第一話 旅の始まり
人間が創った国ーー人間国。亜人が創った国ーー亜人国。そして、その二国領土を割譲して創った国ーーニクス。その三国からなる世界。三国のみが存在する世界。
そして、その三国が一つ亜人国。人間とは違い、獣の特徴や鱗を有した亜人が数多くいる国だ。しかし、亜人とは言え、その生活仕様は人間とさして変わらない。朝に起きて夜に寝る。生活の基盤となる家屋を建てて家族を作る。賃金の為の労働をするし、衣服も着る。人間が必要とする衣食住が当たり前に必要な生活だ。そして、その生活の中には当然人間もいる。異種族である亜人と共に、不自由の無く生活の営みに交わり、生きているのだ。友好国である人間国も、中立国であるニクスも同じ。違いがあるとすれば、その比率だけだ。
亜人国の中心部から東に向かった所に、亜人国王都であるカリクタリスがある。そして、そのカリクタリスの中心部には亜人国が王の住う王城が建てられている。外壁は白亜色に染まっており、豪壮な構えの王城は、そこに住う王の偉大さを表わしているかの様だ。
そんな王城のとある一室。光の塊――太陽が昇る前に、部屋の主である緑髪の青年が起きた。
いつもより早い時間だ。
「ふぁあ……ねむてー…」
大きな伸びをしたのち、青年は大きなベットから降りた。
部屋は走り回れる程広い。部屋に置かれてる物がベットと執務用の机と椅子しか無く、随分と簡素であるとは言え、一人の者が使うには広すぎる部屋だ。
ベットから降りた青年は、そのまま部屋の隅に設置されたクローゼットへと向かった。
少し癖のあり、目や耳に掛らないぐらいの短さの緑髪には一切の寝癖が無く、枕と頭に潰されていた筈の髪も何事もなかったかの様にピンピンしている。癖が強いのか、はたまた髪質がとても硬いのかは分からないが。
そして、その緑髪が生えている青年の後頭部左右には、薄い緑色の長さが三十センチ程で、皺の入った角が生えていた。角の先半分程から三又に分かれている。
更に青年の後ろ、腰の少し下の辺りからユラユラと揺れる尻尾が生えていた。尻尾の長さは背が高いであろう青年の足の長さと同じぐらいので、その先端近くには小さなヒレが二つ生えている。
クローゼットに着いた青年は、鼻歌を歌いながら着替え始めた。
露になる体。衣服の上からだと標準的な体型だと思われていたが、その下には鋼の様に固く締まった肉体が隠されていた。しかし、目がいくのはその肉体だけでは無い。惚れ惚れするその肉体には、薄い緑色の亀甲模様が浮かんでいて、それが足元から顔の右半分目下辺りまで、所々見受けられる。まるで刺青の様に。
これらの特徴からわかる様に、青年は亜人である。
簡素な旅装に身を包んだ青年はそのまま部屋から廊下に出る。
馬車でも通るのかと思う程広く長い廊下だ。
青年は目を擦りながら歩みを進めた。
そうして、青年が王城の中心を綺麗に四角く入り抜いて作られたかの様なだだっ広い中庭ーー元い訓練場の脇に作られた廊下まで歩いて来た。その中庭は上を見上げれば、小さい青空が見える。
その時だ。
「―――アク兄さま! おはようございます!」
突如、緑髪の青年――アクエルドの背後から幼さの残る男の声が飛んできた。
「んん……?」
半目のままアクエルドが振り返る。
その視線の先では、廊下の突き当りから出てきたアクエルドと同じ装いの、背の低い青年が手を振りながら走ってきていた。
赤みがかった短髪で、後頭部の左右には艶があり、先端が”レ”の字の様な形になっている、長さ三十センチほどの角が生えていた。
走って向かってくる青年の背後からは、ユラユラと揺れている尻尾が見える。その尻尾は薄く赤みがかっていて、先端にヒレが無いアクエルドの尻尾と同じような形をしていた。
そして、その青年の緩い服装からチラチラ見える首元には、薄く赤みがかった鱗模様が浮かんでいる。
アクエルドは走ってくる青年の顔を見た。その顔は幼さが残る、愛らしい童顔の青年だ。
「おぉ、ガイル~…おはよぉ…」
アクエルドが覇気の無い声で答える。まだ眠気が残っているようだ。
童顔の青年――ガイルの到着を待ち、再び歩き出した。
いくつかの角を曲がり、いくつもの階段を上り、目的の部屋が見えてきくる。
すると、その部屋の前に、赤みがかった長髪にガイルと同じような角と尻尾が生え、所々見える素肌には、薄く赤みがかった鱗模様が浮かんでいる青年が、腕を組んで瞳を瞑りながら壁に寄りかかっていた。
「…来たか」
そう言った長髪の青年は瞳を開ける。
「おはようございます、クー兄さま! 遅れてしまい申し訳ありません!」
「おはよう、ガイル。まだ時間ではないからそんなに畏まらないでくれ。私も少し前に来たばかりだしね」
長髪の青年――クリシュが優しくガイルに微笑んだ。
「クー兄おはよ~」
「おはよう。…まだ眠たいなら顔を洗って来てもいいが…」
「ここを出る頃には覚めてるさぁ……はわぁぁ……」
「全く、お前はなぁ…」
アクエルドの様子に嘆息するクリシュ。しかし、眠た気な表情のアクエルドと、何やら緊張して表情が固いガイルの二人の温度差に、クリシュは思わず笑みがこぼれた。
「…さて、いくか」
部屋の前にクリシュ。その後ろにアクエルドとガイルが横に並んだ。
そうして、アクエルドがチラリとガイルの様子を見やる。手を開いたり閉じたりを繰り返していて落ち着きが無く、表情も固いこともあり緊張していることが良く分かる。
そんな様子を見たアクエルドは、面白そうにガイルの頬を指で突っついた。
「なぁに緊張してんだよ。兄ちゃんがお前の旅に付いて行こうかー?」
ニヤニヤしながら頬に当ててる指をグリグリ押し付けていく。
すると、図星を指されたガイルの頬が段々と紅潮していき、ぐうの音も出ない様子。しかし、このままやりたい放題にされては、この意地の悪い兄に今日も玩具にされてしまうと、目尻を吊り上げたガイルは、頬を突かれながらも強引に意地の悪い兄の方へと顔を向け、反論する。
「べ、べふにきんひょうなんかひへないでふよっ!」
「ほぉー、そうかそうかー」
「ほんほうでふよっ!!」
「そだな〜。ガイルはしっかりした男だもんな〜」
言いながらアクエルドは、ニヤケ面を保ったままガイルの頭をポンポンと撫でる。
その動作も気に障ったのか、更に顔を赤くさせ震えだしてしまうガイル。今にも爆発してしまうかの様だ。
そんな二人の兄弟喧嘩を、クリシュは振り返りもせず微笑みながら聞いていた。止める気は無い様だ。
「い、いつもいつも僕を子供扱いして! 僕だってもう―――!!」
――――ゴホンッ!!
怒りを爆発させたガイルの言葉を遮る様に、目の前の部屋の中から大きな咳払いが聞こえた。
アクエルドは楽し気な表情でガイルの頭から手を避け、ガイルは口を尖らせながらも沈静していく。
アクエルドがガイルをからかい、怒らせるのはいつものことだ。家族や使用人の間では兄弟間のじゃれつきとしか見られていない。
まあそもそも、ガイルもそこまで本気で怒っている訳ではないのだ。
「二人とも、父上が待ってる。入ろうか」
クリシュが肩越しに振り返りながら、宥める様に言った。
アクエルドが両手を上げ。ガイルは頷き返した。
クリシュがドアを叩く。
部屋の中からの「入りなさい」という低くて太く、しかし圧を感じさせ無い声に従い、三人は部屋に入った。
そこは簡素な部屋だった。
壁一面に沿って書類を保管する棚がずらりと並び、その装飾が豪華である為派手な印象を与えるが、設置されている物だけで見るのならば、執務室として使用する必要最低限の物しか置かれていない。
そして、部屋の奥には執務用の大きめな机と椅子があり、そこに五十代後半位の男が座っていた。その男はクリシュやガイルと同じ髪色と角、尻尾、鱗模様があり、赤く長い顎鬚を携えている。
彼は三兄弟の父であり、亜人国国王でもあるグラン・ドラゴードだ。
「おはようございます! 父上!」
「おはようございます」
「はよ~」
「うむ。朝早くからすまんな」
グラン王が柔らかな表情を三人向ける。
「とうとうこの日が来たのだ…」
そう言いながらゆっくりと立ち上がった。
「今日から選定の儀が始まる。我が友好国である人間国を旅し、人間国王と四人の英雄から課せられる見極めの儀を行い、竜王の儀を終えてもらう。詳細は伝えてある通り、竜王の儀を終えたものが王位継承の資格を得、次期国王となる者が決まる」
先程とは違う、重く響くグラン王の言葉で、姿勢のいいガイルが更に姿勢を正した。
竜王の儀とは、アクエルドら竜人族が竜王となる儀式のことで。人間国の最北にある山を越えた先に"竜王の祠"というものがあり、そこで伝説の竜王の血族が真なる力を得る。というものだ。
これは亜人国王になる最低条件とされている。
更に竜王の儀、見極めの儀に加え、各街や村を周り国民と接し、人間国を深く知ることが必要となってくる。
と、このように真面目な話をグラン王は息子らにしていたのが、次第に話がそれていき、最終的には観光に向いている街や村、一度は行ってみた方がいい場所など、関係の無い話になってきた。
そんな話をしているグラン王の様子は、寂しいが為に息子を引き留めているそれと同じだ。
しかし、親の思いは息子達には届かず、グラン王の長話に辟易した三人は声を上げた。
「親父ぃ、そろそろ周りが起きだす時間だぞ? 秘密裏に行くんじゃねーの?」
「むっ! もうそんな時間か…、まだまだ話したいことがあったのだが……」
「父上! そろそろ子離れして下さい!」
「そうですよ父上。私達が見て回るところは私達が決めます。任せてもらえないでしょうか?」
ストレートに三人からの苦情を受けるグラン王。瞳が潤んできた。
「わ、分かったわい。……最後にこれを渡そう」
グラン王が徐に、机の引き出しから三つの丸薬を取り出し机に置く。
「これは変化の丸薬だ。我々亜人が人間の姿へと変える物。これを飲み込んで人間の姿をイメージするのだ」
クリシュ、アクエルド、ガイルはそれぞれ丸薬を受け取り、躊躇なく飲み込んだ。
三人が静かに目を閉じる。
すると、徐々に三人の角、尻尾、模様が無くなっていき、三人の髪の色が黒色へと変わっていった。
それぞれ変化を感じたのか、ゆっくりと目を開けた。
「おぉ~。模様がねえ! 角がねえ! 尻尾もねえ!」
「ホントですねっ! ……あっ、アク兄さま、髪の色も変わってますよ!」
「ん? そうなのか? …おぉ~。ガイルとクー兄もなってるな~」
「ああ、凄いな。この丸薬は…」
各々、身体を回したり軽く飛んだりと身体の調子を確かめていく。
「尻尾がねえってのはこんな感覚なんだな…! 身体が軽い軽いっ」
「何だが僕、いつも以上に小さくなったような……」
「そんなことは無いぞガイル。いつも通りだ」
そう、いつも通り幼い可愛さを持ちよせている。
そんなことをクリシュが言えば、流石のガイルと言えど怒ることは目に見えている。その為、敢えて言う事はない。
しかし。
「そうそう! いつも通り可愛い弟だ!」
アクエルドの一言でクリシュの配慮が無に帰す。
「か、可愛いって…! 僕は大人の男ですよ! そういうことは余り言わないでほしいです!」
案の定プンスカ怒るガイル。
いつもはガイルの感情に合わせて揺れ動く尻尾がいい塩梅に可愛さを増大させていた。しかし、今の人間状態のガイルも負けず劣らずで、揺れ動く尻尾は無いが、体に浮き出ていた鱗模様や、唯一のかっこ良さを演出していた角が無くなったことにより、その幼い可愛らしさを増大させていた。
とにかく、亜人の時だろうと人間の時だろうと、可愛いのである。
「悪い悪い。つい、な。もう言わねえよ」
ニヤニヤしながら言うアクエルド。
そんな反省の色のない態度に「フーッフーッ!!」と怒りながらも、ガイルはそれ以上何かを言うことはなかった。
三人のやり取りをいつまでも見ていたいといった雰囲気で見ていたグラン王だが、ハッとした後、咳ばらいをして話を戻した。
「さて、この変化の丸薬の効果は約三年で切れる。分かっていると思うが、人間国を旅するのは三年だ。三年以内に帰ってくるのだぞ」
「承知しています」
「はいっ!」
「あいあい」
三人の返事を聞いたグラン王がガイルに目をやる。
「ガイルよ。なぜ人間の姿で旅をするのか知っているな?」
「はいっ! 過去の選定の儀にて王子であることがバレ、殺害される事件が起きました。以後変化の丸薬を開発し、自らの姿を相手国に合わせることにより、過激派組織からの目を掻い潜るようになったからです」
ガイルの回答にグラン王は満足げに大きく頷いた。
「そうだ。いくら友好国とは言え、そういった者達はどこかに潜んでおる。無論、我が国にもだ。…最近はあまり聞かなくなったが、万が一ということもある。決して油断するでないぞ。心して旅をするのだ」
グラン王の言葉に三人は頷きを返す。
「では、クリシュ、アクエルド、ガイルよ。裏に馬車を用意してある。王都はそれで出なさい」
グラン王の言葉を受け、三人は執務室を後にし、各々支度をしたのち、すぐに王都を出発した。
そして、彼らは凡そ一ヶ月ほどかけ国境へと向かった。