第1話『マシロ視点』-15
通路を歩きながら思わず私は訊いてしまった。
『つまり、劇物ってなんなの?』
ワサビさんが肩をすくめた。
「正直、分からんねえ。宇宙から落ちてきた宇宙生物だ。まったくの情報不足だな」
《ボクに言わせれば意識を持った、そーゆー物。そーゆー存在だと認識してくれ》
結局、分からない。
《人間の言葉で説明するには言語化が難しい》
『あっそ』
諦めた。とにかく使えるものをせいぜい利用してやる。それしかない。
「まあ色々と実験しているんだが……。俺らが以前マウスで試した時は、劇物を脳に移植したマウスが実験室の壁を溶かして細長い配管を錬成したとか」
物体をつくりだす能力。
『クリエイト能力でしょ?』
「そう。普通にそれ、すげえ能力だからな。物質の重さ大きさ、強度に体積。いろんな常識をぶち壊して物体を作れる。もう魔法だよそれ。現代の錬金術だな」
ワサビさんの説明が続く。
「ただ問題は……劇物は毒性が強い、見ての通りな。動物実験だとダウンロードした情報を言語化、数値化できない。犬や猫は『普通』しゃべれないだろ? 動物たちがどんな情報を劇物から入手したのか明確に分からないんだよ。かと言って人間に移植するには危険すぎる。だからこれまで人間に直接この劇物を移植することはなかった。……ないハズだった」
ワサビさんが先の部屋を指さした。
「もうすぐ食堂だ。食欲はないかもしれんが食える時に食っておいたほうがいい。ウチの食堂は保存料なし、無添加、安全。片目のお嬢さんにも食えるもんがあるはずだ」
私の顔をかるく覗き込む。
「あんた、チョコもコーヒーもダメだろ?」
《確かにマシロにとっては危険な食品だな》
外野がうるさい。
そのまま全員で食堂に入る。
地下一階、食堂。
「お母さん!」
『待ってモモちゃん』
駆け寄ろうとしたモモちゃんをとっさに引き止めた。
食堂、内部。
かなりハデに暴れた形跡があった。周囲に飛び散った血液と誰かの腕や足。
その奥、食堂の職員なのだろう。制服姿の女性がいた。イスに座ってテーブルに寄りかかっている。
ほかに人の気配はない。視覚、聴覚、嗅覚。できる限り感覚を広げてみたけどバケモノが隠れている感じではなかった。
「モモ……どうしてここに」
「誕生日だから、ビックリさせようと思ってプレゼント……クッキー焼いてきたの。お母さん甘いの好きだから、喜ぶかなあって……」
つらそうに呻く母親。
「そう。ありがとうね、モモちゃん。お母さんね、なんとかここまで逃げてきたんだけど……」
母親の足。片足。そのつま先がなかった。もう喰われている。完全に感染している。
ジワジワと目の色が変色しはじめた。赤く赤く変化していく母親の目。
発症してしまった。
「お母さん!」
私がとっさにモモちゃんにしがみつき、なんとか動きを止める。セイが母親に銃口を向けた。
が、撃てない。子供の目の前で撃てるわけがない。
「お前さんが撃たないなら、こっちでやるぞ」
ワサビさんが薬品の入った小瓶を取り出す。
「いや、違うんです。ここで撃つのが正解ルートなのか分からないんですよ、今の俺じゃあ……」
「正解ルートって……なにを言っているんだ?」
「逃げて、みんな、逃げ……」
母親の意識が途切れた。瞬間、不自然な身体の動きで立ち上がる。つま先を失っているのでバランスが悪い。が、そのままの体勢で一気に突っ込んできた。
もう言葉はきかない。脳まで侵食されたら止められない。
『セイ、撃って!』
銃声。
さらに数発。
正確に頭部だけを狙って弾丸が撃ち込まれる。
今の音。
銃声がさっきより大きく聞こえた。セイの銃じゃない。もっと大口径の大型拳銃の音だ。
その音を探して振り返る。
大柄の男がいた。
セイより身長が高く広い肩幅。メガネを無造作に直すしぐさ。
「次は、ためらうな。できるね?」
警備部のクレナイだった。
セイが力なく銃口を下げる。セイは撃てなかった。
「お母さん! おかあぁさあん!」
モモちゃんが母親だったものにしがみつく。
もうお母さんは動かない。
「なんで! なんで!」
少女の叫び。誰も声をかけられない。
クレナイが遺体に近づく。念のため死亡確認をしているのだろう。
冷静、というより冷酷。感染者を殺すことに躊躇がない。
泣きながらクレナイのふとももを叩く少女。その小さな暴力を気にせず、クレナイが言った。
「地上の階層は全滅だった。もう上に生存者はいない。このまま下の階層に潜るしかないな」




