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 私は――どうしてしまったのだろう。自分のことが分からない。あの小さな人間が瞼の裏に住み着いてしまったように、寝ても覚めても、そこにいる。

 あの褐色の瞳が、忘れられない。


「苦しくて……どうしたらいいの」


 あれから、ふた月が過ぎた。陽気で好奇心の強い私が、塞ぎ込んで溜め息ばかり付いている。そんな様子に、流石に他の姉達も何かおかしいと気付いてしまった。問い詰められた私は、あの夜のことを白状した。


「恋をしたのね」


「恋?」


 4番目の姉、リヴィが私の頭を優しく抱きしめる。彼女の言葉の意味が分からず聞き返すと、アメジスト色の瞳を柔らかく細めた。


「彼に会いたいのでしょう?」


 途端、心臓を鷲掴みにされた気がした。会いたい――会って、あの瞳に見詰められたい。


「人魚の姿では、海から出られないわ。人間の形にならなければ、ダメ」


 リヴィは、私の髪を撫でながら、静かな声で諭す。


「どうすれば、なれるの」


「西の洞窟に棲む魔女は、変化へんげの魔術が得意だと聞くわ」


「私に、足をくれるかしら?」


「分からない。でも――」


 彼女は腕を解き、私を真っ直ぐに見た。まるで私の真意を汲もうとするかのように。


「人間になって、彼に会いに行くということは、もうここには戻って来られないのよ。二度と私達には会えないわ」


「そんな……」


 心が揺れた。誇り高く偉大な父様に、美しく優しい姉達。大好きな海の仲間達。


「選びなさい、シシィ。あなたの人生よ」


 迷いに俯いた私を、彼女はもう一度優しく抱きしめてくれた。


 その日から、3日間寝ずに考えた。何を捨てることが、私に取って一番辛いことなのか――。


 人魚の命は、人間の時間で300年だという。

 あと200年以上も残る私の人生を、彼を想うだけに費やすなんて無理だ。たったふた月でも、こんなに苦しいのだ。ハミシィは、時が経てば忘れられると言っていたけれど、そんなことはない。日毎夜毎に想いが募り、膨れていく。いつか萎むことなど考えられない。


 第一、人間は60年くらいしか生きられないと聞く。もし私が彼と再会できたとしても、僅か50年くらいしか同じ時を過ごせない。

 一刻も無駄にしてはいけない。私達に残された時間は、長くないのだ。


 決断の日、私は姉達に別れを告げた。結論を出す前から、彼女らには分かっていたようだった。

 父様には――会わないことにした。

 きっと父様は許さないから、海から出さないよう閉じ込めてしまうだろう。

 姉達の忠告は、当然だった。


 ハミシィに付き添われて、西の洞窟に向かった。

 しわがれ声の醜い魔女は、私の望みを聞くとニタリと笑んだ。


「いいかい。人間の足は形だけだ。アタシは、形を変えてやることはできるけど、オマエを本物の人間にしてやることは出来ない。……それでもいいなら、オマエの声と交換だ」


 魔女が刺した釘の意味を、私はきちんと理解していなかった。私は、スラリと細くて長い2本の足を手に入れたことが――彼と同じ形になれたことが、嬉しくて仕方がなかった。


 上手く泳げない私を抱えて、ハミシィは海面まで浮上してくれた。海中から出ると頭上は暗く、遥か彼方の水平線辺りで、丸い月が輝いていた。これが、海の外の世界――。


「元気でね、シシィ」


 涙を流すことが出来たなら、私達は号泣した筈だ。ギュッと強く抱き合った後、私は独り浜辺に向かった。


 水を出て、初めて足で身体を支えた瞬間、切り裂かれるような痛みが走り、思わず叫んで倒れた。私に声があれば、きっとハミシィが駆け付けたに違いない。

 立ち上がろうと身を起こしたが、足を砂地に着けた途端、再び串刺しにされたような衝撃に貫かれた。私は無音の悲鳴を上げると、波打ち際で意識を失った。



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