74.シェル・ルサールナ
「着きましたよぉ~」
タイミング良く間延びした声が気まずい空気に割って入る。バブルのすぐ側まで来ていたピアジェは「はれ?」と小首を傾げた。
「何かありましたぁ?」
「なんでもない……あっ、着いたんだね!」
見ればいつの間にかバブルは海の底に着地していて、私たちの靴はやわらかい砂に半分ほど埋もれていた。これ幸いと私はむだに明るい声を出す。ところが着いたとは言うものの辺りを見回しても海藻ばかりで人魚の一匹もいやしない。後ろを振り向くと少し先に私たちの背丈を数倍にもしたような岩場の群れが見えた。
「私たちが暮らしているのはあちらになります~、このまま近づくと大騒ぎになっちゃうんで、申し訳ないですけどここからは少し歩いて頂けます~? でりゃあ!」
いきなりサマーソルトキックを繰り出したピアジェは、私とルカの間を切り裂いてバブルを二つに分ける。お、おぉ? この状態だと歩けるぞ? 砂地だからちょっと歩き辛いけど、身体は地上よりずっと軽くて少しジャンプしただけで数メートルは浮き上がる。おもしろーい!
「主様、遊んでないで行きますよ」
くるっと空中(水中?)回転を繰り返していたら下から怒られた。降り立った私は駆け足で二人の後を追う。追いつくと少し先で待っていたルカは少しだけ微笑んで歩き出した。普通……だなぁ、さっきの発言は聞かなかったことにしてくれたんだろうか。
そこから二、三分歩いて岩場の近くまで到着する。見上げるほど大きな黒い岩石たちは折り重なるように入り乱れている。その下に立つと何かのイベント会場の入り口にでも来たような感じだ。見た感じ中に入っていけそうな道はあちこちにあるのだけど、ピアジェは迷わず一つの通路へと私たちを導いた。
「だいたいは行き止まりになってるんですよ~、正解を知っているのはわたしたちだけです」
「天然の城壁というわけですか、よく見つけましたね」
物珍しそうに辺りを見回してるように見えるルカだけど、たぶん彼の脳内ではいくつも枝分かれしてる道を記憶して、そしてすさまじい勢いで脱出ルートを構築しているはずだ。私? ものごとには適材適所というものがあるんです。
足元の岩を飛び越えたり、頭上に出ている岩を屈んで避けたりしながら進んでいると道は唐突に終わった。角を曲がった途端、薄暗かった視界がいきなり明るくなる。そこに広がる光景に私たちは自然と感嘆の声を漏らしていた。
まさしく人魚の楽園だ。野球場ほどの空間の中に一つの街が形成されているのだけど、城壁のように周りをとりかこむ岩場に沿うようにして家やお店が建っている。天井は珊瑚が天蓋のように覆い茂り、海面からの光を良い感じに拡散して落としていた。もちろんここは水中なので美しい尾びれをなびかせる人魚たちが飛ぶように移動している。見惚れている私たちに微笑んだピアジェが、両手を広げて嬉しそうに歓迎の言葉を述べてくれた。
「ようこそ、人魚の都シェル・ルサールナへ!」
避難所の本部は一番奥にあるとのことで、私たちは街中を抜けていくことになった。地上を歩く私たちに合わせてピアジェも近くを泳いでくれる。人魚じゃない私たちに加え、彼女も散水タルを背負ったままなので道行く人たちは物珍しそうな視線をこちらに向けていた。意外と敵意はないみたいね……?
かわいらしいピンク色をした女の子の人魚がコインを握りしめて岩場の踊り場に作られた露天へと泳いでいく。その横にはなんと男性人魚も居て、貝殻や薄布で美しく装飾した女性とは対照的にシンプルな腰布を締めていた。
「男の人魚さんも居るんだ」
何気なくそう発言すると、先を泳ぐピアジェがアハハと笑いながらこんなことを言った。
「当たり前じゃないですか~、女だけでどうやって数を増やしていくんです?」
「えっ」
増やすってつまり、その、……するって事よね。そういえば人魚ってあの下半身でどうやって――って何を考えてるんだ私は!?
一人めまぐるしく考えているとルカとふと目が合う。口元を手で隠して視線を逸らした彼だけど、ちらっと見えた口元は笑いを堪えているようにむずむずしていた。
「セクハラ!」
「何も申し上げていませんのにご無体な。ププッ」
「ほら笑ったぁー!」
恥ずかしさでその背中にドスッと一発叩き込む。そんな風にしている間に少し開けた場所へと出た。どうやら街の中心にある広場のようだ。中央には銅像のような物が建てられていて小さな人魚たちがその近くで走り回っていた。
「あれは?」
「ふるいふるいおとぎ話の英雄さんですよ~、私のピアジェという名前は古い言葉で『強く光り輝く』という意味なのですが、彼女の真名から頂いたと聞いています」
その像はまだ少女と呼んでも差し支えなさそうな年齢で、和服で腕を組んで不敵に笑うという『世界観どこいった』なビジュアルをしていた。んん? っていうかちょっと待ってよ
「この子、普通に人間の足じゃない?」
「事故でニンゲンさんの足になってしまったそうです、地上に飛び出した彼女は青い刀で敵をバッサバッサと切り倒していったとか」
「なんじゃそりゃ」
でもどこかで聞いた話のような……そう思考を巡らしていた時、突然の轟音と共に珊瑚で出来た天井を何かの大群が突き破って侵入してきた。広場にいた人魚たちは悲鳴を上げてちりぢりに逃げていく。黒い影は広場に着地したかと思うとあちこちに散開した。最後にひときわ大きな二つの影がゆっくりと降りてくる。