割とマジで誰も悪くない婚約破棄
ちょっと時間ができたので、リハビリがてら書いてみました。
「アルベルティーナ嬢。か弱き者に対する数々の暴力と誹謗中傷、権力を笠に着た傍若無人な行いは皇族として、否、人として看過できるものではない。よって、貴女との婚約を白紙撤回したい」
帝国貴族学園の中庭で、私の婚約者であるこの国――ケルサス・コロナ帝国――の第一皇子であるバルタサール・クリストフェル・エーリク殿下(皇子であるため姓はない)が、静かな……けれどアイスブルーの瞳に、まさに氷のような凍てつく視線を込めて、朗々たる声でそう一気呵成に言い放ちました。
「――な……っ!!?」
長身に輝く金髪、けぶるような美貌をした、まさに絵に描いたような皇太子殿下。
親同士が決めた婚約者とはいえ――まあ、王侯貴族同士で恋愛結婚などあり得ないので当然ですが――お互いに愛情はなくても、七歳の時から十七歳になる現在まで、十年間に育んできた親愛の情はある……と思っていただけに、殿下の口にされた宣言と、まるで見知らぬ他人を見るような冷ややかな視線は、まさしく青天の霹靂として私を突如として打ちのめしたのです。
ついでに付け加えるのなら、殿下の背後には、宰相であるガレッティ侯爵家の継嗣であるアーロン様、帝国最強と謳われるルシエンテス北方辺境伯家のゴットフリッド様、貴族院議長でもあるセプルベダ公爵の嫡孫エルナンド様といった、そうそうたる面子――将来の皇帝であるバルタサール殿下を補佐する片腕たち――が、殿下に迎合してか、親の仇を見るような目で私を睨んでいるのも、衝撃を倍加させる一因となっています。
声もなく私が視線を彷徨わせれば、殿下たちの背後――肩をすくめて小さくなっている、素朴ながら可愛らしい容姿のご令嬢が、彼らに守られるようにして俯いて佇んでいるのが視界に入りました。
「――っっ……っ!!?」
刹那、私の中ですべての符号が繋がった気がいたしました。
彼女は昨年、男爵に叙された大商人であるトラーゴ商会の令嬢――直接、私は面識があるわけではありませんが、彼女の事は噂として聞いています――であり、それによって一年前にこの帝国貴族学園へ編入してきたセレスティナ・エマ・トラーゴ男爵令嬢でしょう。
その砂糖菓子のような見た目と、貴族にはない自由闊達な言動から、たちまち下級貴族を中心にした男子生徒の取り巻きができ、半年もせずに中級貴族はもとより、上級貴族、果ては教職員や聖職者にまで信奉者を増やしまくっている……とは風聞として耳にしていたのですが、まさか、まさか皇太子殿下や将来の帝国の基幹を担うであろう上級貴族まで誑し込まれ――失礼、篭絡されていたものとは、いまのいままで、この瞬間まで思いもしませんでした。
「……本来なら、個室で内密の話としてすり合わせを行いたかったのだが」
愕然とする私の様子に、さすがに罪悪感を覚えたのか、バルタサール殿下が忸怩たる口調で付け加えます。
どうやらこんな公衆の面前で、婚約破棄などというプライベートなことを宣言するほど恥知らずではなかったようですが、
「……内密の話がしたい」
「それは私に瑕疵があり、公然と話せない内容なのでございますか?」
「…………いや、君に瑕疵はない」
「ならばこの場で堂々とおっしゃってくださいませっ」
いやな予感を覚えたため、そう啖呵を切ったのは私なので、ある意味自業自得なのですが、まさか公衆の面前でさらし者になるとは思いもしませんでした。
ともあれこの学園における男女のツートップである皇太子殿下が、祖父に皇弟を持つ大公家の嫡女にして、婚約者に放った突然の爆弾発言とあって、麗らかな日差しもあって昼休みのひと時をのんびりと散策していた、帝国貴族学園生や教師、従者たちも、一斉に時が止まったかのように動きを止め、ついで息を呑んで、無言のまま爆心地であるこの場へ視線と意識を集中させるのでした。
「…………」
凍り付いたような沈黙の帳が落ちます。
なにしろ世界に冠たるケルサス・コロナ帝国の貴族・皇族が、最低でも六年間は通う最高学府。その学び舎が、一瞬にして修羅場――私的には、人生の趨勢を賭けた鉄火場――と化したのですから。
「……正気――本気ですか、バルタサール殿下?」
よろめきそうになる足腰に喝を入れて――背後に私の侍女や、懇意にしている貴族の令嬢方がいる前で無様を晒すわけには参りません――私はバルタサール殿下に問いかけます。
「ああ、すでに皇帝陛下やアールグレーン大公には内密に了解を得ている。私はアルベルティーナ。貴女との婚約を撤回することを、帝国法とアエテルニタス神の名において明言する」
両家の承認はもとより、議会や国教の許可も得ているらしいこと――つまり、どうあっても、もはや確定事項であること――を知って、私の立っている世界がぐるり傾きました。
「アルベルティーナ様!」
「アルベルティーナ様、しっかりなさってくださいませ!」
「お姉さま、おいたわしい……」
どうやら一瞬崩れ落ちそうになっていたらしいです。気がつけば侍女(ちなみに伯爵家以下の次女、三女が学生の傍ら行儀見習いとして付き従っているので、ぶっちゃけセレスティナ男爵令嬢よりも家格は上です)や、懇意にしている令嬢方によって支えられていました。
このまま頭を抱えて帰りたくなりましたけれど、そこは貴族の嗜みとして、そして何よりも元皇太子妃候補としての矜持でもって、
「――失礼いたしました。お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません、殿下。並びに皆様」
無理やり平静を取り戻した風を装って、私は威儀を正してポーカーフェイスのまま、軽く目を細めたバルタサール殿下と、鋭い目つきで……まるで親の仇を見るような目で、私を見据えるその取り巻きたちに謝罪をして、心配する侍女たちの手を放してもらって、カーテシーを決めました。
さて、宮廷小説や歌劇なら、婚約破棄を叩きつけられた令嬢の立場としては、泣いてすがるか狼狽えるか喚き散らすところでしょうが、そんな臭い芝居に付き合っていられません。
というか、すでに外堀を埋められているなら、こちらは内堀を埋めて反撃しなければ腹の虫が治まらないのは確かですわね。
婚約者がいる立場で男爵令嬢と浮気をして、一方的に婚約破棄を告げる。それなりの落とし前をつけていただけなければ、私の今後の人生は灰色です。
ここが正念場と、私はバルタサール殿下と真正面から向き合いました。
「――いくつかお伺いしてもよろしいでしょうか。殿下?」
「よい。許す」
ちらりと周囲を見回せば、潮が引くように周りから人がいなくなった空白地帯に佇むのは、金髪碧眼のバルタサール皇子と四人の取り巻き。あと、小柄で栗色の髪をした――長身で赤薔薇色の赤毛、やや目付きの鋭い私とは対照的に――いちいち仕草が小動物地味た令嬢がひとり。そうして、糾弾の相手――つまり私、アルベルティーナ・イーリス・パウリーネ・アールグレーン大公女――と、その侍女と友人である令嬢方が五人という、ほぼ同数での対峙です。
気を取り直した私は、固唾をのんで見守る周囲の面々にちらりと目配せをして、手にした扇で私の派閥の学園生や、万一のために王宮から派遣されていた、警備の近衛騎士が割って入ろうとするのを、無言で掣肘しました。
この僅かばかりの時間稼ぎで、肩の力が適度に抜けた私は、改めて眼前の婚約者――まあ、たったいま婚約破棄を告げられたわけだけれど、法的にはいまだ婚約者のままな筈――に向き直りました。
「私に瑕疵がないのであれば、なぜ婚約破棄などということになったのでしょうか?」
「破棄ではなく白紙化なのだが……まあいい。真実の愛のためだ」
「『真実の愛』でございますか? 王侯貴族同士の婚姻は家門同士の結びつき。そこに愛など……」
「わかっている。私もそう思って、君と婚約が内定してからのこの十年間、君の頑張りに負けまいと努力してきたつもりだ」
まあ、確かに。バルタサール皇子、切れ者というほどではないですが、ボンクラではなく、見目の良さもあって皇帝としての素養は上等の部類に入るでしょう。
私のお妃教育も厳しかったですが、それ以上に大変な帝王教育にも必死に食らい付いていた。それを知っているからこそ、私も頑張れた。ある意味、切磋琢磨できるライバルにして、戦友のような感情をお互いに持っている、と密かに自負していただけに衝撃が大きかったのですが、当の本人からやはりその感情を肯定するような答えが返ってきて、僅かばかりの満足と圧倒的な困惑が再度私を襲います。
ならばなぜ……?
そんな私の問い掛けの視線に、バルタサール皇子は長年の鬱憤が噴き出した様子で吐き捨てます。
「だが、どうしょうもない。どれだけ頑張っても、君といては心の平安が訪れないんだ! せめて君が歩み寄れるならばと期待したのだけれど……絶対に無理だとわかった私の嘆きがいかばかりか!! 乾き切った私の心を潤すものを、君には理解できないだろう!?」
「――っ!?! ならば、そちらの……確かトラーゴ男爵令嬢ですわね?」
私に槍玉にあげられたトラーゴ男爵令嬢が、うろたえたように身を震わせ、庇護欲をくすぐられたのか殿下の取り巻きたちが、すかさず私と彼女の間に割って入りました。
「彼女が殿下の心の乾きを潤し、平安をもたらす真実の愛――とやらなのですか?」
「ん? ……まあそうだな。彼女は素晴らしい」
ほうっ……と、私には一度も向けたこともない、とろけるような笑みを浮かべるバルタサール皇子。
愛情はないとはいえ、いまだかつて見たこともない――『氷の貴公子』の異名を持つ殿下の――満面の笑みを目の当たりにして、私だけではなく注目していた全員の間から、どよめきのような(女生徒の一部からははしたなくも悲鳴のような)嬌声が上がりました。
「……姫様、噂でございますが、バルタサール殿下は昼休みのたびに、コソコソと隠れるようにして裏庭に行っていると聞いています」
「そういえば、トラーゴ男爵令嬢と何やら書簡のようなものを密かにやり取りしているとか……」
「トラーゴ男爵令嬢といえば、あそこにいる令息方と休日など懇意にされている姿をお見かけしたと」
「私知ってます。これってハニートラップですわよね。ハニトラですわ、ハニトラ」
打算以外にも、ちくりと痛む胸に密かに身悶えする私の耳に届く声で、侍女や友人の令嬢方が、バルタサール殿下とその取り巻きたちの不誠実な行いを囁いてくれました(一部、貴族の令嬢として不適切、もしくは非常に適切な発言がありましたが、まあそれは棚に上げておくとして……)。
確かに、これ以前にそういった噂についてやんわりと忠告してくださるご令嬢もいたのですが、私が多忙であったことと、堅物の殿下に限ってまさか! おおかた根も葉もない勘繰りでしょう。不敬な……と、甘く見すぎていた結果がこれなのですから、これは私の不徳の致すところですわね。
そう自省しながら、私は重ねて問いかけます。
「さきほどおっしゃられた、『か弱き者に対する数々の暴力と誹謗中傷、権力を笠に着た傍若無人な行い』というのは、具体的にどのようなことでしょうか? 全く身に覚えがないのですが?」
その途端、バルタサール殿下の全身から憤怒の感情がほとばしり出たように感じて、私たちは思わず身をすくめ――遠巻きに眺めていた、気の弱い御令嬢の何人かはその場で失神したほいどです――知らず、よろよろと後ずさっていました。
「知らぬ……知らぬ存ぜぬか。……そうだろうな。君にとっては下らぬこと。気にする必要もない。せいぜい虫けらを潰す程度の感覚しかなかったのだろう。だが――!!」
怒りのあまり言葉にならない殿下の代わりに、アーロン様、ゴットフリッド様、エルナンド様が次々に私と、その背後に控える侍女や友人たちを糾弾し始めました。
「私は確かに見たぞ! 四月前の皇霊祭の日に学園の屋外パーティ会場で、『おおいやだ、この晴れやかな日に、貧相な野良ネコが混じっているなんて、気分が悪いですわ』と声高に話し、それを受けてそこなる侍女が『本当にみすぼらしいですわね。野良ネコらしく水をかけて追い払いましょうか?』と言っていたのを!」
アーロン様の証言にバルタサール殿下が首肯して、ずっと無言でいたトラーゴ男爵令嬢の方を向いて、何やら促しました。
「それについては、実際にトラーゴ男爵令嬢の証言を聞こう。遠慮はいらない。忌憚のない発言をしてくれ」
「……は、はい。では、失礼ながら……」
周囲の視線を浴びて、いかにも気後れしています……という態度で、トラーゴ男爵令嬢はおずおずと口を開きます。
小さいですけれど、意外と発声はしっかりしていて、中庭に居る全員の耳にしっかりと届く声でした。
というか喋り方が慣れています。ただし、貴族特有の場慣れではなく、商売人のシャキシャキした口調ですわね。
このあたりは、さすがは帝都でも屈指の大商会のご令嬢。この調子で売り込まれたら、世間知らずの貴族のボンボンなど、骨の髄まで食い物にされるでしょう。
いえ、トラーゴ商会といえば海外の珍しい商品も扱っているのですから、本来であればそうしたものに目の無いご令嬢こそが、購買層となると思うのですが――あくまで又聞きですが――入学当初は積極的に声をかける下級貴族のご令嬢もいたそうですが、いつしか彼女たちは距離を置くようになり、代わりに男子ばかりが周りに居るようになったというのですから、確実に作為的なものがあるでしょう。
なお、ご令嬢方が交友を諦めた理由については皆様、一様に口を噤んでおられますが、「トラーゴ男爵令嬢には、もう関わりたくない」と口を揃えて、忌避感を濃厚ににじませていることから、なおさら、憶測が憶測を呼んでいます。
ある意味負の連鎖に陥って、女子会から孤立いるのはお気の毒ですが、それをどうにかする自助努力や社交性を学ぶのも、この学園のモットーの一つですので、私なども余計な干渉はしなかったのですが、だからといってまさか男性陣に媚を売るとは……予想だにしませんでした。
なにしろ、いかに学生とはいえ、未婚の男女が不用意に親しくなることは厳に慎むべしというマナーは、貴族どころか庶民であっても良家の子弟子女であれば、当然の良識として心得ているはずなのですから。
ともあれアーロン様が語った私の悪行とやらを補足すべく、トラーゴ男爵令嬢が舞台に立ちました。
「私が確認しただけで四度。学園内でアールグレーン大公家の侍女の方々によって、水をかけられ、ひどい時には石を投げられ……」
そう言って哀し気に目を伏せるトラーゴ男爵令嬢。
「そんな! 出鱈目です!」
「黙れ。貴女の発言は許していない」
思わず叫び声をあげた私の侍女を、有無を言わせず封殺するバルタサール殿下。
「…………」
蒼白な顔で黙り込む彼女をゴミでも見るような目で一瞥する、殿下とその取り巻きたち。
「それだけではない。冒険者と呼ばれる無頼の徒を雇って、密かに誅殺せんとした所業。我はこの目でしかと確認し、寸前のところでこれを未然に防止し、捕らえた連中を尋問し、アールグレーン家の名代が依頼主であることも判明している!」
さらに獅子のような傲然たる口調で、ゴットフリッド様が咆え、懐からアールグレーン家の名でサインされた依頼書や調書を取り出しました。
「「そんな……馬鹿な!?」」
思わず目を剥く私と侍女のふたり。
トラーゴ男爵令嬢が恐怖のあまり身を震わせている様子が視界の端に映りました。
「なんという恐ろしいことだ。この帝都で公然と殺しを実行しようとするとは! それも罪なき者、か弱き者に対してとは――アルベルティーナ嬢、貴女には失望した!!」
怒りを越えた蔑みの眼差しでバルタサール殿下が私を見据え、吐き捨てます。
「そして何より、アールグレーン大公女とそのシンパが現在、水面下で行っている悪辣な学園からの追放計画を知らないとお思いですか? 我らは会長の元、すでに全容を掴んで、学園の三分の二を有数する反対署名を集めた、対抗措置を実施中です」
「学園からの追放!? ひどい! あんまりです!」
エルナンド様が『反対署名』なのだろう分厚いファイルに閉じられた紙の束を、これ見よがしに誇示するのと、それを聞いたトラーゴ男爵令嬢が涙を流して憤慨した。
「……そんな。どれもこれも根も葉もない冤罪ですわ……」
そう訴える私ですが、そこそこ優秀な彼らが『証拠』として集め、提示して、さらにはすでに皇帝陛下にも認められているとなれば、黒でも白くなるのがこの世界です。
いかに言葉を重ねても、もはや私に逃げ場はないでしょう。
よくて大公家からの廃籍と修道院コース。
下手をすれば一族郎党ギロチンコースしかないことは明白です。
頭が真っ白になって、世界がぐにゃぐにゃと滲み、正気が危うくなりかけた瀬戸際で、ふと、観客の誰か男子生徒が呟いた何気ない言葉が耳に入ってきました。
「――あれ? あの署名って、確か学園に入ってくる小鳥や小動物を駆除して、二度と入ってこないように結界を張るのに反対する署名だったよな?」
…………あ? ……。あ~~~~~っ!!!
途端、混乱していた頭に閃光が奔りました。
そうですわ! 確かに私たちは密かに画策していました。不潔な動物のいない、清潔な学園の構築を。
って、いやいや、待って待って。なんとなく会話に微妙な齟齬があるような気がしていたのですが、もしかしていままでの話って……。
思いついた可能性を確認すべく、私はゴットフリッド様の持つ書状へと目を凝らしました。
「――っていうか、ゴットフリッド様。その依頼書の中身を確認させていただきたいのですが?」
先ほどはショックのあまり内容をろくに読んでなかったのですよね。
そう言うとゴットフリッド様は不快気に鼻を鳴らされます。
「なにをいまさら。貴女の屋敷の周りに野良犬が近づかない様に、周辺の通りにいる犬を殺傷するようにとのアールグレーン大公家の命令だろうが!」
「「「「「はあっ、犬っ!?!」」」」」
ゴットフリッド様の怒号に、思わず素っ頓狂な声を張り上げる私たち。
「その通り! いかに大公家とはいえ、帝都内での動物のみだりな殺処分を行う権限はない。これは明確な法令違反だ」
バルタサール殿下が、即座に帝国法令全書を取り出したエルナンド様から受け取り、規定の部分を忌々し気に読み上げました。
「いえ、あの、ですが、最近、貴族街の街屋敷の周辺で、野良犬が増えて危険ですし……」
そういえば秘書からの報告で、そんな依頼を冒険者ギルドに出していたような……と、思い出して抗弁しましたが、
「だったらきちんと保健省を通して、野良犬を保護して、病気の治療や避妊手術などを程こした上で、希望者がいれば譲り渡すべきであろうが!」
「――可哀想なワンちゃん。有無を言わせず殺処分しようとするなんて残酷ですわ……!」
なおさら憤慨されるバルタサール殿下と、涙ぐむトラーゴ男爵令嬢。
「あー……確かに、早計……でしたわね。謝罪いたします」
野良犬なんて百害あって一利なしという、秘書の言葉を適当に相槌を打って決裁に回しましたけれど、確かに不味いやり方でしたわね。
「――あら? では、アーロン様が口にされた皇霊祭での私たちの発言や水がどうこうというのは……?」
「だから。パーティ会場に紛れ込んだネコちゃんを見て、貴女方が悪し様に罵り、そして水をかけたり、石を投げたりして追い払ったのだろう!」
身悶えされるアーロン様ですが、この場合の『猫ちゃん』というのは――。
「……もしかして、隠喩とかではなく、文字通り本物の野良猫ですか?」
なんとなーく思い出してきましたわ。会場の食物の匂いに釣られてか、何匹かの野良猫がパーティ会場の中をウロウロしていたことを。
「だからそう言っているだろう。君の随員や侍女は、この学園の癒しである可愛らしい猫ちゃんに水をかけ、石もて追った非道なふるまい。看過できないと」
「「「その通りです、会長!」」」
私の問い掛けを憮然と肯定して弾劾をするバルタサール殿下と、それに追随をする貴公子の皆様方。
「ひどいですわ。私の知る限り、学園では九匹の猫ちゃんたちが餌付けされていたのに、そのせいで四匹が近づかなくなりました」
「「「「悪女め!!」」」」
悄然と追加で燃料をくべるトラーゴ男爵令嬢の台詞を受けて、バルタサール殿下以下が異口同音に放ちました。
「……。あの、つまり、最初の『か弱き者に対する数々の暴力と誹謗中傷、権力を笠に着た傍若無人な行い』というのは、そこのトラーゴ男爵令嬢に対するものではなくて……? あと、さきほどからなぜ殿下が『会長』と呼ばれているのですか?」
「? なぜトラーゴ男爵令嬢が引き合いに出されるのだ? これはか弱くも可愛らしい動物たちをイジメる元凶であるアルベルティーナ嬢。貴女に対する弾劾だ! ついでに付け加えると私は学園内の非公認クラブ『フワフワモコモコを愛する会』の会長だからだ」
一切の躊躇も恥ずかしげもなく、胸を張るバルタサール殿下。
果てしなくどうでもいいのですが、アーロン様が副会長で、ゴットフリッド様が親衛隊長、エルナンド様が書記、トラーゴ男爵令嬢が会計だそうです。
「学園での主な活動は、園内の小動物の観察や餌付けだな。各自、昼休みなどを利用して、中庭や裏庭で小鳥などを愛でている」
「ああ、それで休み時間になるとコソコソと……」
平仄が合った私に向かって、バルタサール殿下が夢見る少年のような目で語りかけます。
「アルベルティーナ嬢。私にとって帝王教育は苦痛だが、国と民を思えばこそ耐えられる。だが、それでも癒しは必要なのだ。心の潤い。それは可愛らしいフワフワモコモコとのふれあいにこそある。将来は私専用のペットルームを造るのが夢なのだ」
「わざわざうちの商会の飼育員の記録まで御覧になられるほどですからね」
しみじみと語る殿下の方を向きながら、トラーゴ男爵令嬢が感に堪えないという口調で追従します。
「飼育員の記録……?」
ああ、そういえばトラーゴ商会って、国内トップのペットショップを経営しているのでしたわわね。
「……じゃあ、トラーゴ男爵令嬢。貴女とバルタサール殿下……というか、殿方とは不純な関係というわけではなく、単なるペット友達?」
そう念のために問いかければ、
「「はあぁ!?」」
バルタサール殿下と揃って唖然とした顔をされてしまいました。
「――あ、すみません。思ってもないご指摘に驚いたもので……」
「そんなわけはないだろう。仮にも婚約者のいる――いた身で二股など。そもそも身分的に無理があるだろう。常識的に」
へコヘコとあくまで下級貴族らしく、下手に、下手に出るトラーゴ男爵令嬢と、呆れたように道理を説くバルタサール殿下。
「えぇと、確かにその通りなのですが……。それではどこからトラーゴ男爵令嬢の悪ひょ――もとい、女子生徒が貴女を敬遠する要因があったのでしょうね?」
直接疑問をぶつけて、直答を許しました。
「え……いや、どうなのでしょう? ご令嬢方とは普通に趣味やペットの話をしていたのですが……あ、ちなみに私のイチ押しは、イチコロで象をも殺すナナイロ毒蛇のナナちゃんと、大人三人分の重さのあるオオイグアナのコロスケなんです~。いいですよね、爬虫類の鱗って……」
しみじみと語るトラーゴ男爵令嬢のペット自慢を耳にして、気の弱い令嬢方がバタバタと想像して、さらに倒れました。
「あ~~~~~……なるほど」
敬遠されるわけだし、理由についても言葉を濁すわけだわ。
超納得した私なのでした。
そんな私へ向かって、バルタサール殿下が話の筋を戻しました。
「……薄々、貴女が動物嫌いなのはわかっていた……だが、徐々にでも心変わりをするのではないかと期待、いや希望的観測をもっていた。しかしながら、ここにきてますます貴女と私のフワフワモコモコに対する乖離がひどくなった風に思えた。そのことから皇帝陛下や大公閣下とも話し合いの場を設けたのですが――」
後半、冷静になったのか口調が、いつもの丁寧なものに戻っています。
言うだけ言って、そこで瞑目してため息をついたバルタサール殿下。
頭の冷えたらしい殿下に向かって、私も直截に思いのたけをぶつけることにしました。
「殿下。誠に申し訳ございませんが、私は動物の毛アレルギーでございますの」
それゆえに我が家の家族や使用人は、執拗に動物を排除していたのです。
「犬猫、鳥。ウールの衣類や羽毛布団に触っただけでも喘息のような咳、皮膚の発疹、ひどい時にはショックで息が止まることもあります」
「……そうらしいですね。私も大公閣下にお聞きするまで、ただの動物嫌いかと思っていたのですが、そういう事情であれば、お互いの擦り合わせは不可能であろう、と皇帝陛下並びに大公閣下も婚約の白紙撤回について、やむなしとの内諾をいただいております」
どうやら殿下も『フワフワモコモコ』を断念する気はないようです。
これはもう星の巡りあわせが悪かったとしか言いようがありませんわね。
「そのようなわけで、アルベルティーナ嬢。貴女には十分な埋め合わせと、貴女の名誉については真摯な釈明をするつもりですので、どうかご了承いただきたい」
それと、公衆の面前で非難するようなことを口に出して申し訳ありません。さきほど貴女方が学園長あてに、学園内の小動物駆除の申請を出されたと聞いて、矢も楯もたまらずこの場へ足を運んだものですから。と、謝罪を口にされるバルタサール殿下に合わせて、他の皆様も、
「確かに軽率でした」
「頭に血が上って、レディに対して失礼を働きました」
「申し訳ありません」
次々に頭を下げられました。
まあ、社交界で弁明するまでもなく、これだけの多くの貴族の子弟がいるところで事情が明らかになったのですから、私の名誉にもさほどの傷がつくことはないとは思います(ま、中にはなんにでも難癖をつける人種はいるでしょうけれど)。
私としてもこの場を丸く収めるために、皆様方の謝意を受け入れて、ついでに婚約破棄――というか婚約の白紙化を受け入れたのでした。
◇ ◇ ◇
その後、バルタサール皇太子は動物好きの南部辺境伯の娘と婚約をし直し、皇帝就任後は人間だけではなく獣人など亜人にも平等な政策を実行して、それなりの名君として帝国史に名を残した。
アルベルティーナ嬢は隣国から婿を取り、帝国とはやや距離を置いた関係を続け、最終的に帝国から独立したアールグレーン大公国を築く礎となったという。
ついでにトラーゴ商会は皇室御用達商人として、ますます発展して、セレスティナは帝国の伯爵家に嫁いだとのことであった。
なお、正式にバルタサール皇太子と婚約を解消した際に、
「バルタサール殿下、私、案外、貴方様のことをお慕いしていたのですわよ?」
「ああ、私もだよ。アルベルティーナ嬢」
「……初恋とは、上手くいかないものですわね」
そんなやり取りがあったとか、なかったとか。