78.新たなる水流
「ごめんなさい、うちに奴隷階級は一切作らない予定なの」
ここで私はある一点を見つめた。見られていることに気づいた彼女がふっと顔を上げ驚いたように一歩引いた。視線は外さない。外させない。少しだけ口の端を吊り上げた私は自信たっぷりに話しかけた。
「ねぇピアジェ。奴隷とか下っ端にへりくだる前にさ、やれるだけやってみようよ。軍事力が無くたって国として存続はできる。私たちが今そういうことをやってるんだから」
一瞬だけ怯んだ彼女はキッと眉を吊り上げたかと思うと噛みつくように反論してくる。握りしめた拳は怒りで震えていた。
「そ、れは、才能あるあなた達だから言える事なんです! 凡人のわたしたちと一緒にしないでください!」
無視だ! バカねピアジェ、人は誰しも自分が思ってる以上にすごい事ができるのよ。そしてこの国にはそれができるだけの土台が充分にある。
「お願いです、これ以上みじめな気持ちにさせないで下さ」
「いいから聞きなさい。要はさ、他国から潰されないように必要とされる仕事を始めればいいのよ。うちの場合は農業にチャレンジしてるけど……あなたたちの方がよっぽど独自性・特色はあるじゃない」
疑問符を浮かべっぱなしの人魚たちを見回して、私はクイズでも出すように気軽に問いかけてみる。
「海の中であなた達のスピードに追いつける種族はいる?」
「いえ、逃げ足だけは早いので……」
「私たちがここに来るとき運んで貰ったように、バブルに入れて荷物を運べる?」
この辺りから、話の思わぬ展開にザワザワと広場が騒がしくなってくる。もうわかるでしょう? 運び手さんたち。陸路でノロノロ運ぶより、水に浮かせて運んだ方がはるかにラクで大量に運べるのよ。昨日宿に帰ってからルカに確認したけど、陸路での運び屋は確かに一定数いる。だけど海を通るルートはまだ誰も始めていない。狙い目だ。
「近々、うちの国から野菜を大量輸送する予定があるの。引き受けてくれるなら継続的な仕事の保証をするけど」
「それに、我が国はこれから北東の集落とも取り引きを行いたいと考えています。そこにたどり着くまでの『あの』ガラハド海峡を越えるのはあなた方でなければ難しいでしょう」
ルカの言葉に自尊心をくすぐられたのか、若い人魚たちが顔を見合わせて顔を紅潮させる。ポカンと口を開けた表情で固まったままのピアジェに向けて、私はさらなる提案をした。
「それだけじゃない。実際に来て分かったけど、この街は本当に素晴らしいわ。地上からのお客に対する配慮も行き届いてるし、観光地としても充分にやっていけると思うの」
自分の目で確かめてよかった。夢に見るほど美しいこの光景を活かさない手はない。運送と観光。それらを二大主力とすれば必ずこの国はやっていけるはずだ。ここまで一気に言った私は、ニッと笑って一番尾に向き直る。
「どう? これでもまだ自分たちには何の力も才能も無いなんて言える?」
「……」
この声は届くだろうか。私の言葉が誰かの心を動かすだなんて、そんな大それたこと期待してない。だけど視点を変えるきっかけぐらいにはなるかもしれない。
「唯一無二の存在になれば、それを失えば困る他国から優先的に支援して貰える。そういう存在を目指そうよ」
それだけ言ってもピアジェは無言だった。青ざめて元から白い肌をさらに血の気を失わせて立ち尽くしている。彼女の口から次の声が出る前に周囲の人魚たちから意見が飛び出した。
「ピアジェ様、やっぱり私たちもシェル・ルサールナを失いたくはありません!」
「運ぶだけなら俺たちにもできるかもしれない」
「頑張りますから、貴女についていきますから」
「人魚族の誇りを!」
「人魚族の誇りを!!」
熱意と共に大合唱になっていく言葉にもみくちゃにされてトップの一人娘はぎこちなく辺りを見回す。助けを求めて母親に向き直るのだけど、落ち着いた様子のイオ様は一つ頷いて命を下した。
「老いは引き際ですね。あなたに任せるわピアジェ、新しい水流となりなさい」
ひくりと頬を引きつらせた人魚姫は、半笑いのまま眉を寄せる。
「なんで、どうして……どうしていきなりわたしに押し付けるような真似!」
責任に押しつぶされそうなんだろう、ピアジェはへたりと座り込むと半狂乱に頭を振りたくった。その様子に盛り上がっていた人魚たちもシン……と、静まり返ってしまう。
「無理です! 全責任なんてこわい、むり! もし失敗したら、わたしにはとても……っ」
わかるよ、人の上に立つって楽しいことだけじゃない。でもね――
進み出た私は子供のように泣きじゃくるピアジェの前に立った。膝に手をついて右手を差し伸べる。
「大丈夫、私がいるよ」
「まおう、さま」
「みんなを想う優しさがあれば、その名前に恥じない皆を導く光になれる」
いにしえの少女英雄から名前を貰ったという『強く光り輝く』 今みたいに弱音を吐き出せるなら、きっと周りが助けてくれるだろう。
「新しい戦い方をしようピアジェ、ハーツイーズが同盟国として全面的に協力するよ!」