第1話『マシロ視点』-16
と、突然ドカドカと大きな足音が近づいてきた。
別の通路から走ってくる知らないおじさん。作業着を着た大きな人だった。クレナイもデカイけどさらに大柄な男。たぶん二メートルくらい身長がありそうなおじさんが走ってくる。
「おや、ケシズミさん」
ワサビさんが先に声をかけた。
デカイおじさん、ケシズミというらしい。
同時に、自分の目を疑った。
武器だ。
こいつ、ボウガンを持っている。
この研究所に来た途端、私は突然ボウガンで撃たれた。撃たれた理由は分からない。流れ弾が偶然にも私に当たってしまったのか。敵と思ってつい撃ってしまったのか。
あの時、片目を潰されて私は犯人の顔を見ていない。完全に不意打ちだった。
こいつが左目を撃った犯人か?
まだ確証がないのでなんとも言えない。
ちなみにこのケシズミって人はまったく私に気がついていない。セイの背後、しかもこちらが小柄すぎるせいか、どうやら視界にすら入っていないようだ。
まずワサビさんが言った。
「一応、紹介しようか。この人はケシズミさん。生産部って言ってね、工場の社員だよ。……前に説明したろ、ここは普通の一般薬品も製造してるって。地下二階が医薬品の製造工場になっているんだ」
「それよりお前ら猫、見なかったか?」
ヒビ割れたガサガサの声。
この人、どうやら目的はべつにあるらしい。ケシズミおじさんがやけに落ち着きなく周りを見ている。
「ああ、実験場から逃げた黒猫かい? こちら側では見てないな……」
「なんだよ、使えねえ。あの黒猫は劇物に適応できたんだろ?」
「一応、だな。まだ未確認だった。データや情報を引き出す前に逃げられたからねぇ。だがクリエイト能力を発動して人間の言葉も理解していた。おそらく……適応している」
「そいつの細胞を人間に利用すれば、どんな奇跡だって起こせるんだろ?」
「まだ確定ではないよ、劇物は。……奇跡の可能性があるって話だ。もっと研究しないと」
「なんだよ研究員、ハッキリしねえなあ」
「色々と調べて情報を集めるのが仕事だからねえ。だから今こうやって劇物だらけの現場に来ているわけよ。研究員も命がけなんだがね」
遠くから複数の足音が聞こえてきた。すさまじいスピードで足音が近づいている。明らかに普通の人間の速さではない。
感染者。
おそらく別のルートから侵入してきたバケモノの大群だ。
「どっから湧いてきやがる、あいつら……」
ケシズミおじさんがボウガンを構えた。が、なにかに気がついて武器を下ろす。
「ん? おい、お前まさか……」
驚きの声。
「その赤い目。理性がある。暴走もしていない」
私たちのほうを見て大きく目を見開いた。
「なんだよ、ここにいるじゃねえか実験の成功例が! なにやってんだワサビ。こいつら下に連れていって細胞を摘出すりゃあ目的達成だろ?」
「下に行きたいのは山々なんだがね、なんせ敵が多すぎる」
「まあ同感だな。ワサビ、カードキーあるか」
「あるよ。これで下の階層に……」
ワサビさんが白衣のポケットからカードキーを出した瞬間。
「よっしワサビ、お前は研究が大好物だろ? 命がけで研究してこい。黒猫はおれが見つけて地下に持っていく。こいつらもおれが連れていく。安心して死んでこい」
持っていたカードキーを奪ってワサビさんだけを通路の向こう側へ蹴り飛ばした。
同時に隔壁のスイッチを作動させる。瞬時に反応する巨大な壁。
「ちょ、ケシズミさん! カード!」
隔壁の向こう側。感染者だらけの地獄に研究員を取り残して。
「大丈夫だ、おれに任せろ。実験はサクラが完成させる。心配すんなって」
見えなくなった隔壁の向こうでワサビさんの悲鳴が上がった。
研究員を囮にしやがった、こいつ。
《ゲス野郎、発見だね。命を粗末にするとはありえない判断だ。愚行すぎ百点》
点数つけんな。
それより警備部のクレナイもまったく止めようとしなかった。
『なんで助けないの!』
毎回クレナイさんは助けてくれたのに。
「時間稼ぎになる。今のうちに別のルートを探す」
容赦ない。命の切り捨てが早すぎるよ、この人。
「とにかくよぉ地下のほうが安全だ。このガキも連れて行くんだろ?」
大柄のケシズミが近くにいたモモちゃんを無造作に掴みあげた。
もはや誘拐の構図だ。
変化は、ほぼ同時だった。
地震のように建物が揺れた。そして突然、天井にヒビが走った。
全員が頭上を見上げる。
「くっそ。ホントどっから侵入してきやがんだアイツら。数が多すぎて処理できねえぞ、おい!」
天井の亀裂が一気に広がる。
現在、地下一階。
上のフロア、つまり一階フロアが丸ごと落ちてくる。こんなモン落ちてきたら全滅だ。
最初に動いたのはケシズミのおっさんだった。
モモちゃんを連れて走りだす。
「早くしろ、お前ら! 潰されるぞ!」
「ヤダ、助けて、お兄ちゃん!」
ケシズミに腕を引っ張られイヤがる少女。助けに行こうとセイが動いたけど、とっさに私が止めた。
『ダメだよ、セイ! 天井が落ちてくる!』
すでに崩壊がはじまっている。目の前に一階フロアが丸ごと崩れ落ちてくる。
先に行動していたケシズミとすでに数メートルの距離があった。そちら側に近づけない。
「離れるぞ、急げ」
冷静なクレナイさんの声に促されこの場を離れる。
次々と降ってくるガレキの破片。とにかく三人で移動するしかない。
「死ぬんじゃねえぞ、お前! いいか、簡単に死ぬんじゃねえぞ! この子供をもらっていくからな!」
完全に言動が誘拐犯のケシズミおじさん。
「逃げるんじゃねーぞ。この子はおれが安全な場所にかくまってやる。安心しろ」
カードキーを使って地下の階層へ下りていくケシズミとモモちゃん。
誘拐犯のデカイ背中が見えなくなる。
『待て、おっさん、おい!』
目の前で閉じていく隔壁。
「別のルートでいくぞ。走れ」
方向転換。クレナイが先頭を切って駆け出す。ここに残るわけにもいかない。行くしかない。
『くっそ、覚えとけよ、ケシズミィィィーッ!』
絶対あいつが犯人だ。私の左目を潰した男。
モモちゃんをさらった男。ワサビさんを捨てた男。
間違いない、あいつは敵だ。




