高架下
玄関の扉を開けると小雨だったので、一瞬思案して歩くことにした。路地を抜けるとすぐに池袋5号線の高架下に出る。真下を通る国道17号線から見上げる空は四方を構造物に遮られ針のように細い。その細かい隙間を縫った雨がわずかに顔にあたり、ぬかるむような感覚と匂いが路面に伝わる。この間までセブンイレブンだった場所がファミリーマートになっていた。缶コーヒーを手にとってレジに行くと、東南アジア系のアルバイトが「イラッシャイマセ」と小さな声で首を垂れる。彼は以前、この場所がセブンイレブンだった頃からアルバイトをしていたはずで、名札をみると「ラミル」とあった。何も変わっていなかった。箱だけが代わったのだった。
都市の現像は常に流動し、代替可能な風景は都市生活者として生きる私の内面を映す鏡のように揺れていた。無数の都市の断片は私を形作り、都市の一部となった私もまた何かの断片なのだった。ノイズキャンセリングしているワイヤレスイヤホンから、アマゾンミュージックがセレクトした流行りのJPOPが延々と流れている。そうやって外の世界を遮断しても、結局私は私なのだと、諭されているようだった。
板橋本町駅前の街頭で共産党の区議会議員が演説している。「皆さん、確信と希望をもって、ともに戦い抜いてまいりましょう。前に前に、進んでまいりましょう」スピーカー越しに張り上げる声はたちまち雑踏に消え入る。政治とは誰のためのものなのか? ラミルと呼ぶらしいあのアルバイトは確かに私に「イラッシャイマセ」と言った。
次第に雨が強まり、アスファルトを打つ雨滴は高架下に白い靄をつくる。国道17号が山手通りになる区域、とぐろを巻く板橋ジャンクションの中心で、色褪せたケヤキが光を求めている。舗装されたアスファルトがなぞるのっぺりとした起伏、この起伏の上を歩くとき、私は少しだけ、私という存在を意識する。散り散りになったジグソーパズルのピースが偶然一致した時の、一瞬の興奮と倦怠感、何もかもが紛れもなく、私なのだった。