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「『癒しの聖女』殿は、おられるか?!」
海風が冷え始めた頃――宵闇に紛れるようにして、黒づくめの男達がやって来た。
対応したメリッサが青ざめている。
「王子様が、隣国の刺客に襲われたって!」
男達は、城からの使いだった。王家の紋章が付いた手紙を携え、私を連れに来たという。
メリッサの付き添いを条件に、私達は馬車に乗った。
使いの説明によると、フレデリック王子は隣国に通じた刺客に毒を盛られたそうだ。
国内屈指の侍医達が手を尽くしたが、夜明けを待たずに命の火が消えるだろうとの話だった。
「王様は、王子の命を救えれば、何でも望みを叶えると仰ってます」
案内された部屋に着くと、私は水差しと小さなナイフを頼み、人払いを願った。
ベッドサイドの灯りで王子の様子を伺う。金髪から覗く肌は蒼白で、呼吸は薄い。急がなければ。
『王子様、失礼します』
呟きながら、乱れた髪を掻き分け――指先が震えた。心臓が激しく暴れ出す。固く瞳を閉じているが、私が探す彼に似ている。記憶の中より成長しているようだが――まさか……まさか、彼なのだろうか?
動揺を抑えるべく深呼吸を繰り返し、水をグラスに注ぐ。指先を傷付け、体液を垂らす。王子の口元へグラスを当てようとした時――。
『待て』
地の底から響くような低い声と共に、私の手を冷たい掌が掴んだ。
『誰……?』
すぐ隣に漆黒のフードを被った者が立っている。全く気配を感じなかった。こんなに近くにいるのに、フードの中の顔は見えず、闇そのもののような底知れぬ不気味さを纏っている。
『定めに従い、命を刈りに来た』
『死神?』
『そう呼ばれることもある』
『ダメ。この人は連れて行かないで』
『……お前は人間ではないな。何故、人間を救う?』
『会いたい人がいるから』
それは、目の前のこの人かも知れない。気付かれぬよう、私は瞳を伏せた。
『お前が救った人間達は、皆死ぬべき運命だった。これ以上、仕事の邪魔をしないで貰おう』
『死神さん。私の力を全部あげる。だから最後に、この人だけ……お願い』
『――お前の力を?』
死神は興味を持ったようだ。私は大きく頷いた。
『ええ』
『……良かろう。日が昇れば、お前は無力になろうぞ』
『ありがとう』
抑えられていた掌が消える。黒いフードごと溶けたかのように、姿もない。
私は、改めてグラスを王子の口元に当て、ゆっくり水を注いだ。
「――う……」
毒が全身に回っているのか、一杯では目覚めない。私はもう一度水を作る。クラリ、小さく目眩を感じたが、二杯目を注いだ。
王子の頬に色が差す。でも、まだ苦し気だ。
三杯目を作る。身体が重い。力が抜けていくのが分かる。残る力を全て与えても構わない。
「……ゴホッ」
三杯目を飲み干すと、王子は大きくむせた。はっきりと力強い呼吸が戻る。
ああ……もう大丈夫だ――。
ホッとした途端、両足から力が抜け、私はその場に崩れた。
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小鳥のさえずりが呼んでいる。朝――?
「大丈夫ですか」
あまりに近くから聞き慣れない声が降り、驚いて目を開けた。辺りが白くて、眩しい。
「貴女、だったのですね」
声の元へと顔を向けると、金色の髪が視界に入る。まさか、この姿は……。
「……王子、様? ご無事で――えっ、私、声が」
何ヵ月ぶりに聞いたのか――懐かしい自分の声に戸惑っていると、ふわりと髪を撫でられた。
「貴女を探していました。まさか『癒しの聖女』殿だったとは」
混乱したまま、もう一度瞬きして、しっかりとベッドサイドの人物を見上げる。逆光で顔が良く見えないが、シルエットはもう小さくはない。
「ありがとう。僕は二度も命を救われた」
ゆっくりと身を起こす。王子のベッドに寝かされている。慌てて降りようとしたが、彼がそれを制した。
「……私を、覚えていらっしゃるのですか」
「あの夜の夢を何度も見ました。――姫、御名を聞かせてください」
「シシィ、です」
「では、シシィ姫。僕の隣で、この国を支えて貰えませんか」
ベッドサイドに膝まづくと、私を見上げる。記憶よりやや面長になったけれど、その瞳は柔らかな褐色。見詰められた途端、ツン……と瞳の奥が熱くなる。視界が滲み、ポロポロと熱い滴が溢れ出して止まらない。
「王子様、私には、もう癒しの力はありません。海の底から、救い上げる力も」
「構いません。貴女の力が欲しいのではない。人を救う心を持った、貴女が側にいて欲しいのです」
褐色の瞳が真っ直ぐに私を捕らえ、逸らすことを許さない。真摯な言葉に、胸の奥まで熱くなる。
「王子様」
「フレデリック、と」
「……フレデリック様、お話があります」
私は、2年前の夜の真相を打ち明けた。王子達の船は、隣国が攻撃したのではなく、人魚が沈めたのだと。
「何てことだ。我が国は、隣国を誤解していたのか」
「フレデリック様。私は貴方の隣に立つ資格はありません。ですが、もし望みを聞いていただけるのでしたら、砦の建設をお止めください」
彼は暫く私を見詰めていたが、不意にベッドの縁に腰掛けた。そして、自分の首からネックレスを外すと、私の首に着けてくれた。ペンダントトップを見て、「あっ」と息を飲む。
それは、あの夜、彼の口に含ませた、私の鱗だった。薄いガラスの板に挟んであり、大切にしていたことが伝わる。
胸が一杯になった。嬉しいのに、涙が止まらない。
「貴女は、もう人魚ではない。……僕が嫌いですか」
「……いいえ」
彼の腕が肩を抱く。海底で会った時とは比べものにならないほど、逞しくなっていた。
「あの砦は灯台にします。両国の船が、安全に航行出来るように」
王子は冷静で、賢い人だった。大きな掌が頬に触れ、褐色の瞳が一層熱を帯びる。
「僕と暮らしていただけますね、シシィ姫?」
「喜んで――フレデリック様」
唇が重なる。300年の寿命も癒しの力も失ったけれど、私は褐色の瞳の優しい王子の心を得た。
50年余りの短い時を彼と生き、やがて共に朽ち果てよう。私はもう、泡にはならないのだから。
【了】
拙作をご高覧いただき、ありがとうございます。
このお話は、他サイトの投稿イベント応募作品です。(テーマは「あの日 捨てたもの」)
ご存知『人魚姫』のオマージュですが、原作ともディ●ニー作品とも異なり、神話や伝説に見られる怪物的な人魚のイメージで描いています。
人魚姫が捨てたもの――と言えば「美声」ですが、このお話では、解釈は異なります。「美声」は捨てたのではなく、取引で差し出し、失ったもの、です。
「失う」には受動的なニュアンスがありますが、「捨てる」には能動的な意思が含まれていますよね。
このお話の主人公シシィが「捨てた」のは、もっと大きく大切なものでした。
原作同様シシィも、恋のために人間の世界(異世界)へ踏み出します。
彼女はそこで「人間として生きる」ことがどういうことなのか学んでいきます。足が生えたからといって、すぐに想い人と再会出来るほど、人間の世界は甘くないのです(笑)。
人魚の設定について、補足を少々……。
人魚は「マーメイド」と(英)訳されますが、西洋では「セイレーン」とも呼ばれます。
ギリシャ神話の『セイレンの魔女』。
ドイツの伝説『ローレライ』。
いずれも、船乗りを歌で惑わせ、船を沈める怪物=人魚(または怪鳥)とされています。
このお話の人魚は、歌で船を沈め、人間の男性を捕獲し、若さと生命力を得ます。
「特別な夜」=「ワルプルギスの夜」という記載がありますが、本来のワルプルギスの夜は、ドイツのブロッケン山で開かれるという魔女の宴を指します。
また、洋の東西を問わず、人魚の肉を喰うと不死になるという言い伝えがあります。
シシィが体液で人間を救えるのは、この伝承に基づいています。
最後に、シシィに声が戻りますが、死神の配慮(笑)ではありません。死神が人魚の力も姿も奪い取ったために、魔女との取引は反古になり、声と人間の姿が残ったと考えています。
あとがきまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
また別のお話でご縁がありましたら、幸いです。
2018.9.20.
砂たこ 拝