88.チキチキ!ハ国猛レース-中編
私たちがようやく会場入りした時、場はなぜか不穏な空気に包まれていた。
「っしゃあ! ぜっってぇぇーお前だけには勝つ!」
悪い顔をしたラスプがルカに向かって人差し指を突き立て宣戦布告をしていたのだ。気合い充分の狼男は腰を落とし、ポケットに手を突っ込んでまるでチンピラのように下からメンチを切る。
「覚悟しろよルカぁぁ、今日と言う今日は、そのすかしたツラに吠え面かかせてやるぜ」
ところがルカはまるで聞こえていないかのように涼しい顔のままこちらに向き直った。パッと笑ったかと思うと片手を上げる。
「準備はできましたか、主様」
「無視すんなゴルァ!」
毛を逆立てて怒るラスプを嫌そうに横目で見ながらルカは盛大な溜息をついた。小ばかにしたように鼻で笑うとようやく挑発に応じる。
「自らハードルを上げていくとはさすが馬鹿犬。弱い犬ほどよく吠えるというのは本当のようですね」
「まぁまぁ、決着はこれからレースで付けるんだから場外乱闘は抑えて抑えて」
ギリギリと歯を噛み締め今にも飛びかかりそうなラスプとの間に割って入る。そこでようやく私の存在に気づいたのか、赤い狼さんは怪訝そうな顔でこちらを見下ろしてきた。
「お前、その恰好で出るのか?」
「そうよ」
今日の私のいで立ちはいつもと変わらない服装だ。白いブラウスに青いカーディガン。足首まであるロングスカートにコルセット。確かに走るのには適していない。でもこれでいいのだ。
「だって走らないし」
「は?」
「そっか、ぷー兄ぃは単騎出場だから知らないんだ。このレースは誰の助けを借りて何してもいいんだよ」
ドスン! と、地面が揺らぐ。振り返れば手首ちゃん――ではなく、手首ちゃんをそのまま模した巨大な装置をライムが置いたところだった。切断面の部分がえぐれており、ちょうど操縦席のように一人乗り込めるようになっている。言葉を失うラスプを横に、私は特に驚くでもなく口を開いた。
「あ、完成したんだ」
「なんとかね~、ギリギリだったから調整とか怪しいんだけど、それは走りながらやってくよ」
「……ナニソレ」
カタコトで尋ねるラスプに向けて、偉大なる大発明家は誇らしげな表情をしてみせた。乗り込んでヒモを引っ張るとドルルンドルルンとエンジンがかかる。
「ボクの自信作! 油を燃やしてそのエネルギーでピストンを動かすんだ! 名付けて【メカメカ手首ちゃん三号】! ちなみに本物はここに鎮座してます」
操縦席の淵からひょこっと姿を現した手首ちゃんがひらひらと手を振る。指定席に戻った彼女がレバーをグイッと引くとメカメカ手首ちゃんは本物そっくりの動きでワサワサとスタート地点へと移動していった。我に返ったラスプが叫ぶ。
「あんなん有りかよ!?」
「有り有り、だって生身じゃ私とかライムなんか絶対ラスプに敵わないでしょ」
間髪入れずにボコォ! と、地面を突き破ってわーむ君が現れる。それにひらりと跨った私は、横座りになってラスプの頭上から手を小さく振った。
「ってことで、私はわーむ君とペア出場。お互いがんばろうね~」
「んなっ……おい卑怯だぞアキラ! わーむめちゃくちゃ早ぇーじゃねぇか!」
「卑怯も何も、ルール説明した時『オレはこの足一つあればいい』とか言って走り込み行っちゃったのあなたじゃない」
ごねるラスプの横を巨大な黒い塊が通り過ぎる。キィキィと鳴く大量のコウモリたちは中央に椅子を一脚抱えていた。その上に王様よろしく足を組んで腰掛けていたルカが尊大な笑みを浮かべる。
「先ほどあれだけ大見得を切ったハーツイーズ最速を誇るラスプ隊長さんです、このぐらい余裕でしょう?」
「もはや走ってすら居ねぇ!」
若干、気障ったらしい仕草で前髪を払ったルカはそのまま手すり部分に肘をついて頬杖をついた。
「考えてもみて下さいよ、私が汗水垂らして走るなんて誰も望んでいないと思いませんか」
「なぁ、それお前居る必要あるか? 何のために座ってんの?」
そのまた後ろを通りかかった白い影が、ショックを受けたように空中で静止する。
「え、飛ぶのダメなの?」
「いやルカに比べたらお前はマシ――じゃないな、なんだその菓子袋」
大の甘党死神さんはまるでサンタのように大きな袋を担いでいた。その端から甘味を取り出してはむしゃむしゃと補給している。いつになくキリッとした顔つきのグリはグッと拳を握りしめた。
「俺こんかいはガチで行くから。優勝してスペシャルおやつを一か月オーダーするから覚悟しててね」
「……は?」
なんのこっちゃ、と疑問符を浮かべるラスプに対して、私はようやくルールの全容を話すことができた。
「あのね、聞いてなかっただろうけど、このレースで優勝した人は賞品として【他の四人の中から一人だけ指名して、何でもいう事を聞いてもらえる権利】が贈られるの」
「何、でも?」
「うん。見ての通りグリはあなたを指名する気満々みたいだし、ライムも一か月遊びに付き合ってもらう権利だったかな?」
「お前は」
ここでようやく気づいた私は、視線を泳がしながら小さく答えた。
「…………ラスプに一か月おかずを一品付け足してもらう権利」
「オレばっかりじゃねーか!!」
不公平すぎるだろ! と、叫ぶ狼さんをなだめるため、私は苦笑しながらこう続けた。
「そうならない為にもがんばってよ。それにルカだけはラスプじゃないって言ってたから少しはね? 私にお願いするつもりなんだってさ」
「何を?」
「さぁ? 優勝してからのお楽しみだって」
そう伝えると、それまでカッカしてたラスプは急に考え込むような顔つきになってしまう。しばらくすると諦めたように肩を落として頭をバリバリと掻き始めた。独り言のような小さな声が聞こえてくる。
「結局オレが優勝するしかないって事か……」
なんだか知らないけどやる気が出たらしい。でもその割には落ち着いた足取りでスタンバイしてるみんなの方へと歩いて行った。後は私だけだ。
「がんばろうねわーむ君っ、勝てたら寝床の土もっといいものにしてあげるから!」
――キュオオオォォン!!
そしてようやく戦いの火ぶたは切って落とされるのだった。やるぞーっ!