欠点二 比喩
欠点の第二は、比喩が大袈裟すぎる事です。トマス・サトペンの事は作中でしばしば「悪魔」と呼ばれるのですが、読んでいて、悪魔というほどの悪漢に私は感じませんでした。
また、その他にも聖書の言葉などを用いて、「悪魔」に類するような大袈裟な形容がよく使われるのですが、どう読んでもそこまでの巨大な話、巨大なキャラクターには私には見えませんでした。
これは、第一の欠点とも関連した事柄で、語りが間接的過ぎて、キャラクター像がはっきりしないままに、大きな比喩が使われるので、比喩だけが大きく突出して、キャラクターを置き去りにしているように見えました。
例えば、ドストエフスキー「悪霊」という作品の悪漢スタヴローギンというキャラクターは実によく描けています。スタヴローギンは、悪魔という形容が適切だと言ってもいいほどですが、別にそういう比喩を使わなくても、スタヴローギンの怪物性は十分伝わってきます。
スタヴローギンとトマス・サトペンを比べると、トマス・サトペンはより卑小なキャラクターです。田舎の、野心に取り憑かれた人物という感じで、都市で自己意識の豊富さに呻吟するスタヴローギンとはだいぶ違います。どちらがより「悪魔的」かと言われると、私は迷う事なくスタヴローギンを取ります。スタヴローギンは巨大な悪ですが、同時に善悪を越えようとする存在でもあります。
スタヴローギンの怪物性は、彼にまつわる様々なエピソードで十分に描けています。それと比べた時、トマス・サトペンの悪行は悪魔というには卑小なエピソードの集積に留まっています。このあたりも、キャラクターの実像とフォークナーとの語りの乖離があって、それが作品の欠点となっています。この大袈裟すぎる比喩が私の思う第二の欠点です。