67.自分の目で見て確かめよう
……そこの赤毛とスライム、後で覚えておきなさいよ。なに肩震わせて笑ってんのよ。あまりにひもじくてテーブルに齧り付いたこともあったような気がしなくもないけど、誰だ見てたのは!
「と、とにかく、そんなことはどうでもいいのよ! わざわざ水から上がって来た人魚さんのご用件は?」
むりやり話を本題に引き戻すと、ピアジェはパッと顔を輝かせ手を一つ叩いた。
「そうでした。魔王様、ぜひとも我が人魚一族をハーツイーズ国に吸収して頂きたく!」
「へ、吸収?」
なんでも、彼女たち人魚はおっとりのんびりとした性格で、日長一日歌っては気ままに狩りをして暮らす種族らしい。
ところが彼女たちの歌声にはとんでもなく強い魅了の作用があり、それを耳にしてしまった人間が次々と海に突入しては流される事件が多発したため、害悪な種として判断された人魚たちは元々住んでいたメルスランド海域から追い出されてしまったそうだ。
そこまで聞いたルカが、窓際で壁に寄りかかりながら簡素に今回の申し出を要約する。
「つまり我が国の庇護下に入り、最低限の身の安全が欲しいと。そういうことですか?」
「言い方は悪いですが、そういうことですね~」
吸血鬼の歯に衣着せぬ言い方にも少しも怯むことなく、人魚さんはぴちぴちと尻尾を揺らめかせた。そのままとんでもない事実を告白してくれる。
「最初はわたしたちも頑張ろうとしたんですけどぉ、こっちの海域ってけっこう凶暴な方が多いんですよ~イカさんとかタコさんとか。ですから比較的浅いレーテ川の河口付近に住まわせて貰ってます~」
「げっ!? いつの間に!」
レーテ川って言うのはハーツイーズとメルスランドの国境を流れる川のことだ。ライムの関所と大橋が掛かっているあの。そのレーテ川が海に流れ込むところに彼女たちは住み着いているらしい。岸に近いところから海に引きずり込む歌が聞こえてくるとか怖すぎる! えっと、あの辺りは……うん、大丈夫だ、確か無人のはず。
ただ、彼女たちも自分の歌の危険性は理解しているらしく、こちらに引っ越してきてからは自重しているのだそうだ。居住区も(勝手に建設して)ある程度形になった今、正式に住むことを許してもらおうと今回やってきたのだとか。
「おねがいしますぅ~、もうみんなすっかり居ついちゃってるんですよ~、今さら出てけなんて言わないでください~」
うるうるとしたまなざしで懇願してくるピアジェにうっと引く。住んじゃえばこっちの物ってことか。事後報告で許可を得ようだなんて、この子見た目によらず結構したたか?
ため息をついた私は幹部たちに意見を求める。ところがみんなも人魚族に関してはそこまで情報がないのか迷っているようだ。確かに、陸と海じゃ生活エリアが違うし接点が無かったのも当たり前か。国民として加わってくれるのは嬉しい話だけど……信用してもいい種族なの?
そんな微妙な雰囲気をピアジェは察したらしい。ほえほえ~っと和やかなオーラのままこんな事を切り出した。
「でしたら魔王様、一度わたし達の住む場所までおいでになりませんか~?」
「視察ってこと?」
「はいっ、そうしたらきっと信じて頂けると思うんです~」
その言葉に私は少しだけ反省する。そうだ、どんな種族でも平等に受け入れるってルールを掲げたのは自分自身だったはずなのに、ちょっとした先入観で不信感を抱いてしまった。こんなんじゃ王様失格だ。
ふっと笑みを浮かべて申し出をありがたく受け入れる。まずは自分の目で見て確かめる、基本基本。
「そうね、そうしたら一度見せて貰おうかな。人魚族の住んでるっていう場所を」
「喜んで!」
そんなわけで急遽、人魚の住む地まで視察に向かうことが決定したのだけど、それまで半分うつらうつらしながら話を聞いていたグリが「じゃあ」といきなり口を挟んできた。
「今回ぷーくんは護衛できないね、泳げないから」
「んがっ、おっ……まえなぁ、そういうことを……」
へぇ、泳げないんだ。そんな視線で見ていると気づかれてしまったのか、ジト目を向けられる。
「悪かったな、泳げなくて」
「犬かきとか――」
「オレは狼だ!」
ボンっと煙を出して原型に戻るのだけど、いやぁ~大きさ以外正直いって違いがよくわかんないなぁ。ほら、こうやって撫でると無抵抗でお腹出して喜んじゃう所とか、犬にしか見えないというか。
「わぁ、さすがは魔王様、猛獣を手懐けるのもお手の物ですねぇ」
「誰が手懐けられっ……あふ、わふ」
まだ抵抗する余地があるとは生意気な、うりゃうりゃ。完全に悦に入っているラスプを撫で繰り回していると、なぜか少しだけドヤ顔をしたピアジェが胸を張ってこんな事を言い出した。
「泳げない方でもご安心ください~、ご招待するからには安心安全に水中をご案内させて頂きますよぉ」
「えっ、海の中なの? 私、エラ呼吸とかできないんだけど」
「まぁまぁ、行ってからのお楽しみです~」
じらされては気になるのが人の心と言う物で、だけどピアジェはどんなに聞いても楽しそうにはぐらかして教えてくれなかった。んん、これはちょっとだけ楽しみになってきたぞ。まさか竜宮城みたいに亀の背中に乗っていくとか?
じゃあ明日にでも出発しようと言いかけたところで有能なる秘書官ルカが今後のスケジュールを耳打ちしてくれる。先約を思い出した私は謝るように両手を顔の前でパンと合わせた。
「そうだった! ごめん、一日だけ待ってくれる?」
「構いませんけどぉ、何かあるんですかぁ?」
可愛く小首を傾げた彼女に向かって、私は自信満々に指をビシリと突き立てた。
「『マイスター制度』の認定試験をやらなくちゃ!」
手首です。ご主人様のあの撫で殺しテク…なんでもご実家のサクラさん(柴犬・♀3歳)で鍛え上げた物だとか。あそこまでデロデロに溶けた隊長さんの姿、自警団の皆さんだけには見せられませんねぇ…