台風の過ぎゆく日に
「ホラー映画が見たい」
翌日には台風が通過するとの予報が流れ、大学も前日に終日休講を決めた。
そのおかげというのも変だが、バイトも台風で休みで久しぶりに何もしない時間というのが生まれた。それは付き合っている彼女も同じで、暇を潰すために彼女が提案したのがDVD鑑賞だった。
レンタルショップに向かう道すがら、湿気をはらんだ生暖かい風が吹き、ふいに見上げる空はまだ台風は遠いはずなのに暗く、嫌な感じがする。どこか不安を煽られる空気感をよそに、隣を歩く彼女は目を爛々とさせ、むしろテンションが上がっているようで。
「お前さ、何でそんなワクワクしてるんだよ」
「だって、台風だよ? それだけでドキドキしない? 台風が直撃しているときに外に出てみたくなったりするじゃん」
「ならねえよ」
「えー、そうかなー?」
隣で頬を膨らませながら足早に歩く。レンタルショップについて、適当にホラー映画を数本を借りて、雨が降り出す前にと家路を急ぐ。
「ねえ、食べ物とかも買っていこうよ。台風には備えも必要だよ」
「それもそうだな」
「じゃあ、コロッケ買おうよ。台風と言えばコロッケだよね」
「いやいや、そんなん聞いたことねえよ」
「常識だよ。それにコロッケにはケチャップだよね」
「いや、ソースだろ」
「ケチャプの良さがわからないとかまだまだだね」
彼女に押し切られてコンビニでコロッケと飲み物、お菓子を買って、彼女の部屋に到着。毎度のことだが、ゲーセンのクレーンゲームで取ったものや通販などで買った大量のぬいぐるみに出迎えられる。
しばらくダラダラ話しているうちに夜も更け、窓に大きな雨粒が当たる音が聞こえ始め、風の音も大きくなり始めた。
「じゃあ、そろそろ映画を見始めるか」
「そ、そうだね」
彼女の返事が歯切れが悪い。それに気付かないふりをしつつ、雰囲気を盛り上げるためにも部屋の電気を消す。部屋の中にはテレビ以外の光源はなく一気に不気味な雰囲気になる。
「な、なんで電気消すのよ?」
「こっちのほうがホラー見るには楽しめるだろう?」
「そ、そうだよね」
「じゃあ、一本目再生させんぞ」
そう言い、デッキにDVDをセットし、再生させる。
一本目は洋画のパニックホラーもの。主人公たちが追い詰められた状態が続き、主人公たちを定期的に恐怖が襲い、血が噴き出したりと、洋画らしいストレートに驚かし、恐怖を煽ってくる。隣に座る彼女はというと、映画の主人公たちと同じように事あるごとに恐怖の悲鳴をあげる。無意識に腕を握ってきたりと、必死に耐えているさまが伺えた。
一本目が終わると、彼女は大きく息を吐きだす。
「ま、まあまあだったね」
「そうだな、じゃあ、このまま二本目に行こうか」
「えっ、ちょっ……」
「なに?」
「な、なんでもないわよ。早く二本目セットしてよね」
「はいはい」
彼女の仰せの通り二本目をセットする。
「じゃあ、再生させるぞ?」
「ちょ、ちょっと待って」
「なんで?」
DVDをセットし、リモコンで再生させようとしたときに彼女は止めてくる。
「あ、あのさ、トイレ行きたい」
「わかった。行ってきなよ。待ってるから」
「いや、その……」
「まだ、何かあるの?」
「――――きて」
「なに?」
「だから、ついてきてって言ってるのっ!」
「はいはい」
彼女に手を引かれ、トイレの前で「ここで待ってて。聞き耳は立てないでよ」と謎の忠告をされる。それにしぶしぶ「わかった」と返事をする。
時折、扉の向こうから、「ねえ、いる?」と声が聞こえ、そのたびに「ああ、いるよ」と返事する。しばらくすると、扉の向こうから水の流れる音がしてガチャリとノブを回す音がして恥ずかしそうな顔をした彼女が出てくる。
そのまま無言でさっきまでDVDを見ていた場所に戻り、二本目を再生させる。
二本目は邦画のホラー映画。先ほどの映画のような分かりやすく驚かすような恐怖じゃなく、背筋に冷や汗が流れるような静かな恐怖。
ストーリー自体が面白く、ミステリ要素も含まれているようで最後まで恐怖と謎が同居していてかなり楽しめた。
しかし、彼女は――終始、恐怖に苛まされ、こっちの服の裾を力強く握って逃げたい気持ちを必死に抑えていた。映画が終わり、横から彼女の顔を覗き込むと、テレビの画面の光が堪えている涙に反射する。
「ま、まあまあだったよね」
「お、おう」
強がっているのは明らかで、三本目のセットをするべきか、電気をつけるべきか悩む。
その時、急に雨脚が強くなり、暗い部屋を明るくするほどの閃光が外から入ってくる。彼女はビクッと体を強張らせた瞬間、雷が大音量で響く。彼女の悲鳴とともにテレビの電源がブツッっという音とともに落ちる。
「もうやだー。電気つけてよ」
彼女の要望通り電気をつけるために立ち上がる。
「待って、離れちゃやだ!」
そう言い、立ち上がった足にしがみつく。
「そうは言ってもな、電気つけれないだろう?」
「でもぉ……」
「じゃあ、仕方ない。一緒に行くか?」
「……うん」
そのまま彼女も立ち上がり、手を繋いで数メートル先の部屋の電気のスイッチのもとへ。内心では子供じゃないんだからと思いながらも、普段あまり見れない彼女の姿に新鮮味も感じる。
電気のスイッチに手を伸ばし、カチと音がするも部屋の電気はつかない。確かめるように何度かカチカチとやるもやはり、電気はつかない。
「ねえ、早く電気つけてよ!」
「そうは言ってもな……さっきの雷で停電になったみたいだぞ。テレビも消えちゃってるし」
「そんなあ……」
彼女はそう言うと、その場にへたり込む。
静かな部屋には窓に打ち付ける風と雨の音、雷の音が響き、さっきまでの映画の中の世界みたいで――彼女は小刻みに震えているようで、暗闇で見えないが涙目になっているのだろう。
数分後、停電が解消され、電気がつき部屋に明るさが戻る。
「停電直ったみたいだな、大丈夫か?」
彼女の方に視線を向き直ると、ゆっくりと顔をこちらに向ける。その顔は安堵というわけではなく、さらに恐怖に引きつり声を失い、唇も顔をも青くしていた。
「どうした? なにがあった? そんなに映画とか停電とか怖かったのか?」
「い、いや……」
彼女はすっと手に持っているものをこちらに差し出してくる。
それを受け取り、確認すると、思わず「ぎゃあああっ!!」と声を上げてしまった。
彼女は思わず噴き出す。それに対して彼女に抗議の目を向け、手に持ったものを再度確認する。
そこには、歯磨き教室で使われたりする歯だけが異様にリアルなアンパンマンの人形とその口の周りに血のような跡がある。臭いをかぐと、それはよく知る臭いで。
「ケチャップか、これ。でも、なんでこんな有様に」
彼女の手にはコロッケの包み紙と脇にはケチャップの容器があった。
「ちょっとお腹減って、コロッケつまんだのはいいけど、ケチャップこぼして事件現場みたいになってて私も驚いたのよ」
「お前な……」
「まあ、ホラーの気分には最高の小道具になったからいいじゃん」
彼女の目はどことなく泳いでいる。
「そうだな。じゃあ、お望み通りホラー三昧といこうか。今度のは嵐の中閉じ込められた系の話のやつだぞ」
「うぅ……いじわる」
そんな彼女の隣では先に驚く相手がいるので素直に映画で驚くことはないだろう。
そして、彼女とならどんなことがあっても笑って過ごせる自信がある。今日のこの台風の日も、過ぎ去ってみればいい思い出になるのだろう。
「なあ、一週間後くらいにまた台風くるらしいぞ」
「じゃあ、今度は何のDVD見よっか? 次は選んでいいよ」
「サメ映画なんてどう?」
「サメ? ジョーズみたいなあれ?」
「いやいや、竜巻に乗って襲ってくるサメとチェンソーで戦う映画があるんだ」
「なに、それ。ちょっと見てみたいかも」
「じゃあ、それ含めてB級映画にしようか」
「いいよ。お供はコロッケだよね」
「ソースにしろよ」
「わかってないなあ。ケチャップに決まってるじゃん」
そう言いながら彼女は笑い、腕に絡みついてくる。会話にデジャブというものを感じながら、彼女と同じ時間が過ぎてゆく。