02 魔王討伐らしい
ヒュプリガス山。
大陸の北にそびえる大陸一の高さを誇る山であり、その中腹には常に雪が残り、山頂の氷は一年中溶けず、そこにドラゴンの巣があるという。
ドラゴン。
人里で一番恐れられているフューリアス・ベアを遥かに凌ぐ魔物。空を飛び、火を吹き、鋭い爪は全てを穿ち、その皮膚は斧すら通さない。
人はドラゴンを魔王と呼び、恐れている。
「どうやらドラゴンが人里に下りて家畜を攫っているらしい。それが今回の討伐理由だ。ヒュプリガス山麓付近の神殿関係者もドラゴンを目視している」
くそ。王太子がシャロイラ様を一時的にでもそばに置きたいがための虚言ならぶちのめしたのに。
「タンダ。その物騒な気配をしまえ」
「申し訳ありません」
神官長の執務室に集まったのは、高位神官たちと大聖女とその従者である俺。
王太子から内々の婚約打診があったと教えられてからきっかり一週間後、王家から魔王討伐の知らせが届けられた。
討伐は主に騎士団があたる。当然だ。国一番の戦力がぼんやりしていられるわけがない。
だが回復力の補助として大聖女の同道を要請された。
「騎士団にも回復役はいるが、大聖女にはもしものために後方待機を願いたい、だとさ」
いやそれ吊り橋効果狙ってんだろ。
「タンダ、気配だけでみなまで言うな」
「申し訳ありません」
神官長を始め、執務室に苦笑が漂う。
「魔王討伐と銘打たれては神殿としても参加せざるをえない。王太子としてはシャロイラについてはあわよくばという程度だろうよ」
「その根拠は」
時に破茶滅茶な神官長の幼馴染みであり夫でもある、病気怪我の治療を司る治療師長が神官長に聞いた。
「まず婚約の打診は即日断った。そこからの動きはない。そしてドラゴンの被害情報だが、王家も神殿もそれぞれの情報網からあがってきたのがほぼ同日だ。騎士団の準備は最速で行われている。失恋に落ち込みながらも指揮を執る王太子に同情した誰かが陛下に奏上したらしい。まあ、神殿としても治療師と聖女を何人か付けるつもりではいた」
治療師たちの派遣についてすでに話はついていたのか、治療師長が頷く。
「シャロイラを付けるのは傷口に塩を塗りこむことになって本番で王太子が使い物にならないと困るから、修行を含めて他の治療師は全員にするつもりだった」
「それはまた大盤振る舞いですね」
騎士団の騎士にも引けを取らない立派な体格をした、神殿直属兵団を束ねる神兵長が呆れた声を出した。
「相手は魔王だ。戦力を出し惜しみしてる場合じゃない」
修行を含めてって言ったんだから登山遠足のつもりじゃん。
「タンダ」
「申し訳ありません」
「話の腰を折らずにいられないのですか二人とも」
常に冷静沈着しかし怒ると『烈火の魔女』と恐れられる、神殿の経理を担当する事務局長に窘められた。
「まあ、治療師全員は人数がエライことになるから事務局長に即却下された」
「国からも神殿に遠征予算は出ますが、治療師全員分の準備など驚きの額ですよ。今晩からの晩酌の回数が月に一度になってもいいのなら準備しますが」
「「「 大聖女様お願い致します〜 」」」
「わあ、私よりお酒なのね!知ってた!」
うん。俺も知ってた。
「というわけで、騎士団の連中も全員無事に連れ帰ってこれたら二人には特別手当を出す」
え?
「ちょっと待ってください。二人って、まさか神殿からはシャロイラ様と俺だけですか?」
「そうだ」
「嘘だろ神官長!治療師長!冗談ですよね?」
「留守は任せろ」
「はあ!?神兵長!」
「お前には俺の全てを叩き込んだ」
「そうじゃねえ!じ、事務局長!」
「神殿年間予算の都合です」
「納得かつひどい!」
「そういう訳だタンダ、シャロイラを頼んだぞ」
どういう訳だ。
混乱しすぎて、にっかりと微笑む神官長に文句のひとつも浮かばない。
「わあい!タンダ!初めての二人旅だね!」
「遠征ですので二人でも旅でもありませんが」
「気分よ〜!」
俺はシャロイラ様の満面の笑みに勝てたためしがない。すぐ平伏する。これについて改善の見込みはない。
「ちなみに出発は明朝な」
「このクソ神官長っ!」
神官長への恨みつらみは後日文書に残すことにして、俺は執務室を飛び出し二人分の遠征準備に奔走した。
◇
神殿関係者というわかりやすさのために、遠征中は生成り色の神官服を着用。本来なら聖女は純白の専用服があるのだが、それは近年もっぱら催事用だ。その時のシャロイラ様の美しさは語り尽くせない。そら王太子も惚れるだろうさ。うちの聖女は世界一。
それはさておき。
「シャロイラ様は馬車にとご案内しましたが?」
「タンダが騎乗するなら私もと約束したでしょう?」
神殿で育てた俺の愛馬ライローにシャロイラ様と同乗することになった。最低限の荷物にはしたが、それを積んでさらに二人ではライローだって長旅はキツイ。俺らの荷物を遠征軍の輜重部隊に頼む選択もあったが、何かあればすぐに取り出したい物がありすぎて預けるのはやめた。かと言って馬車は道が悪くなると使い物にならない。馬車で山登りは手間がかかり過ぎる。
ライローはおおらかな性格をした馬で、荷物が多くても嫌がらないでくれる。道中の世話はきちんとやるからな!シャロイラ様の次になるけど。
馬の負担を減らすため、もちろん御身の安全確保のためにシャロイラ様を遠征軍が用意した馬車に案内したのだが、まずは俺とライローに乗ると言ってきかなかった。
「ライローありがとね〜」
俺の前に座り、そう小さく言いながらシャロイラ様はたてがみを撫でる。ああ、きっと今芸術家が泣いて喜ぶ笑顔でいるんだろうなぁ。後ろ姿じゃ目に焼きつけられない。まあそんな後頭部も至高である。
存分に撫で終えたのか俺に寄りかかってきた。相変わらずその存在感にしては軽い。落馬しないようにシャロイラ様の腰に腕を回す。
「ふふふ、タンダとライローに乗るの久しぶり〜」
……まあ、移動はいつも馬車だしな。
俺が乗馬を、というか神兵長に騎兵のいろはを叩きこまれやっと及第点をもらえると、シャロイラ様は馬に乗りたいと駄々をこねた。俺がシャロイラ様の乗る馬を引いて歩くつもりでいたら二人乗りをご所望だった。
聖女を落馬させないようにと震える俺を見かねた神兵長が馬を引いてくれた。その時10歳。俺の体に合わせた小柄な馬はシャロイラ様にも可愛がられることになった。
時々大聖女の世話を受けたからか、すでに老齢に差しかかっていたその馬はその翌年に天寿を全うする時までも穏やかだった。息を引き取り、鼓動が完全に止まってから、涙がとめどなく溢れた。
当時俺と同じ身長のシャロイラ様は、ずっと俺の頭や背を撫でてくれていた。俺より少しだけ小さい手がとても温かったのを覚えている。
『姉ちゃん……また、一緒に馬に乗る……?』
『もちろん!タンダとしか乗らん!』
その後、ライローが俺専用になってくれた。神殿にやって来た時はまだ若馬で動きが荒かったが、俺のしぶとさに負けてくれた。ライローという名はシャロイラ様の名前からこっそり取った。すぐバレた。しかしそれが良かったのか、シャロイラ様とライローも仲良くなった。
馬と戯れる聖女。俺が画家だったらと何度思ったか。