57.だから魔王になった、それだけです
心配ではあったけど、屋上への扉に突き当たって気を引き締める。ゆっくりと押し開けた先に見えてきたのは私専用の屋上菜園だった。
「ここは実験用ファーム。いろいろ土の質を変えて、作物にどう影響してくるか調べてる最中なんです」
爽やかに吹き抜ける春の風が、土の香りとほんの少しのペンキの臭いをかき混ぜる。
肥料として今のところ一番効果が高いのはドラゴンの糞なのだけど、村に落ちてくるのには限りがある。取りに行くにしてもコストが掛かりすぎて現実的じゃないし、何より危ないらしい。
いつかストックが無くなったときの為、他の肥料でも代用できないかどうか、また土魔法で何とかカバーできないかをここで試しているのだ。あとはちょちょいっと既存種をかけ合わせて品種改良に手を出してみたりしてる。テレビ番組などで見た知識しかなかったけど、成長サイクルが早いので体当たり方式で試してみたら奇跡的に一つだけ上手くいった。そこからはコツをつかんだのでおもしろいように成功続きで、色々と交配させ改良している段階だ。……もちろんここに至るまでにその何倍もダメになったけど。
そんな風にしてできた瑞々しく張りのあるトヌトを三つ収穫し、よかったらどうぞと差し出す。私が先に齧ったのを見て彼らもかぶりつく。軽く目を見開いたかと思うとそろってゴクンと飲み下した。
「トヌトってこんな甘いものでしたっけ」
「驚いたな、まるで果物のようだ」
「おいしいでしょ~、村のこどもたちもみんな大好きなんだよ」
ニコッと笑ったライムが自慢げに言う。ふふふ、良いもの食べてるはずの騎士さんにも評判は上々……ってことは、もう少し数が増やせれば人間領への出荷も視野に入れてもいいかもしれない。
もちろん最初は生産地が魔族領だから敬遠されるかもしれないけど、うまーくここでアピールして王様とか貴族の皆さんに食べて貰える機会を作れれば……。
(ぐふ、ぐふふ、美味しい食べ物の前に人など無力。攻め込むぞ三大欲求が一つ食欲。胃袋から侵略してくれるわメルスランドォォォ!! フハハハハ!!)
(めずらしく魔王らしい表情をされているのを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか)
どこか遠い目をしたルカがボヤいてるけど無視無視。平和的侵略と呼びなさい。
それからしばらくあっちの野菜、こっちの作物と試食会をしていたのだけど、ふとエリック様が寄ってきてキュワリを収穫していた私の横にしゃがむ。さりげなく意識をこちらに向けるバンパイアに無防備にも背を向けて、彼はそっと問いかけをしてきた。
「魔王アキラ殿」
「はい?」
「……そう、魔王だ。あなたはいつから魔王なのか聞いてもいいだろうか。先代魔王から継承の儀でもしたのか?」
しばらくどう答えようか迷っていたのだけど、キュワリをぷちんと収穫しながら正直に打ち明けることにした。
「継承っていうか……魔王様の生まれ変わりらしいんです、私。ここじゃないところから連れてこられたんですけど、簡単には帰れないらしくて……じゃあ帰れるまでの間やってみようかなって」
先代のアキュイラ様には会ったことも無いと打ち明けると、なぜかエリック様はホッとしたような、でもどこか納得のいかないような微妙な顔つきをしてみせた。
そりゃそうだ、私だってこんな胡散臭い話聞かされたらそういう顔をするに決まってる。こいつ頭大丈夫かって。
「あのですね、なりゆきとは言え決して生半可な気持ちで引き受けたわけじゃないですよ!」
フォローするようにちょっとだけ大きな声を出す。そう、この気持ちは最初からブレてない。まっすぐに相手の目を見つめ、私はゆっくりと口を開いた。
「前世とかそんなの関係なしに、私はこの国を作りたいと思った。だから魔王になった、それだけです」
***
真上にあった太陽も少しだけ傾いてきた頃、私たちはお城の前の草原で視察の二人と向かい合っていた。
私の真向かいに立った勇者様が、案内のお礼を固い言葉で述べた後、少しだけ厳しい顔でこう続けた。
「少しでも怪しいところがあれば、今日この場で全て滅ぼすつもりだった」
不穏な言葉にサッと緊張が走る。……だけど彼はふっと笑みを浮かべたかと思うと、今日一番感情の籠もった声で言ったのだ。
「だが、その必要はなかったようだ。王には私から好意的に伝えておこう、ハーツイーズ国は『善き隣人』になれそうだとな」
それって、それって……!
幹部たちと顔を見合わせて、思わず歓声をあげて飛び跳ねてしまう。遠くでこわごわ見守っていた国民たちにも結果は伝わったようで、辺りは軽いお祭り騒ぎのようになってしまった。
その大歓声の中、勇者様は苦笑しながらなんとか私に伝えようと大声を張り上げる。
「いずれ正式な友好条約を結ぶ際に来ることになると思う!それまでにさらなる成長を楽しみにして……すごい喜びようだな」
それまで緊張して張りつめていたのがぷしゅ~と抜けていくようで、私は安堵の涙を流しながら何度もうなずいた。良かった、これでひとまずは断頭台回避できたんだよね。
その後、メルスランド側に帰るため桟橋まで見送りに来た私は、別れ際ギリギリまでその言葉を言おうか言うまいか迷っていた。
だけど別れの言葉を述べて彼が背を向けた瞬間、どうしてもこみ上げる想いを止められなかった。
「……エリック様!」
呼び止めに振り向いたその顔が、しぐさが、余りにも記憶の中の彼と似すぎていて――
「私のこと……っ、どこかで見覚えありませんか!?」
手首です。品種を掛け合わせる実験はわたくしもお手伝いさせて頂きました。簡単に言うと受粉する前にその花のおしべを取って、掛け合わせたい他のおしべの花粉を付けてしまうんですわ。この時混ざり合ってしまうと上手く行かないので、ご主人様も最初は苦労していたみたいです…