を見開いた。


「????」


変わった癖だなと思いながら、俺は穏やかな笑みを浮かべて彼女の耳元に唇を寄せた。


「おやすみ」


俺の「魅了」は声を使う。大きな声を出すと周りの者まで魅了にかかってしまうから、こうしてターゲットの耳元で囁くわけだ。


俺とグレースは見つめ合って微笑んだ。






❖❖❖





私の「魅了」はコントロールするのが難しい。情報局に入局してみっちりと訓練して今はだいぶマシになったが、それまでは本当に大変だった。なにせ道行く人に軽く会釈しただけでプロポーズされるのだ。


「お嬢さん!愛してます!!俺と結婚して下さい!!」


「私、あなたと話すのは初めてなんだけど……」


「そんな事はどうでもいいんです!!結婚してくれなかったら今ここで死にます!!」


「やめてぇぇぇ!!!誰か止めてあげてぇぇぇ!!」


いつもこんな調子だ。おかげで男性と話すのがめっきりと苦手になってしまった。女性にも私の「魅了」は通用するが、男性相手の方がより強力に効いてしまう。いきなり全裸の男に襲いかかられた事もあるから、そんな目に合えば誰だって男性が苦手になるだろう。


そんな訳で、私ーアゲハ蝶には恋愛経験が全くなかった。誰とも付き合った事がなければ、キスはおろか男性と手を繋いだ事もない。考えてみれば、そんな経験ナシのゼロ女が、完全無欠のイケメンを相手にするなんて無謀極まりない事だったのだ。


イーサンと付き合い初めてから二ヶ月。私はイーサンにメロメロになりそうな自分の気持ちを、必死に抑え込んでいた。


交際は順調そのものだ。週二回の食事に休日のデート。手を繋いだりボートに乗ったりピクニックに行ったりと、本当に楽しい……じゃなかった、忙しい。


イーサンは、私がボートから落ちた時はすぐに飛び込んで助けてくれたし、おかしな男に絡まれた時もすぐに投げ飛ばしてくれた。流石は諜報員だ。黒豹は喧嘩にもめっぽう強かった。


私は自分で落としたナイフに殺されかかった位のポンコツだし、水に自然に浮く事も出来ない程のカナヅチだ。だから池に落ちた時は本気で死を覚悟して、静かに目を閉じた。イーサンが助けてくれなかったら本当に死んでいた所だった。


走るのもダメだし覚えるのも苦手。他にも出来ない事はたくさんある。実はこの私ーアゲハ蝶は、諜報員としてはダメダメ人間なのだ。唯一の取り柄は「魅了」が使える事だけ。もしこの能力がなければ、諜報員になんてなってなかったと思う。


そんなダメダメな私を、イーサンは何でもない事のように颯爽と助けてくれる。これでは好意を抱くなという方が無理がある。


駄目よ、ダメダメ!!好きになっちゃ駄目よ。アゲハ蝶!!


何度も助けてくれたお礼に、クッキーを焼いてイーサンに渡したらとても喜んでくれた。本当に楽しい……じゃなかった、忙しい。


これは任務よアゲハ蝶!!だからデートをたくさんするのは任務なの!!


楽しいのは任務のおまけだから仕方ないの!!どんどんデートして、うまく私の魅了でノックアウトするのよ!!行け行けアゲハ蝶!!


今日も私は自分自身を叱咤激励するのだった。





❖❖❖




俺の「魅了」はコントロールするのが難しい。幼い頃からずっと訓練してきたが、大きくなるに従って魅了の力も強くなっていったから、結局はイタチごっこだった。魔力を封印する魔道具もあるが、それでも「魅了」の力はうまく封印出来ないらしい。魅了が特殊と言われる所以だ。


大人になると急に「魅了」の力が安定した。それでやっと完璧にコントロール出来るようになったが、それまでは本当に大変だった。なにせ道行く女性に軽く挨拶しただけで迫られるのだ。


いきなり服を脱ぎだすお姉さんに何度ギョッとした事か。おかげで女性に対してかなり苦手意識を持つようになってしまった。俺の魅了は男性にも通用するが、女性相手の方が強力に作用するようだった。


だから俺はずっと女性を避けて生きてきたが、男子たるもの、こんな事では駄目だろうと思い立った。ましてや「魅了」を生かすために諜報員にまでなったのだ。ハニートラップ位、余裕で出来る位にならないと。


そう思った俺は娼館で修行する事にした。娼館ではとにかく喋らないように徹した。俺の「魅了」は声に乗せて使うから、声をなるべく聞かせない方がいい。普段だったら完璧に「魅了」をコントロール出来るが、流石に性的に興奮している時にうまくコントロール出来るかは、自信がなかった。


そしていざチャレンジしてみたはいいものの、行為の内容を筆談しなければならないのは、とてつもなく面倒だった。


『これでいいのか?』


紙に書きながら聞く。


「そうじゃなくてもっと優しく……」


娼館の娼婦が教えてくれた。


『なるほど。こうすればいいんだな?』


俺が紙に書くと彼女は頷いた。


ああ、クッソ!!!面倒くさいったらない!!


それだけ工夫しても、ちょっと声が漏れただけでアウトだった。


「ギャーーーッッ!!!♡♡ 私は貴方の下僕よぉぉぉんん♡♡♡」


目がヤバい。恋する目と言うよりも狂信者の目だ。すぐに幼馴染みのライリーに相談して、催眠術でなんとかしてもらった。


その後も俺はめげずに何度も何度も娼館に通い、なんとかまともに行為が出来るようになった。やはり何事も反復練習が大切だな。それにしても………疲れた。


俺は普通に恋をして普通に付き合いたいだけだ。千年に一人の逸材と言われながら、普通の人間に出来る事が俺には出来なかった。だからまともな恋愛なんて諦めていた。それなのに……。


グレースとの交際は順調だった。週二回の食事に休日のデート。手を繋いだりボートに乗ったりピクニックに行ったりと、まるで普通の恋人同士だ。今までやりたくても出来なかった事が、グレース相手だと自然に出来てしまう。


どうやら俺の「魅了」がかかりにくいらしいが、それはそれで楽しかった。「魅了」にかかった人間の狂信者のような目を見るとウンザリする。


それでも任務だから「魅了」を使わなければならない。だから俺は何度もグレースの耳元で囁いた。


「寒くないか?」とか「凄く綺麗だ」とか。


グレースは自然な感じで微笑んで顔を赤くする。それを見る度に俺はノックアウトされるわけだ。グレースは本当に可愛かった。


マズイな。このまま本気になるのはマズイ。


本気になりたくないのになりそうで、任務の為にグレースには魅了にかかってほしいのに、かかって欲しくない。そんな相反する感情を持て余していた。


「彼女は本当にA国の諜報員なのか?俺にはどうもそう思えないんだが………」


本部に報告に行った際にライリーに確認してみたが、答えはそっけなかった。


「ああん?間違いないな。グレースはA国諜報員の連絡役である『セミ』と頻繁に連絡を取りあっている。会話記録も確認してみろ。お前と接触したその日に報告を上げてるぞ?」


「そうか………」


ジロリとライリーが俺を見た。


「おい!お前まさか、あの女にたらし込まれたわけじゃないよな?たとえお前でも裏切ったら容赦しないぜ?」


思わず片手を上げてライリーを制した。


「そんな訳ないだろ? ただ、あまりにもグレースは素人っぽいんだよな……」


「どういう意味だ?」


「彼女の身のこなしがやたらと素人くさい。暴漢に襲われた時も取り乱しまくってたし……」


「そんなの演技に決まってるだろ?」


「『キャーッ』って言いながら目を閉じて、両手をぶんぶん振り回すんだぜ?いくらなんでもあれはないだろう。池に落ちた時も一瞬で溺れてたし、俺が助けなければそのまま死んでいた所だった。あれなら普通の女の方がずっとマシだ。正直、グレースはかなり鈍くさいと思う」


「う〜ん……」


ライリーがうめきながら腕を組んだ。


「何故彼女が選ばれたか?って部分が、鍵なんだろうな。何か特殊な魔法が関係してるのかもしれない」


ライリーはそう言うと俺に腕輪を渡した。


「これは魔法攻撃を受けると反応する魔道具だ。彼女と会う時に必ず付けていけ。気付かぬうちにお前が魔法攻撃をくらってて、洗脳されてる可能性だってゼロじゃない」


「了解。あとこの前のクッキーはどうだった?何か反応はあったか?」


「いや。ありとあらゆる方法で解析してみたが、何も出なかったな」


そう言いながらライリーは、俺の目の前に綺麗にラッピングされたクッキーを突き出した。


「本当に??自白剤の類いもなかったのか?絶対に何か仕掛けてあると思ったんだがな……」


首を傾げながらそう言うと、ライリーは軽く笑った。


「百人がかりで解析して検出された成分は『小麦、卵、砂糖……』以上だ。つまりこれは正真正銘、ただの粉の固まりって事だ。こんな物の為に、百人全員が毒ガス用のマスクをしながら徹夜で頑張ったんだぜ?馬鹿馬鹿しくて笑い話にもならん」


「………悪い」


「気にするな。お前が悪いわけじゃない。引き続き何かあればすぐに報告しろ。あとな、ジェームズ……。くれぐれも、ミイラ取りがミイラになるなよ?俺はお前を殺したくない」


思わず顔を上げるとライリーと目が会った。真剣な表情を浮べたライリーの視線を、そのまま受け止める。


「当たり前だろ?」


しばしの沈黙の後で、先に視線を外したのはライリーだった。シッシという素振りで手を振る。俺は軽く片手を上げて退散した。





❖❖❖




流石にそろそろマズイと思い始めていた。だって任務が一向に捗らないんですもの。


勿論彼との交際はうまくいっている。だけど彼に会う度に「魅了」を使っているのに、どうもその効果が芳しくないのだ。


「魅了」そのものは効いていると思う。だって、私をうっとりと見つめるイーサンの目つきは、魅了にかかっている者そのものだもの。


だから言ってみたの。


「三回まわってワンって言って?」って。


私はいつもそうやって「魅了」の効果を確かめる。皆大喜びで三回まわって「ワン」と鳴くから、それを確認してから色々な情報を聞き出すのだ。


ところが………だ。


「イーサン。三回まわってワンって言って頂戴」


私がそう言うと、思ってもない返事が返ってきた。


「は??どうしたんだ?グレース??」


驚いた表情を浮べるイーサンに慌てる私。


「ええっと、、、さ、、三回まわってワルツを踊りたいな〜〜〜なんちゃって。うふふ♡」


なんとか誤魔化した。危ない危ない。うっかり頭のおかしい女になる所だった。それにしても、どうしてこんなに「魅了」がかからないのかしら。


これは…………。


もっと先の関係に進むしかないって事なのかしら?一般的には「肉体関係を結べば魅了の力がより強く発揮される」と言われてはいるけど。


駄目だわ、超恥ずかしい!!無理無理!そんな事絶対に出来ない!!


でも、現実的に最終手段はそれしかない。私はゴクリと唾を飲んだ。彼とするの??でも肉体関係ってどうやってやるのかしら??経験がないからわからないわ………。


「グレース。君が欲しい」


耳元で囁く彼の声を思い出し、ベッドの上でジタバタした。


そう言えば、彼は私の耳元で囁くのがやたらと好きだった。何かといえば耳元でボソボソと喋る。変わった癖だ。「寒くないか?」ぐらいの内容なら、耳元で話さずに普通に話してもらった方いいんだけどな。私はハキハキ話してもらった方が好きだし。耳元で話されるとくすぐったいので、やめるようにお願いしてみようかしら。




❖❖❖




流石にそろそろマズイと思い始めていた。任務が全く捗っていない。アゲハ蝶から何の情報も得られていない。


彼女との交際はうまくいっている。だけど彼女に会う度に「魅了」を使っているのに、その効果が芳しくないのだ。


「魅了」そのものは効いていると思う。俺をうっとりと見つめるグレースの目つきは、魅了にかかっている者そのものだからだ。


だから言ってみた。


「君が欲しい」と。


俺はいつもそうやって「魅了」の効果を確かめる。皆大喜びで「嬉しいわ」とか言ってくるので、それを確認してから色々な情報を聞き出すのだ。


グレースにも同じ方法を使った。色っぽい言葉で確かめれば、万が一「魅了」が効いていなくても怪しまれずに済むからだ。


ところが………だ。


「グレース。君が欲しい」


そう言った途端、彼女はとんでもなく取り乱し始めた。


「な、な、、ななな、、何を言ってるのかしら???」


グレースは上ずった声を上げると、慌てふためきながら俺の目の前に置いてあったアルコール度数の高い酒を、一気に飲み干した。


「わ、わ、、私達って、キスしかしてないわよね??それが、、いきなりそんな、、は、、はしたない事をするなんて!!私達は結婚するまで清い仲でいるべきだと思うの!!」


おおよそ諜報員とも思えない台詞を吐き、そのままグレースはひっくり返った。そりゃまあ、あれだけ強い酒を一気に飲んだらそうなるだろう。


その日はグレースを家まで送った。眠っているグレースを横で見ながら部屋をチェックしたが、特に目新しい物は発見出来なかった。他の諜報員が既に捜査しているから当然だろう。


「処女か………」


俺は一人つぶやくと部屋を後にした。


それにしても益々わけがわからなくなった。あんなに鈍くさくて処女の諜報員なんているのか?あり得ないだろう。彼女は俺の知っている諜報員とは全く違っていた。


「俺にはどうしても彼女が諜報員に思えない……」


いつものようにライリーに話すと、鼻で笑われた。


「おいおい。随分と(ほだ)されているじゃないか。大物諜報員『黒豹』ともあろうものが、情けない。まあ、確かに彼女はお前の好みのど真ん中ではあるがな。きちんと仕事はしろよ?」


「ちゃんとやってるさ。ただ、何故か彼女には魅了が効きにくいんだ。結界魔法や防御魔法を使っている形跡もないから不思議なんだ」


「結界魔法も防御魔法も『魅了』を無効化するのは不可能だ。だからこそ『魅了』は特別なんだ」


「そうだよな。だったらどうしてあんなにかかりにくいんだろう………。そう言えば、お前に預けた腕輪はとうなってる?何かわかったか?」


ライリーが首を振った。


「いや。確認してみたが、お前が魔法攻撃を受けている形跡はなかった」


「だったら彼女はシロなんじゃないのか?彼女がA国諜報員だという情報そのものが、デマの可能だってある」


俺がそう言うと、ライリーは突然人差し指を立てた。


「あと一ヶ月だ」


俺はギョッとしてライリーを見つめた。


「あと一ヶ月で落とせ。出来なければ彼女を拘束する。その後はいつものフルコースだ。お前もわかってるんだろ?」


「ライリー待ってくれ。それは……」


「バンッ!!」


突然物凄い勢いで机を叩くと、ライリーは声を荒げた。


「おい、ふざけんなよ!!俺がどれだけ待っててやってると思ってるんだ!お前は結局あの女に惚れてるんだろ?言ってみろよ!なあ!!」


ライリーがこんな風に怒るのは珍しい事だった。睨み合ったまま沈黙が流れる。沈黙を破ったのは俺の方だった。


「ああ……惚れてるよ。だからこそ自分の手でカタをつけたいんだ。任務はちゃんとやる。国を裏切る事はしない。そこは信用して欲しい」


絞り出すようにそう言うと、ライリーはため息をついた。


「わかった。裏切るなよ?兄弟」


「わかってる」


俺はライリーの目を見ながら頷いた。


本部を出て周囲を散策する。ライリーの言っている事はもっともだった。なんの成果も上げていない俺に任せるよりは、捕まえて尋問した方が早い。


尋問と言えば聞こえがいいが、B国のフルコースはそんな生やさしい物じゃない。自白剤に始まり、あとはありとあらゆる拷問をされる。どんな強者でも気が狂うとまで言われるレベルの拷問だ。グレースに耐えられるとはとても思えない。


ライリーが始めからグレースを拘束しなかったのは、自白剤が効かない場合もあるのと、拷問で聞き出した内容に嘘がある場合が多いからだ。腕の良い諜報員ほどうまく嘘をつく。


拷問にかける手間と嘘の真偽を確かめる手間を考えれば、俺に任せて真実を聞き出した方が早い。だから俺に任せられていたわけだが。


こうなったらアレをやるしかないな………。


一般的には「肉体関係を結べば魅了の力をより強くかける事が出来る」と言われている。


つまり彼女を抱けばいいって事だ。もうそれしかない。抱いてうまく情報を引き出せば、彼女が拷問にかけられる事もないだろう。


さらにグレースから「耳元で囁かれるのはくすぐったいから止めて欲しい」なんて言われて、俺の腹は決まった。もうヤルしかない。あと一ヶ月しかない。俺はグレースの腰に手を回した。





❖❖❖




今日はイーサンとの距離が近い。いつもより体を密着させてくる事が多くてドキドキしてしまう。


二人で夜景を見ていると、彼が腰に手を回してきた。どうしようかしら。もういっその事このまま突っ走ってしまおうかしら??


だって任務の為だもの。仕方ないもの。結局あれから全然情報を聞き出せてないし、任務が全く進んでいない。もう最終手段を出すしかないわ!決して彼の事が好きだからってわけじゃないのよ?


軽く唇を重ねた後、彼が耳元で囁いた。


「君が欲しいんだ……」


私は微笑みながら頷いた。


私とイーサンは、夜景を見ていた場所から数分の所にある素敵な宿を訪れた。部屋に入った途端に、彼は私を抱きしめた。


「お、、お風呂に入りたいわ」


「入らなくても大丈夫。俺は気にしない」


彼が耳元で囁く。


「で、でも!!私はお風呂に入りたいのよ!!」


彼の目を見つめながら、強く「魅了」をかけた。ここは絶対に譲れないわ!だって、私は絶対にお風呂に入りたいんだもの!!


「いや、俺はこのままでいい……」


彼が耳元で囁く。


もう!!どうしてわかってくれないの??


ムッとした私は、もう一度彼の目を見ながら強く強く「魅了」をかけた。最大マーックス!


「魅了」のマックスパワーだ!!!これだけやれば私の言う事を聞くに決まっているわ!!


「私、絶対に!お風呂に入りたいの!!!」


そう強く言うと、驚いた事に彼は全く同じ台詞を耳元で繰り返したのだった。


「いや。俺はこのままでいい……」


何て事かしら。私の「魅了」が全然効いてないみたい。どういう事??


その後も「風呂に入る入らない」ですったもんだと揉め続け、最後にようやく彼が折れてくれた。


「酷いわ!!体を綺麗にしたいだけなのに!!それ位聞いてくれてもいいじゃない!!」


そう言って、私がおいおいと泣き出したからだ。


「すまなかった」とイーサンが謝ってくれたから良かったけど、なんだかどっと疲れてしまったわ……。


みんなこうなのかしら??


風呂に入るか入らないかで、こんなに揉めるものなの?? 初めてだから全然わからないわ……。


私がお風呂から出てしばらく待っていると、イーサンもお風呂から出て来た。そして私達は情熱的な一夜を過ごしたのだった。





❖❖❖





関係を進めようと決意したら早かった。それっぽい雰囲気を作って耳元で囁く。


「君が欲しいんだ………」


今度は「魅了」がきちんと効いているのか、彼女は微笑みながら頷いてくれた。


近くにあった雰囲気の良い宿に入る。ここまではよかったのだが……。


「お風呂に入りたいわ」


彼女がそう言い出した。風呂に入っている間に「魅了」の効果が切れるとマズイ。そう思った俺はそのままの勢いで突き進む事にした。


「入らなくても大丈夫。俺は気にしない」


「魅了」の力を込めながら耳元で囁く。ところが……だ。


「で、でも!!私はお風呂に入りたいのよ!!」


カッと目を見開きながら力説するグレース。相変わらず変わった癖だ。そこで俺はさらに強い「魅了」を使う事にした。


「いや。俺はこのままでいい……」


流石にこれは効いただろうと思ったのに、さらにグレースはきっぱりと言い放ったのだ。


「私、絶対に!お風呂に入りたいの!!」


さっきよりさらに目を「グワッ」と見開いている。あまりにも大きく目を開きすぎて、とんでもない形相になっているが、何なんだ………コレは??


そこで俺は「魅了」を最大まで使う事にした。最大マックス!!「魅了」のフルパワーを声に乗せる。


「いや。俺はこのままでいい………」


これだけやれば、俺の言う事を聞くだろうと思ったのに……。


「私、絶対に!絶対に!お風呂に入りたいの!!」


「!!!」


さらに強く返事が返ってきてしまった。


なんて事だ。何故か俺の「魅了」が効いてないらしい。思わずムキになり、なんとか「魅了」を効かせようと最大パワーを出力しながら「風呂に入る入らない」ですったもんだしていたら、とうとう彼女が泣き出した。


「酷いわ!!体を綺麗にしたいだけなのに!!それくらい聞いてくれてもいいじゃない!!ふえ〜ん!!」


その言葉で我に返った。そう言えばグレースは初めてだったな。それなりに緊張してるだろうし、初めての時くらいは彼女の意見を優先させてやりたい。男の俺がムキになってる場合じゃなかった。俺の「魅了」が効くか効かないかは後で試せばいいんだし、これではスマートとは程遠い。


そうして再び紳士に戻った俺は、彼女とスマートに一夜を共にしたのだった。





❖❖❖




イーサンと深い仲になってから一ヶ月経つ。彼との仲はラブラブだった。前よりも熱っぽく私を見つめる瞳。そうよ!今度こそうまく「魅了」がかかっているわ!!


だって、ちょっとお高いアクセサリーをねだってみたら、すんなりと買ってくれたもの。もうそろそろいいかもしれない。そこで私は確認してみる事にした。


「イーサン見て!5億シークの屋敷が売りに出されているそうよ。あれを買ってほしいわ♡」


私がそう言うとイーサンが驚いた様子で言った。


「え??屋敷??」


「ええっと、、ゴーク市にあるヤシの木が売りに出されてて実が美味しいね〜って話よ。うふふ♡♡ホホホホ♡」


まだまだ駄目ね。「はい!喜んで〜!」と答えるレベルじゃないと情報を聞き出せない。はあ。どうしてこんなに「魅了」が効きづらいのかしら。アゲハ蝶、嫌になっちゃうわ………。





❖❖❖




グレースと深い仲になってから一ヶ月経った。彼女との交際はラブラブだ。彼女は以前よりもうっとりと俺を見つめるようになった。今度こそいけると思ったので、「魅了」の効きを目を確かめる為に聞いてみたのだが……。


「今度は裸で踊ってくれないか?」


俺が耳元でそう囁くと、彼女はギョッとして慌てふためきながら答えた。


「嫌!!そんな事恥ずかしいから、絶対に嫌!!」


まだまだ駄目だな。「はい!喜んで〜!」と答えるレベルじゃないと、情報を聞き出せない。不味いな。このままだとライリーが動き出す。何とかせねば。


そう思って対策を立てようとしたが、ライリーの動きの方が早かった。ある日俺が家に戻るとライリーが居た。そしてアゲハ蝶確保の命令を、直々に受ける羽目になった。


「別にお前がやらなくてもいいんだぜ?」


そうライリーに言われたが、これは俺の仕事だ。誰かに任せるわけにはいかなかった。


諜報員を何人か引き連れてグレースの部屋をノックする。彼女は何の疑いもなく笑顔でドアを開けてくれた。そして俺が強力な魔力封じの首輪をかけた途端に、顔色を変えた。


「嘘………」


呆然とした様子で佇むグレース。


「残念だったな、アゲハ蝶。お前を拘束する。お前には洗いざらい吐いてもらうぞ」


彼女の目から一筋の涙が溢れるのを見て、目頭が熱くなった。駄目だ。お前は黒豹だ。これは任務だ。だから涙を見せるな。


「いつからなの??いつから私の正体に気が付いてたの??」


涙を流しながら問いかけるグレースに、なるべく冷静に返事をした。


「始めからだ。始めからわかってて近付いた。情報を得る為に泳がせていただけだ」


「………そう」


彼女は大人しかった。そもそもあれだけ鈍くさいんだから、逃げようだなんて思い付かないだろう。


「私との事は全て嘘だったの??」


彼女の瞳が俺を真っ直ぐ見据えた。


「ああ。全て任務の為だ」


嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、、


胸が張り裂けそうな位に痛い。俺は本当に君の事が好きだった。大好きだったんだ。こんなに一人の女性を愛する事なんてないと思っていた。それなのに。


彼女は俺の言葉を聞いてため息をついた。そうして「さよなら。黒豹さん」と言って寂しそうに笑い、手錠をかけられて連行されて行った。


俺はすぐに本部に向かった。国を裏切るわけにはいかない。だが彼女の為にやれる事はあるはずだ。そのままの勢いでライリーの部屋に飛び込んだ。


「ライリー、頼む!!彼女を拷問しないでやってくれ!俺がなんとか説得して、彼女から必要な情報を引き出すから。頼む!!」


ライリーはゆっくりと振り返ると、凄惨な笑みを浮べた。


「よう!お疲れジェームズ。お前のお陰で無事にアゲハ蝶を拘束出来た。正直言ってヒヤヒヤしてたんだぜ?裏切られるんじゃないかってな……」


「そんな訳ないだろ?俺がいつそんな素振りを見せた?」


「お前は俺と違って、身内を奴らに殺されたわけじゃない。そこまでB国の奴らを憎んでいるわけじゃないからな」


俺は黙り込んだ。ライリーは最愛の母と妹をA国情報局の奴らに殺されている。ライリーがこの道に進んだのも、元々は復讐を果たす為だった。だからこそライリーは奴らに対して一切容赦しないし、それを周りにも求める所があった。だから下手な事を口走るのは逆効果だ。


「ジェームズ。お前の任務は終わった。だから彼女からは手を引け」


「そうはいかない。関わった以上は最後まで見届ける義務がある」


ライリーが鼻で笑う。


「そうか?俺は関わらない方が幸せだと思うけどな……。まあいい。これからアゲハ蝶の尋問が始まる。そこまて言うなら付き合えよ」


そうして俺達は地下牢に向かった。血液の錆びた匂いを嗅ぎながら階段を降りる。今までにここに何人もの諜報員が連れてこられ、彼らの殆どが呪いの言葉と共に血反吐を吐いて死んだ。今から彼女がそんな目に合うと思うとゾッとする。


唯一希望があるとすれば、それは自白剤だった。以前使われていた自白剤は四割の成功率だったが、ライリーが改良品を開発した事で成功率が八割にまで上がった。以降拷問を行う頻度は減ったが、それでも五人に一人は自白剤が効かない事になる。グレースがどちらになるかは、運でしかない。


ただ、ライリーだって悪魔じゃないし、女を痛めつけて喜ぶような奴でもない。ミスターKの情報さえ引き出せれば、必要のない拷問をする事はないだろう。グレースが素直に話してくれれば、無傷でいられる可能性は高い。だからそうなるように説得するつもりだった。


幾つかの牢を通り過ぎ、俺達はある牢の前で立ち止まった。牢に入ると、グレースは頭から袋を被せられて手錠をはめられていた。袋を取ると彼女は涙を流し、可哀想になる位ガタガタと震えていた。


「殺してよ!!仲間を売る位なら死んだ方がマシだわ!!」


必死で叫ぶがそんな事が通用する相手じゃない。そもそもそんな風に話したら、「何か」を知ってるように思われるじゃないか。やっぱり彼女は鈍くさい。


ライリーが鼻白んだように笑った。


「へえ………。威勢のいいお嬢さんだな。しかもかなりの美人ときてる。その体で何人の男を手玉に取った?」


「し、、失礼ね!!私はそんな事しなくても、いくらでも情報が手に入る位の凄腕なのよ!!」


思わず顔を覆いたくなった。この期に及んで自分が凄腕だと自慢するメリットが何もない。何も知らない下っ端諜報員のフリをするのが一番良いのに。


ライリーはグレースを無視して注射器を取り出した。自白剤だ。グレースの顔色がみるみるうちに青くなる。


「ほ〜ら。素敵なお薬だ。気持ちよ〜くお喋りになるとっておきの薬だぜ?アンタは気持ちよく喋れる上に記憶も全く残らない。だから仲間を売っても罪悪感がない。そして俺達は気持ちよく情報を手に入れられる。一石二鳥だろ?」


「やめて!!」


ぶんぶんと首を振るグレース。


「抑えろ」


ライリーの命令を受けて数人がグレースの腕を押さえつけた。針を刺そうとライリーが注射器を近づけたその時………。


激しく牢の扉がノックされた。


「ミスターX!!ミスターX!!伝令です!!」


「何だ?後にしろ」


「そういう訳にはいきません!!国王陛下より直々に命令がありました!」


怪訝な表情を浮かべながらライリーが問い直す。


「命令だって?どんな内容だ」


「A国とB国の間で同盟が締結されました!!A国の捕虜及び拘束している諜報員には、一切の手出しをしてはいけない。丁重に扱うようにとの命令です!!」


思わずライリーと顔を見合わせた。


「何だって?どういう事だ!なぜ突然同盟なんて話になった??」


「昨夜未明、D国がC国に侵攻しました!C国が負けるのは時間の問題だと国王陛下が判断し、A国と手を組む事に同意したようです!!」


そういう事か。A国とB国は南北に並んでいる。その東にC国があり、さらにその東にD国がある。もしC国が滅んでしまうと、A国もB国も、D国という大国に侵略される可能性が高くなるわけだ。


「クッソ!!!」


大きな声を上げてライリーが壁を蹴飛ばした。


「ああああああああ!!クッソ!!あとちょっとだったんだぞ??あとちょっとで、あのミスターKに手が届くはずだったんだ!!」


荒れ狂うライリー。当然だ。長年追い続けた宿敵に、ようやく鉄槌を下す事が出来る所だったのに。


「落ち着け、ミスターX」


「は?落ち着いてられるかよ!!ここまで来るのに俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ??今すぐにその女の爪を剥いで拷問にでもかければ、ミスターKの情報が得られる。奴を肉片に出来る計算だったんだ!!」


「そこまでだ、ミスターX。それ以上は止めた方がいい。国王の命令に背けばお前も只じゃ済まないぞ?」


それでもライリーはフラフラと立ち上がり、注射器を片手にグレースの腕を掴んだ。不味いな。俺はライリーの腕を捻り上げて抑え込む。


「あああああ!!クッソ!!!殺してやる!!あいつら全員殺してやる!!」


叫びまくるライリーの鳩尾に拳を叩き込んで気絶させると、肩に担いだ。そして周囲の者にグレースや他の諜報員を普通の牢に移すように命令して、牢を後にした。


後に、ライリーはこの事がバレて減給処分を受けた。




❖❖❖




B国の潜入捜査から帰って三ヶ月が経った。あの後すぐに私は一般牢に移されて、丁重な扱いを受けた。それだけではない。なんと一週間後には故郷であるA国に帰る事が出来た。これは破格の待遇だ。


帰るとすぐに、ミスターKに報告をする為に本部を訪れた。任務失敗と伝えるのは悔しかったけど、ミスターKは涼しい顔だった。


「いいえ、アゲハ蝶。あなたの任務は大成功よ。よくやってくれたわ」


笑顔を浮かべるミスターK。


「そんな……ミスターK。私は黒豹から全く情報を取れませんでした。諜報員失格です」


そんな私をミスターKは優しく励ましてくれた。


「アゲハ蝶。潜入捜査は大変なのよ。あなたは自分が思っている以上に疲れていると思うわ。これから休暇を一ヶ月取りなさい。そしてゆっくりと体を休めるの」


私は有難くその命令に従う事にした。温泉に入りショッピングを楽しみ………。そうして一ヶ月経った後で、今度は自宅で待機するように指示を受けたが、なぜか全く仕事の命令が来ない。出動命令を待っているうちに三ヶ月も経ってしまった。


そして久しぶりに命令を受けて、今日情報局を訪れる事になったのだが………。


「A国とB国情報部が統合するですって??」


情報局に入ってすぐに、ミスターKの右腕に説明を受けた。


「そうだ。D国情報部に対抗する為には、統合した方が良いという話になったそうだ」


「信じられないわ。いくら同盟を組んだからといって、別の国の情報部が統合するなんてあり得ない」


「そうだな。俺もそう思うが、今回はミスターKの強い希望があっての事だ。ミスターKの意見には、国王ですら逆らえない」


「そうなんですか?」


そう聞くと彼は頷いた。そこまでミスターKが巨大な力を持っているとは知らなかった。


「だから新しい我々のボスは、ミスターXだ」


「そんな………」


「統合した情報部にトップは二人いらない。ミスターKはミスターXにトップの座を譲り、アドバイザーとして残る形になった。これもミスターKの強い希望だ」


呆然としている私を無視して、彼は言葉を続けた。


「だから、そのドアの向こうに居るのはミスターXなんだ。アゲハ蝶、新しいボスに挨拶してこい。これは命令だ。わかるな?」


私は促されるままにヨロヨロと立ち上がり、ドアの前に立った。ゆっくりと開いたドアの向こう側に立っていたのは、地下牢に居た癖毛で銀髪丸眼鏡のあの男だった。


「久しぶりだな、アゲハ蝶」


「貴方がミスターXだったのね……」


「まあね。ほら、そこの椅子に座って待つといい。もう一人やって来るから」


前に会った時とは随分と雰囲気が違う。あの時は情け容赦のない冷酷な男だったが、いまは軽口を叩く調子の良さそうな男だ。これが彼の表向きの顔なんだろう。


私が椅子に座るとすぐにドアがノックされ、部屋に入って来た男を見て息が止まった。


「イーサン……」


男が私を見て驚いた表情を浮べた。


「グレース……」


突然ミスターXが「パチパチ」と拍手をしながら、素っ頓狂な声を上げた。


「やあやあ。久し振りのご対面だな!」


イーサンがミスターXを睨む。


「どういう事だ?」


「両国の情報部を預かる者として、特殊な魔法を持つ者同士を会わせてみようと思っただけだ。意見交換をする良い機会になると思ってね」


私とイーサンは顔を見合わせた。特殊魔法??


怪訝な表情を浮かべて見つめ合う私達に向かって、躊躇なくミスターXが爆弾を落とす。


「お互いわかり合える事も多いから、よく話すといい。なにせ君達は二人共、特殊魔法『魅了』の持ち主なんだから」


「!!!!!」


思わず目を見張る。


「み、み、、、魅了って、イーサンは『魅了』が使えるの??」


私が慌てて聞くと、イーサンが顎を撫でながら呻くように答えた。


「………まあな」


「!!!!」


「アハハ。ミスターKからA国諜報員のリストを譲り受けたんだけど、読んでみて驚いたよ。『アゲハ蝶:特殊魔法:魅了』って書いてあるんだからさ」


得意気に紙をヒラヒラさせるミスターX。呆気に取られている私と違って、イーサンは考え込むような素振りを見せた。


「なるほどな。だから俺の『魅了』の効き目が悪かったのか……」


「ご名答。『魅了VS魅了』ってどうなるのか疑問に思って、解析してみたんだ。黒豹とアゲハ蝶の魔法波長を再現してぶつけてみた。そうしたら………」


そこで一旦話を切るミスターX。


「……消えた!」


そう言いながら、彼は両手をパッと開いた。


「つまり、お互いの『魅了』は打ち消し合う方向で作用するって解釈で合ってるか?」


「そうそう。で……」


「そ、、そんな!だってイーサンは私を見つめてうっとりとしてたわ。あの目は魅了にかかっている者の目そのものだった。効いてないなんて信じられない!」


私が思わず言い返すと、ミスターXはニヤッと笑った。


「う〜ん。『魅了』を使わなくても、うっとりと相手を見つめる事ってあるんだよね〜。知ってる?」


そう言いながら笑みを浮かべて私の顔を覗き込んだ。


「その現象の名前は『恋』って言うんだ。まあ君達はまともな恋愛をした経験がないから、わからなかったんだろうけど……」


思わずイーサンを見ると、イーサンは頭をボリボリと掻いている。そんなイーサンを見て、ミスターXが再び「ニヤッ」と笑った。


「つまり、君達は『魅了』じゃなくて、『魅力』で勝負してたってわけだ。三百年に一人の逸材と、千年に一人の逸材が出会ってお互いを誘惑し合い、散々愛し合って出来た結果が、君の腹の中に居るってわけ」


そう言いながら私のお腹を指差すミスターX。驚いて思わずお腹を抑えると、イーサンが目を見開いてこっちを見ている。


「ええっと………その……これは……。どうしてミスターXが知ってるのかしら??」


「俺の奥さんがあの病院に通っててね。君を見かけたって言ってたんだ。お産専門の病院なんだから、そういう事だって気付くだろ?何度かすれ違ったけど、君は全然気付かなかったみたいだけど……」


話し続けるミスターXを無視して、無言で私に近寄るイーサン。思わず後退りすると彼が私の手を取った。


「グレース。本当の事を教えて欲しい。その子は俺の子か?」


見た事もない程真剣な表情を浮かべる彼を見て、嘘をついたらいけないと思った。


「………ええ、そうよ。あなたの子よ」


「そうか………」


そう言うと彼は嬉しそうに笑顔を浮かべた。そしてそのまま跪いて私の手を取った。


「グレース。愛してる。一生大切にする。俺と結婚してくれ!!」


イーサンがうっとりと私を見見上げている。この目は「魅了」にかかっている目じゃない。私に恋をしてる目だ。そしてきっと私も、同じ目をしていると思う。


「イーサン。私も愛してるわ!」


私はそう言うと彼の腕の中に飛び込んだ。彼がギュッと私を抱きしめた。嬉しい。大好きな彼の匂いがする。そのまま彼の顔か近付いて来た………。


「ハイハイ!悪いね〜。盛り上がってる所で悪いんだけど、俺はこのまま黒豹と話があるから、アゲハ蝶は退室してもらえる?このままイチャイチャしてるのを見せつけられるのは、たまらないからね〜」


「おい、ちょっと位いいだろ? 久しぶりの再会なんだ。大目に見ろよ」


「ダメダメ。俺だって愛しの奥さんに会えなくて我慢してるんだぜ?なのに目の前でイチャイチャされてみろ。腹が立って仕方ない」


そのままイーサンとミスターXの言い合いになった。どうも上司と部下と言うよりは、仲の良い友達同士という感じだ。


「大体さっきっから『愛しの奥さん』って何なんだよ。お前に嫁なんて居なかっただろ?」


チッチッチと舌を鳴らすミスターX。


「いやいや。俺は最近結婚したんだ」


「はあ?そうなのか?? いつの間に……。で、相手は誰だ? あのバーの女か?それともお前が目をかけていた研究所の女か?」


ミスターXはニヤッと笑った。


「ミスターK」


「は??」


イーサンがもう一度聞き直す。


「ミスターKだ」


絶句するイーサンと私。


「まさかミスターKが女で、しかもあんなに美人だなんて思わなかったよな。そりゃあ男なら口説くだろ。木っ端微塵にしなくて本当に良かった良かった……」


「お前、俺には『ミイラ取りがミイラになるな』って散々言ってなかったか??」


「あ?そんな事言ったか??」


「お、、お前、よくもぬけぬけとそんな事言えたな!大体お前は、いつもいつも……」


「まあまあまあまあ……」


ミスターXが適当な感じで言葉を濁す。


「まあさ………。いいじゃないか。殺し合うよりも愛し合う方が平和でいいだろ?そう思わないか??」


悪びれもせずにしゃあしゃあと(のたま)うミスターXを見て、イーサンが苦笑した。


「………まあ、そうだな」


まだまだ長くかかりそうなので、私は退室しようとそっとドアを開いた。するとすぐにイーサンが飛んで来た。


「ごめん。もう少しかかりそうだから、外で待っててくれないか?悪い」


「いいわよ。私もあなたと話したいもの」


私がそう言うと彼が軽く額にキスをしてくれた。私は手を振ってドアを閉めた。





❖❖❖




彼女が出ていくのを確認した後、ライリーに声をかけた。


「で、話って何だ?」


「未来予知……」


「は?」


「ミスターK……というよりは、ケクラン家の特殊魔法は未来予知だ。その力を使って、長い間A国を支えてきたわけだ。だからこそケクラン家の力は絶大で、国王ですらケクラン家の指示には従う」


思わず絶句した。未来予知か。そんな能力が存在するのは初めて聞いた。


「この能力の凄い所は、様々な分岐とその結果が見える事だ。例えばAとBの分岐があるとする。Aの選択肢を取った時に起こる未来と、Bの選択肢を取った時の未来。その両方が見えるんだ。だから常に最も良い道を選ぶ事が出来る」


「つまりキャシーとドロシーって女がいたとして、キャシーを選んだ時の未来とドロシーを選んだ時の未来の両方が見えるから、比較してマシな方を選択出来るってわけか……」


「ああ。キャシーとドロシーじゃなくて、B国とD国を天秤にかける事も出来るな。D国と組むよりはB国と組んだ方が未来は明るいとケクラン家が判断したからこそ、今回のこの同盟がある」


「なるほど……」


「D国によるC国侵攻は、五十年前にケクラン家が予知していたそうだ。だから五十年前からB国と同盟を結ぶ方法を模索していたらしい」


「そうなのか?」


「ああ。A国が最も警戒していたのはD国だ。だから五十年前からA国情報部の主戦場はD国で、既に多くの諜報員を送り込んでいるそうだ」


「だったらB国で今まで破壊工作をしていたのは………」


俺の問いにライリーは頷いた。


「ああ。お前の予想通り、D国情報部の連中だ。A国諜報員はB国に殆どいないし、五十年前からはB国で全く活動していない」


そう言うと、ライリーは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「奴らはA国とB国が手を組まないように、様々な妨害工作をしてたってわけだ。A国で破壊工作をしてB国になすりつけ、B国で破壊工作をしてA国の仕業に見せかける。お互いの憎悪を煽って決して手を組ませないようにしていた」


「そうか。汚いやり方だな……」


「ああ。だが、うまいやり方だ。A国には何でもお見通しのケクラン家が居たが、B国には居なかった。俺達はいつの間にか、全てA国の仕業だと思い込むようになっていた。まあ、俺達B国にとってはD国なんて遠い異国でしかなくて、D国がここまで仕掛けてくる事を想定してなかった所もあるな」


「D国情報部が優秀って事でもあるのか……」


「それだけじゃない。D国皇帝はかなり貪欲かつ優秀だ。ここ二十年で一気に領土を拡大してる。D国情報部に対抗するには、A国の特殊魔法諜報員とB国の魔道具技術が必要だというのが、ケクラン家の見解だ」


俺は唸りながら腕を組んだ。事態はわりと深刻だ。


「A国とB国は犬猿の仲で、その状態がずっと続いていた。これ以上A国とB国の仲が悪くならないように動く事が、A国国内に居る諜報員の任務だった」


「俺達はA国に破壊工作を仕掛けてたよな?」


「そうだな。だがその殆どが妨害されている。未来予知を持つミスターKによって……」


俺は思わず苦笑した。


「未来を見通せる化け物相手じゃ敵うわけないな」


「同盟を邪魔する幾つかの要素があったらしい。その最大の物がA国国王暗殺だ。あれがもし成功していたら、今回の同盟は成立しなかったそうだ。だからあれを止めたアゲハ蝶は、両国にとっての恩人だそうだ」


「ああ、そんな事もあったな。あの時は作戦に失敗して死ぬ程悔しかったが、結果的には良かったのか。複雑な気分だ」


俺が呻くように言うと、ライリーが「そうだな」とボソッと相槌を打った。


色々な思いが逡巡する。二人でしばらく黙り込んだ後で、気を取り直したようにライリーが再び話し出した。


「ミスターKが言うには、分岐はいくつも見えるらしい。始めは薄く見えていた道が、確定に近付くにつれて色濃くはっきりと見えてくる。同盟成立への道を正確に辿ってきたけど、なかなか強い道にならずに焦っていた。だけど国王暗殺を阻止して初めて道がはっきり見えたそうだ」


「なるほど……」


「そうこうしているうちにC国侵攻の時期が迫ってきた。だから使節を派遣して同盟の必要性を訴えたが、B国政府に断わられたそうだ。B国での破壊工作は全てD国による物だと主張したが、信用されなかったと言っていた」


「そんな話聞いてたか?少なくとも政府は俺達情報部に確認すべきだろう。お前も知らなかったんだろ?」


俺の言葉を聞いて、ライリーは肩をすくめて見せた。


「ガセ情報だとB国政府が勝手に判断したって事だろうな。もし俺がその話を聞いていたら、きちんと調査していたと思うぜ。B国政府と情報部の連携がうまくいってない。なんとかしないと」


「わかった。俺も手を考えておく」


「C国への侵攻があって、B国国王は飛び上がって驚いたらしい。すぐにA国へ使節を送ろうとしたら、タイミング良くA国の使節が訪ねて来たそうだ。当然だな。あっちには『未来予知』があるんだから、侵攻する日時もわかっていた筈だ」


「それで同盟成立があんなに早かったのか……」


「既に両国の主張を盛り込んだ立派な条約文が出来上がっていたそうだ。後々揉めそうな項目は敢えて白紙にしておいたと、ミスターKが言っていた。賢いやり方だと思う」


ライリーはそこで一息ついた。


「で、お前達の事なんだが……」


「ん??」


俺は思わず顔を上げた。


「ミスターKが言うには、黒豹の情報を得た時にいつくかの分岐が見えたらしい」


「ほう……」


「アゲハ蝶以外の者をB国に送り込むと、ミスターKが死ぬ未来が見えたそうだ。アゲハ蝶を送り込むとミスターKは死なずに、代わりにアゲハ蝶と黒豹が結婚している。一体全体何なのか、全くわからなかったそうだ」


そう言うとライリーが笑った。


「まさか二人とも魅了の持ち主だなんて思わなかったと、彼女は笑っていた」


思わず苦笑する。


「ちなみにアゲハ蝶を他の諜報員と一緒に送り込んでも、ミスターKは死ぬらしい。誰も送り込まないと、今度はA国の大臣が殺される。だからアゲハ蝶を単独で送り込むしかなかったそうだ」


「ああ、なるほど。アゲハ蝶以外を送り込むと俺に情報を抜かれて、お前の作った魔道具でミスターKが死ぬってわけか」


「そう言う事だ。ミスターKが俺達に殺されれば、A国とB国の情報部が力を合わせるなんて不可能になってしまう。大臣が殺されれば国民感情が悪くなる。余計なトラブルはない方がいいから、アゲハ蝶だけを派遣したってわけだ」


「なるほど」


「ちなみにアゲハ蝶は『魅了』以外はかなりのポンコツらしいぞ?訓練を受けさせようとしたが全くモノにならず、仕方なく『魅了』のコントロール訓練だけをさせていたらしい」


「アハハ。やっぱりか……」


頓珍漢な彼女の行動を思い出して、思わず吹き出してしまった。


「アゲハ蝶はいつもグループ行動で、他の者がしっかりとお目付け役で付いてたんだ。だからお前の勘は正しかったわけだな」


「だろうな。で……ふと思ったんだが、こんなトップシークレットを俺なんかに話していいのか?ケクラン家の能力は最高機密だろ?」


「ミスターKの話によると、現場で両国の諜報員を束ねて動かしていくのはお前の役目になるらしい。本当の事をお前に話さないと、俺達の間にすれ違いが起きて、そのせいで何十人もの諜報員が死ぬ。それ位なら話してしまった方がいい。黒豹は口が固いから大丈夫、だそうだ。な?便利な能力だろ??」


その言葉を聞いて思わずため息が漏れた。


「また忙しくなるな……」


「おう!!頼りにしてるぜ、相棒!!」


ライリーがニヤニヤしている。コイツ、面倒な事は全て俺に押し付ける気だな。ああ……クッソ!


しばし天を仰いだ後で、ふと思い付いた事を口にした。


「ああ、そうだ。ミスターKによろしく伝えておいてくれ。『アゲハ蝶と会わせてくれて感謝する』ってな。あとは『ライリーをまともに戻してくれて有難う』って事もついでに……」


俺がそう言うと、ライリーは少し考え込んだ。


「…………俺は、そんなにおかしかったか?」


「ああ。お前の家族が亡くなってからは、人が違ったように見える事があった。お前自身は気が付いてないかもしれないが」


「そうか……」


「良かったな。お前が新しく誰かと家族になるなんて、思ってもなかった。今は幸せなんだろ?」


俺がそう聞くとライリーは鮮やかに笑った。


「まあな。あんなに可愛い奥さんはいないぜ?木っ端微塵に吹っ飛ばさなくて、本当に良かった良かった……」


「確かに、殺し合うよりも愛し合う方が平和でいいな」


お互いに顔を見合わせて笑った。


もうそろそろ話は終わりだろうと椅子から立ち上がると、ライリーが声をあげた。


「お幸せに!」


「お前もな!」


指差してそう言うと、俺は部屋を後にした。






小走りで廊下を抜ける。アゲハ蝶はどこだろう。どこで待っててくれているんだろう。きちんと場所を指定しておけば良かった。もう敵同士じゃない。いつでも会える。そう思ってても落ち着かない。彼女をしっかりと抱きしめないと安心出来ない。


ウロウロ探していると、建物の入り口付近のベンチに座っているアゲハ蝶を見付けた。彼女は俺を見ると嬉しそうに笑った。


「グレース!!」


走り寄って抱きしめる。何度も何度も抱きしめて顔中に口付けを落とす。そして深い口付けを交わした。


「ねえ。私の本当の名前はティファニーなの。だからグレースじゃなくて、ティファニーって呼んで?」


俺を見上げながら、輝くような笑顔を浮かべるティファニー。


「俺の名前はジェームズだ」


「ジェームズ。いい名前ね!」


俺達は見つめ合って笑い合った。それから手を繋いで歩き出した。



この作品は「ハニートラップにご用心」というR18の作品から、R部分を抜いて書き直した作品になります。R部分が大丈夫な方は、こちらもよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ミスターKの能力で全部回収していくのすごい!って思いました! ライリーとミスターKが結婚するという展開も、「殺し合うよりも愛し合うほうがいい」って言葉も好きです! 面白かったです!
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