84.呼び出し
ごくりと生唾を呑む。いつの間にか握りこんでいた拳を開くと手のひらいっぱいに汗を掻いていたので、こっそりと青いドレスの端でぬぐう。柔らかく吹き込む初夏の風が紗のカーテンを翻らせ、テラスに置かれた大きめチェアを見え隠れさせていた。外から差し込んでくる光が重厚な作りの城を進んできた私の目を眩ませる。
「書面上でやりとりはしていたが、実際に会うのはこれが初めてだな。さぁ、こちらへおいで」
籐編みの椅子から、聞くもの全てを畏怖させるような声が発せられる。緊張しながらテラスへ進み出た私は、椅子に体重を預けるその人とついに対面を果たした。老いてなおガッシリとした体。色の抜けてしまった白髪と豊かに蓄えたひげこそ年相応なのだけど、その中心にある薄いグリーンのまなざしは深い知恵と全てを見透かすような聡明さを宿している。そんな目に見つめられた私は震えそうになる身体をなんとか抑え、しっかりと背筋を伸ばした。
「お初にお目にかかりますリヒター王。ハーツイーズ国が魔王、あきらです」
なぜ私がメルスランドへ赴き、彼の国の頂点リヒター王と直々に対面することになったのか。話は数日前にさかのぼる。
あるイベントのために設営作業を行っていた私たちは、ライムの関所遊園地をくぐりやってきたメルスランドの騎士さんに――正確には彼が持ってきた書簡に――仰天することになる。前回と同じく仰々しい形式で送られてきた手紙を要約するとこうだ『リヒター王が呼んでるので、来い』
ワナか、陰謀か、まさか呼び出しておいて敵地のまっただなかで暗殺されるのではと心配するみんなをなだめて、私は指定された日取りで訪問する旨を騎士さんに託した。さすがに保留期間中にそこまで手荒な真似はしないと思うのよね、たぶん。それに呼ばれて行かないとなると面倒な事になりそうだし。
そんなわけで、俄然張り切り出したキルト姉妹に衣装を見立てて貰い、ここリヒター王の私室までやってきたというわけ。騎士風な黒い衣装に身を包んだ護衛の狼さんは、一応の礼儀のつもりなのか耳と尻尾をひっこめてなんとも居心地の悪そうな表情を浮かべながら背後で待機している。その隣には落ち着いた様子の勇者エリック様の姿も見える。お互いの王の護衛の為だ。
今回の謁見は公式な物じゃなくて、リヒター王が個人的に私に会ってみたいと言い出したらしいんだけど……いったい何を言われるんだろう。最近、野菜を派手に大量投入してるしそれのお咎めとか?
何を言われるかとビクビクしながら待ち構えていた私を見て、リヒター王はふっと顔を綻ばせた。
「そう緊張せずともよい、かけなさい」
「は、はい」
勧められたので、王と対面できるように置いてあった横長の椅子にドレスの裾を捌きながら腰かける。……なんだか就活の面接を思い出させる緊張感だ。
ふーっと肩の力を抜いた王様の髪とひげを優しい風がそよそよとなびかせる。後ろでまとめ上げた私の髪の毛も、わずかにそよぐ感覚が伝わってくる。
「近頃は少し調子がよい。話せる内に一度会っておかねばと思っていたのだ」
あれ、思ったより和やか――とか思った瞬間、慢心をえぐるように最初の攻撃が飛んできた。
「近頃ではずいぶんと大胆に動いているようだな」
ぎくぅ、と身体が勝手に収縮してしまう。まずい、やっぱりお咎めコースだったか!
「あ、あのっ、それはですね!」
「さすがにこちらにも農家を守る義務はあるのでな、今後は制限をつけさせて貰う。今後こちらで物を売る際には商品の五%を上乗せして我が国に納めて貰おうか」
へ? と、間抜けな声が漏れ出てしまう。不服かね? なんて呟いたリヒター王の声にかぶせるよう私は両手を顔の横でパパパと振って承諾した。
「いえ滅相もない! はい、喜んでそうさせて頂きます!」
ええ、五%でいいの? てっきりもっと暴利な感じで吹っ掛けられるのかと思ったけど、五パーって、日本の消費税より安いぞ。
「貴国の野菜は評判がいいようだ、その程度余裕であろう?」
「はぁ」
これは、なんていうか、もしかしてリヒター王って思ったより……それを確かめるべく、私は少し踏み込んでみることにした。
「王様、こちらからもお願いがあります」
「申してみよ」
膝に置いた拳をグッと握り込んで、先ほどまで少し怖かったはずの目をまっすぐに見つめる。
「解放された奴隷に関しては、保留期間中は見逃して頂けないでしょうか。彼らは一方的に捕らえられ不当な扱いを強いられてきた者たちです。本来は戻る必要もありません」
さすがにいきなり思い切りすぎたか。と、思ったのだけど、リヒター王は静かに目を閉じると前もって考えていたように案を出してきた。
「ハーツイーズの所有とわかるよう貴国の紋章を背負わせよ。考えた図案を後ほど提出してもらい、それを着けている者に関しては手を出さぬよう一時的な法令を出す。召使いを失ったこちらの貴族に関しては国から補償金を出しておこう」
「ありがとうございます。でも一つだけ訂正が」
「なんだね?」




