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 美声と引き換えに貰った薬を飲むと、虹色の尾ひれは人間の足に変わりました。


『いいかい。その恋が叶わなければ、お前は泡と消えてしまうからね……』


 魔女の忠告に、人魚姫は頷きました。



 かつて私は、6姉妹の末娘だった。


 姉達は、この世の誰もが羨み、感嘆する程美しく、私の誇りだった。

 腰までの長い髪は、月を溶かした海原のように黄金の光に満ち。すべらかな肌は、一点の曇りもない乳白色の大理石のよう。

 長い睫毛に縁取られ、憂いを湛えた大きな瞳は、露に洗われた貴石ジェムストーンの如く輝いている。

 そして、姉達の歌声は、比類なき眩惑の調べ。どんな人間も、一度耳にすれば心身を奪われ、魂すら抜き取られてしまう。


 姉妹は、偉大なる父王の自慢の娘達だった。


 けれどもあの日、私は彼女らと袂を分かち、父王の掟に背いてしまった。私が捨てたものは余りに大きく、もう取り返しがつかない。

 それでも、もう一度、魔女に尋ねられたなら、やっぱり私は答えるだろう――『彼と同じ種族になりたい。虹色で冷たい尾ひれの代わりに、肌色で温かい2本の足が欲しい』と。


-*-*-*-


「シシィ! あんた、何してるの?!」


 すぐ上の姉、ハミシィの声が背中に刺さる。咄嗟に扉へ伸ばし掛けていた手を引っ込める。


「大袈裟ねぇ。ちょっと覗こうとしただけじゃない」


 私は、ツンとむくれて見せる。彼女は焦ったように辺りをキョロキョロと見回しながら、私の腕を掴んだ。


「ダメよ、見つかったら大変でしょ」


 ここは王宮の南端、普段使われていない倉庫の前だ。今夜のような特別な日だけ、余剰品(・・・)が引き取られるまでの荷置場になる。

 倉庫の中身が逃げ出す可能性など皆無に近いから、見張りなんていない。それでも心配性の姉は、不安気にエメラルド色の瞳を翳らせている。

 私は身をくねらせて、彼女の手を尾ひれで払った。


「ちょっと、シシィ!」


「だって、こんなチャンス、滅多にないでしょ」


 唇を尖らせて、再び扉に近づいた。その時――。


「……う……どなた……か……」


「キャッ?!」


 扉の向こうから、低く掠れた声がして、私と姉は咄嗟に抱き合った。初めて聞く人間の――多分、男性の、声。


「……生きてるんだわ」


「待って! シシィ、何を――!」


 ハミシィが止める間も与えず、扉を押す。


 そこには、男女取り混ぜて10人くらいの人間が倒れていた。その中の一番小さな人間が、赤い手をこちらに伸ばしている。


「シシィ!」


 部屋の中に滑り込んだ私は、姉の制止を振り切って、小さな人に近づく。不思議と恐れは感じない。

 彼は、海亀の甲羅に似た褐色の瞳を揺らして、私をジッと見詰めている。けれども、命の光は薄く、消え行く運命を知るかのように悲し気だ。

 伸ばしていた腕は、力なく床に萎れている。掌が赤いのは、彼の胸から流れる液体に染まっているせいだった。


「放って置きなさい」


 いつの間にか、ハミシィが隣に来ていた。普段は臆病なのに。


「この人間は若過ぎる。助けても、姉さん達の役に立たないわ」


 青ざめているものの、彼を眺める横顔は酷く冷静だ。


「ハミシィ。人間も死んだら泡になるの?」


「いいえ。ただ朽ちるだけ、とおばあ様が言ってたわ」


 私達の会話が聞こえたのか、彼は諦めたように瞳を閉じた。まなじりからキラキラ光る滴が一筋溢れた。いつか年長の姉が話していた「涙」というものだろうか。


 突然――胸の奥がキュウッと締め付けられ、堪らなくなった。私は、彼の金色の髪にそっと触れた。まだ濡れたままの髪はしっとり冷たく、彼自身の体温が失われつつあることを物語っている。


 この人を地上に帰してあげたい。このまま海底で醜く朽ち果てるのも、大蛸クラーケンの糧にされるのも耐えられない。強く熱い想いが駆け巡る。こんなことは初めてだ――。


『苦しみも 痛みも

 波が 彼方に連れ去ろう

 悲しみも 嘆きも

 渦が 深淵に沈めよう

 癒しの漣が 御身を包む

 安らぎよ 永久とわ

 安らぎよ 永久とわに』


「何てことを――!」


 ハミシィが顔色を失った。

 私が口にしたのは「癒しの歌」だ。我が人魚一族の歌声には神秘の力が宿っており、心に安らぎを、身体に治癒を、魂に生命力を与えることが出来る。

 効果はすぐに現れた。頬が桜貝の色に変わり、触れた額にも温もりが蘇る。胸の血は止まり、傷もすっかりふさがった。


「お願い、姉様。一緒に来てくださる?」


 腰の辺りの鱗を1枚剥がすと、彼の口に含ませる。これで水中でも呼吸できるはず。


「仕方ないわね。ここに置いておく訳にもいかないじゃない」


 ハミシィは、覚悟を決めたように溜め息を付いた。左右両側から彼の身体を支えて起こし、倉庫を出ると、そのまま海面目指して浮上した。

 幸い、今夜は特別な夜だ。警備も手薄で、私達は難なく宮殿を抜け出した。


「シシィ。あんたは、まだ海上に出ることが許されていないでしょ。ここで待ってなさい」


 人魚は15歳になるまで、昼夜を問わず、海上に姿を現すことを禁じられている。私はまだ、半年足りない。


「ごめんね、姉様」


 辺りの色が少し明るい。藍から青に変わる境界が、私の浮上が許される限界だ。

 ハミシィは頷くと、独りで彼を連れていった。遠ざかる姿に、胸がギュッと苦しくなり、千切られたように痛んだ。あの褐色の瞳を見られなくなると思っただけで、身体がバラバラになるくらい悲しくなる。訳も分からず、グルグルと同じ所を夢中で泳ぎ回った。


 腕を捕まれて、ようやくハミシィが戻って来たことを知った。緑の瞳を曇らせると、彼女は一言「忘れなさい」と呟いた。それ切り何も話さず、私の手を強く引くと、宮殿に帰った。




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