EX3-2.私の天使さん・後編
一度どるんっとゲル化した少年は、再び形態を変える。そこには普段のライムをもっと幼くしたような男の子が立っていた。愛くるしい顔立ちにふわふわの茶色い髪、藍色の瞳は普段よりことさら大きく見える。ぽてっとした両手を見つめた彼は、話を続けた。
「怒らないでね、アキラ様。ボクはお母さんに抱きかかえられて死んでいるその子を見て、何の感情も湧きあがらなかったんだ。ニンゲンなんかどうでもいい、ただの顔のモデルだってその時は思ってたから。だけど、森を出る時、偶然あのおばあちゃんを見かけてさ」
彼女は来る予定の一家を待ち、寒い雪の中いつまでも立ち続けていた。来るはずのない息子一家を待ちわびて、ずっと。
「何とも思わなかったしスルーして帰ったよ、それからもずっと忘れてた。だけどアキュイラ様が死んじゃって、アキラ様にニンゲンだって魔族と同じだって諭された時、ふっと思い浮かんだのがあのおばあちゃんだったんだ」
建国宣言をする前にやった『いい魔族大作戦』の時、ほんの気まぐれで顔を出してみた。一瞬驚いた顔をしたおばあちゃんは、苦しくなるほどライムを抱きしめたそうだ。
「泣きながら何度も何度も名前を呼んでさ、それ以降気になっちゃって、たまーに顔を見せに来てたんだ」
「知らなかった……」
聞けばキャラバンで野菜アピール遠征した時も、豊穣祭の準備で走り回っているときも、ちょこちょこ通っていたらしい。いつもの大きさに戻ったライムはバツが悪そうに頬を掻いた。
「やっぱり、国の幹部としてはまずいかな?」
「ううん、プライベートで来てる分には全然構わないの。でも騙してるのはやっぱりよくない気が……」
言い淀んでいると、私の肩に乗っていた手首ちゃんが、ライムの頭にぴょいっと移る。筆談セットが浮かび上がり彼女の意見を言葉にした。
“ですが、ライム様が来ていることでおばあさまが元気になっている節もありますし、嘘も方便なのでは?”
「んー、一理ある」
そうなんだよね、打ち明けるってことは、息子一家が惨殺されてしまったことを打ち明けることになってしまう。ガッカリさせるのはよくない気がする、けど、んん。
悩む私を説得しようと、ライムは明るく表情を変えた。パッと手を広げて自分の計画を打ち明ける。
「あのねっ、今度おばあちゃんにハーツイーズに越してこないかって言ってみるつもりなんだ! 『ボク』の一家が向こうに行ったって設定にして、スライムたちに両親を演じて貰おうかと思ってて」
「ライム、それは」
さすがにまずいと言いかけるのだけど、うるっと瞳を濡らす少年にうっとひるんでしまう。
「アキラ様も見たでしょ? おばあちゃん持病を持ってて、最近どんどん弱ってるんだ。だからせめてその治療だけでもうちの国でしてあげられたらって思ったんだけど」
「ちょ、ちょっと考えさせて」
難しい顔をして腕を組みながら歩き出す。確かにあの咳は気になる。ドク先生なら何とかしてくれるかもしれないけど……。
――オレさぁ、その咳の原因知ってるよ
「うわっ」
突然、頭の中で響いた声にビクッとする。一歩先で止まったライムが不思議そうに振り返った。
「アキラ様?」
「な、なんでもない」
慌ててごまかし足を動かす。平静を装いながら心の中の悪魔に無言で呼びかけた。
(ルシャ、知ってるってどういうこと?)
――ここ、灰落の森でしょ? サイードに頼まれてここの森にしか生えない樹木を取りに来たことがある
樹木? と、周囲を見回すと、灰色っぽい背の高い木からキラキラと細かいホコリが流れ出しているのが見えた。
――あの木は陽にあたると皮がボロボロに崩れていって、目に見えない微細な灰となり空気中にただよう。やがて体に蓄積されていき、肺に溜まって気づいた時には病魔に犯されているって寸法さ
ペラペラと喋る悪魔にハッとする。そうだ、あのおばあちゃんの咳、一時期リヒター王が苦しんでいた症状にそっくりなんだ!
――急に症状が出てきたのは、日当たりでも変わってあの家の近くで大量に舞い始めたからだろうね。汚染された症状を一気に取り除く方法、知りたい?
(お願い、教えて!)
意気込んで尋ねた私に、ルシャは一瞬クッと喉の奥で息を噛み殺すような音を立てる。次の瞬間、爆発するような笑い声をけたたましく鳴り響かせた。
――知らなぁぁぁい! そんな方法ぜんっぜん知りまっせーん! ぎゃははは、バッカじゃないの!? もし知ってたとしても絶対に教えないけどねーっ、あっぷっぷー
「……」
イラァとした私は問答無用で例の小箱を出現させる。力任せに叩きこんで閉じ込めるのだけど、箱の中の悪魔はいつまでも笑い続けていた。こいつ……!
ふぅっと怒りを鼻息で逃がした私は、前を歩くライムの手首を捕まえた。驚いた顔で振り返る彼に力強く言う。
「わかった、騙すのはよくないけど、ここから連れ出そう。でも病気が治ったらちゃんと本当の事を打ち明けること、いい?」
パァァッと顔を明るくさせたライムは、こちらの首にかじりつくように飛びついてきた。
「やったぁ、アキラ様ありがとう!」
「私が介入すると色々言われちゃうから、ライムが主体で動くのよ」
「だいすき~」
シリアスな雰囲気を保とうとしていたのだけど、口の端がピクピクしてにやけてしまう。あぁもう、好き好きオーラ全開で可愛いんだからなぁ。
「それと、城のシーツを盗むのはダメよ、あれは洗濯も含めて国の税金でまかなってるんだから。やるならちゃんとお金を出して頼みなさい」
「はーい、ごめんなさい。手首ちゃん、洗濯お願いしてもいい?」
ライムの頭の上で、手首ちゃんが了承のタップを一回する。ひとまず作戦を立てる事にして、今日のところは帰ることにした。
***
それ以降も、ライムは何かと時間の都合を付けては足しげく通っているようだった。
まだ陽も昇りきらぬ早朝、自室の窓から見下ろすと、たくさんのおみやげを抱えたライムが駆けていくところが見える。それを眺めて私はため息をついた。今日もうるさい悪魔が頭の中でさわぐ。
――魔王様がパパッと治しちゃえばいいのに。奇跡の人体構築秘術とやらでさぁ~。なんなら人体改造して灰になんか負けないおばあちゃんにしてしまえばいい。サイボーグババアの誕生だ!
私はうるさいハエでも追い払うように手を払った。固い声で悪魔のささやきに反論する。
「それはやらないってみんなで決めたの。一人やりだしたらキリが無いし人の生き死にを左右するほど私はおこがましくないから」
きっぱりと断ったのに、ルシャは生身だったころのニヤニヤ笑いが浮かび上がるような声を出した。
――へぇぇ、ご立派。でもさぁ、そういう選択肢を持ってることは事実で、アキラちゃんはそれを分かった上で見捨てるんだ。それって結局『命の選別』じゃないの? ……ほげぇ!
頭の中で巨大なハエ叩きをイメージして叩きつぶす。まったく、この悪魔は私の心の弱いところばかり掻きむしる。それはダメだ、踏み越えてはいけない一線なのだ。私は聖女にはならない。
ドク先生だって治療方法を探してくれている。でも結局はあの森から出ないことには根本的解決にはならない。どうしたら……。
「!」
ふいに気配を感じて振り返る。そこにいた来訪者を見た私は息を呑み、そしてゆっくりと目を伏せたのだった。
***
「あれ、アキラ様どうしたの?」
人間領にも初雪が降ったその日、私は関所のところで先回りをしてライムを待ち構えていた。私はマフラーを巻き直しながら答える。
「私も久しぶりにおばあちゃんのところ行ってみようかなって」
「あはは、キャンペーンガールのお姉さんは生育の様子まで見に行くの?」
それには答えず、無言で微笑み返す。道すがら、ライムは色々な話をしてくれた。ドク先生の薬のおかげで最近はおばあちゃんの顔色がすごくいいとか、魔法のヒートテックで出来たセーターを持ってきたので着せてあげるのだとか、楽しそうに語る。私はそれを黙って聞いていた。
「こっちに越して来る計画はこの前、話してみたんだ。きっと今日返事が聞けると思う」
「そう……」
そして目指す家が見えてきた時、ライムは小屋の扉をちょうど開けて出てきた人物に足を止めた。心底ふしぎそうな声でその知り合いの名をポツリと呼ぶ。
「グリ兄ぃ?」
白い彼はふわふわと落ちて来る雪と同化するように動かなかった。何も言わずただじっとこちらを見つめている。
「なんでグリ兄ぃが――」
私も、近すぎる存在である彼の種族を忘れることがよくある。それはライムも同じだったようで、ハッとした様子の彼は持っていた荷物を全て取り落とし小屋に突進した。壊れる勢いで開けたドアの枠に手を掛けて動かなくなる。
そっと近寄った私が見た物は、ベッドの上で手を組んで静かに眠るおばあちゃんの姿だった。ただしその眠りは二度と目覚めることのない、永遠の眠りだ。
「もう送ったよ、安らかな最期だった」
グリの淡々とした報告に、ライムは呆然と立ち尽くす。降り積もっていた雪が枝からドサッと落ちる。我に返った少年は死神の胸元に掴みかかり叫んだ。
「なんで! なんで連れてっちゃうんだよ! ひどいっ……」
「……」
やり場のない憤りをドスドスと叩きつけるライムを、グリはただ黙って受け止めていた。
「グリ兄ぃはなんで死神なのっ! なんで! 嫌だよ、なんでぇ……!」
急に目を見開いたライムはこちらを見つめて何か言いたそうにする。すがるような視線が痛いほど突き刺さった。
助けて、アキラ様たすけて、蘇生してよ、おばあちゃんを助けてよと、今にもその口から飛び出しそうになる。
目を逸らしてしまえばどんなにラクだっただろう、それでも私はじっと彼を正面から見つめ返した。
どうにもならない道理を理解したのか、綺麗な藍色の瞳がクシャッと歪み、宝石みたいな涙がポロポロとこぼれだす。
俯いてしまったライムに向けて、グリが何かを差し出した。
「これ、ライムにって」
それは編んでくれると約束していた毛糸の帽子だった。白地にリクエストした若草色で何かの模様が入っている。広げてみた彼は目をこぼれ落ちそうなほど見開いた。
「なんで……」
編みこまれていた意匠は、私たちのマーク、ハーツイーズの紋章だった。私はその肩にそっと手を置き、察していたことを話す。
「たぶん、おばあちゃんはライムが本当の孫じゃないってどこかで気づいていたんだと思う。名前じゃなくてずっと坊やって呼んでたし」
「……」
「息子夫婦がずいぶんと長い間来ない時点で察してたんじゃないかな。五年って、人間にとってはやっぱり長いよ」
ほの暗い孤独の底に居たであろう彼女の元に、ある日、亡くなったはずの孫がひょっこり帰ってきた。その瞬間の彼女がどう感じたかは分からない。だけど
「おばあちゃんは何も言わなかった。どこの誰かは分からないけど、ライムが来てくれたのが本当に嬉しかったんだろうね」
帽子には小さな紙がピン留めされていて、ライムはそれをそっと外して広げる。メモには柔らかい筆跡で一文が綴られていた。
“ありがとう、私の天使さん”
「え、へへ」
帽子をキュッと被ったライムは、その縁を握って目深に下げる。笑っている口元からこぼれる声は震えていた。
「あったかい……。あのね、スライムは一族みんなが家族みたいなものだからね、お父さんとかお母さんって居ないんだ。だからおばあちゃんみたいな特別な存在ができて、ボク本当に嬉しかった。誰かに大切に思われて、大切に思うのが、こんな優しい気持ちになるなんて、知らなかっ、た」
胸が張り裂けそうでたまらなくなった私は、消えていく言葉尻ごとその小さな身体を抱きしめる。毛糸の帽子は柔らかく、ひだまりの匂いがした。
「おばあちゃんは、ライムの本当のおばあちゃんだったよ。きっと向こうもそう思ってたよ」
私にしがみついて、ようやく少年は声を上げて泣き出す。降り積む雪に吸い込まれていく声を、私は心ごとしっかりと受け止めたいと思った。
***
「お、良い帽子かぶってんな」
あくる日の朝、エントランスホールから出ようとしたところで、ラスプが目の前で揺れていた帽子に手を置く。反射的に頭を抑えたライムは威嚇するように口をイーッとしかめてみせた。
「気安く触らないでよねーっ、ぷー兄ぃの泥だらけの手じゃ汚れちゃう!」
「なんだいっちょ前に生意気なこと言いやがって、ちょっと貸せよ」
「いぎゃああ、やめろーっ」
からかって帽子を取ろうとしているラスプの背後に私は迫る。楽しそうに揺れていたしっぽの根本をむんずっと掴むと、弱点を触られた彼はビビビッと全身の毛を逆立ててヘンな声を上げた。
「あひぃん!?」
「お、なんだ。いい毛皮持ってんじゃねぇか。ちょっと貸せよ」
彼の口調をそっくりそのまま真似してやると、狼さんは頬を染めて勢いよく振り返った。
「おまえなっ、そこはやめろって言ってんだろ!」
「よいではないか、よいではないか、げへへ」
「あ、ちょ、マジ勘弁してくださいアキラさん、そこは、」
セクハラ案件を続けて撃沈させると、ライムはケラケラと笑って帽子をギュっとかぶり直した。
「これはあげないよっ、ボクの宝物なんだから!」
晴れ晴れと笑った彼は、白く雪の降り積もる城門の外へと駆けだした。
「ほらぁ、雪合戦始まっちゃうよ。早く早く!」