EX3-1.私の天使さん・前編
「あのね! 今日はちょーちょーちょ~ぉぉぉっ、危険な実験をするから、ぜったいに工房に入って来ないでね!」
ある日の朝、突然のライムの宣言に朝食を食べていた私たちは揃ってそちらを見た。オートミールをモゴモゴと咀嚼していたグリが、ごくんと飲み込んでから不思議そうに首を傾げる。
「爆弾でも作るの?」
「うぇ!?」
ビックリした私はバターナイフを取り落とす。ライムの実験工房は一階にあって、最近だと子供たちも一緒になって、騒がしくないって日がないほど連日爆発騒ぎを起こしている。わざわざ宣言するってことは、今までとは比較にならない威力の実験を!?
「ちょっと、けが人なんか出したらまたドク先生にしかられるわよっ」
「えっ、あっ、」
なぜか戸惑って目を見開いたライムは、コクコクと頷くと早口で言った。
「ダイジョブ、今日はボクだけでやるから子供たちは巻き込まない、ダイジョブ」
手早く自分の食器をまとめた彼は、厨房に返しに行って足早にその場を立ち去る。なんっか怪しい気がするのは、私だけ?
つい意識をそちらに取られていると、先ほどからこちらを見つめていたルカが呆れたように言った。
「主様、考え事をするのは結構ですが食事が終わってからにして下さい。際限なく口に運んでますよ」
「はっ」
***
朝ごはんの後、私はいつものルーチンワークで街中の様子を見に行こうとする。――が、廊下の先で掛けていくライムの後ろ姿を発見して足を止めた。何か抱えてたけど、何あれ。
「ん?」
目を凝らしていたその時、後ろから足首をチョイチョイとつつかれて振り返る。低い位置からの呼びかけで誰かは察していたけど、そこに居たのは今日も可愛いメイド衣装(別名ドアノブカバー)に身を包んだ手首ちゃんだった。空中にメモ用紙と羽根ペンが浮かび上がり、丁寧な字が綴られていく。
“ご主人様、おはようございます”
「おはよう、何かあった?」
わざわざ筆談をするってことは、何か伝えたいことがあるってことだ。どうやらその通りだったみたいで羽根ペンがサラサラとよどみなく動いていく。
“それが、ここ最近リネン室からシーツやタオルが無くなるんです。心当たりはありませんか?”
ここまでヒントを出されては、さすがに結び付けないわけにもいかない。ちょうど窓から見下ろすと、大きなリュックを背負ったライムが実験工房から抜け出して行くところだった。その両腕には大量のシーツやタオルが抱えられていて、彼は周囲を見回しながら移動を始める。マンガなら『コソコソ』とでも擬音がついていそうな後ろ姿だ。
「「……」」
窓枠に乗った手首ちゃんと顔を見合わせる。手を差し出すと彼女は一つ頷いて肩の定位置に乗ってきた。
***
とある人間領の森の中、針葉樹林が生い茂るうっそうとした影に潜むようにしてその家はあった。
レンガ造りのよくある家で、煙突からは温かそうな煙が立ち昇っている。静まり返った森は静寂に包まれていたが、少し古ぼけたその窓を通して弾むような幼い声が聞こえてきた。
「おばあちゃん、これすっごくおいしいよ! サイコー!」
声の主である少年は木を削ったスプーンを振り上げ、今しがた口に運んだシチューを大げさなまでに褒めたたえる。空になった鍋を運んでいたおばあちゃんは微笑んで口を開いた。
「そうかい? 昨日の残り物で悪いねぇ」
「ううん。ここに来るまでに体が冷えちゃったからすっごく嬉しい」
ごちそうさま、と手を合わせた少年は立ち上がり、持ってきた荷物に駆け寄った。シーツを手にバサリと広げると、窓枠の傍にある古ぼけたベッドに向き直る。
「それじゃ、パパっと掃除してシーツ取り変えちゃうから」
「いつもありがとうねぇ」
ニコニコと微笑むおばあちゃんは、椅子に腰かけると足をさすった。パッチワークで出来たスカートから覗く足はとても細く、枯れ枝のようだった。少年はそれを見て一瞬つらそうな顔をしたが、すぐに笑顔を返す。
「ううん、最近来れなくてごめんね、ずっと忙しくてさ」
「あぁ、なんでも森の外じゃずいぶんと大変なことになってるらしいねぇ、魔族が攻めてきたとか何とか」
配達の人が言ってたよ、と続けるおばあちゃんの声に、少年はピクリと手を止める。それでも平然とした態度でまた働き始めた。
「んーっと、そう、らしいね。でももう収まったみたいだし、魔族とも仲直りできたらしいよ」
「そお? この森にいると情報が全然入って来ないから、坊やの話を聞かせて貰うのが嬉しいよ」
「えへへ、ちょっと外ではたいてくるね」
ぺたぺたに潰れたマットレスを持ち上げた少年が扉を開けて出てくる。そして窓の外でしゃがんでいた私と目が合うと今度こそ本当に固まった。口をパクパクさせると信じられないような顔で言う。
「ア、ア、アキラ様……?」
「あ、見つかっちゃった」
ぼそりとつぶやいた瞬間、ライムがもの凄い勢いでしゃがみこんでくる。顔を近づけると小声で猛烈に話し出した。
「見つかっちゃったじゃないよっ、なんでこんなとこ居るのさ!? 他の人は!?」
「手首ちゃんならここに」
「わーっもう、護衛も付けないで何かあったらどうすんの!」
あ、そこ心配してくれるんだ。優しい。例の護身用魔導球もあるし大丈夫だよ、と言いかけたところで、外の騒ぎを不思議に思ったのか、おばあちゃんが家の中から顔を出した。
「どうしたの、坊や」
「キェーッ!」
奇声を上げてライムが直立する。間一髪、私が手首ちゃんをポケットに突っ込んだ直後に目が合った。
「あら? どちらさま?」
覗き見してた時も思ったけど、優しそうなおばあちゃんだ。灰色のウェーブがかった髪を耳下まで伸ばし、大判の赤いストールを肩から羽織っている。ちょっとだけ日本にいる私のおばあちゃんと雰囲気が似てる。立ち上がった私は自己紹介をしようと胸に手をあてた。
「初めまして、私は――」
「あーっ、その! あれだって、アキラ芋のキャンペーンガールのお姉さんだって! ね!?」
「えっ」
後ろ手に何かを押し込まれる。持ち上げるとアキラ芋と目があった。いや、キャンペーンガールなのは間違いないけどさ。どうやら正体を明かしたくないようなので適当に話を合わせてごまかすことにする。
「そ、そうです、今回は森の中でも育てやすい種の紹介に参りました。こちら試供品となっております、いかがでしょうか? 家庭菜園でも十分に育ちますよ」
「まぁ、それはご親切にどうも」
どうやら納得してくれたらしいおばあちゃんはにっこり笑って家の中に招待してくれた。
「そんなところじゃ寒いでしょう、どうぞ中でお茶でも飲んで行って下さいな」
お言葉に甘えてお邪魔させてもらうと、温かい空気に出迎えられてほっとする。暖炉にくべられていた薪がパチパチと爆ぜる音が心地よく、私はコートを脱ぎながら尋ねてみた。
「こんな森の中に一人でお住まいなんですか?」
「えぇ、家の人を亡くして十五年くらいになるかしら」
おばあちゃんは懐かしそうに暖炉の上の肖像画を見上げる。そこには今より若い彼女と、無骨だけど正直そうな旦那さんが息子さんらしき人物と一緒に描かれていた。紅茶を私の前に置いてくれたライムが補足してくれる。
「おじいちゃんは木こりをやってたんだ。おばあちゃんはこの地を離れたくないって言うから、孫のボクが時々面倒を見に来てるってわけ」
「そうねぇ、坊やが来てくれるから寂しくはないわねぇ」
「えへへ、そうでしょ?」
「小さいころから優しい子だったけど、今でも来てくれるのは本当に嬉しいよ。ありがとねぇ、私の天使さん」
にっこり笑ったライムが、おばあちゃんの膝に甘えて飛びつく。頭を撫でてもらってご満悦そうだ。見ているこっちまで笑顔になってしまう。
「おばあちゃん、だーいすき!」
うーん、微笑ましい光景なのはいいんだけど、いったいライムは何のつもりで……。
その時、ふと暖炉の前にあるロッキングチェアに編みかけの毛糸が置いてあることに気づく。私の視線に気づいたのか、正体を隠したお孫さんはどこか誇らしげに言った。
「寒くなってきたから毛糸の帽子を作って貰ってるんだ。ねっ?」
「えぇ。そうだ、坊やは何色が好き? 模様の段にそろそろ差し掛かるの」
「んー、若葉色! カッコよく作ってね」
「はいはい、わかりましたよ」
軽く笑っていたおばあちゃんが息を吸い込んだ瞬間、彼女の喉からゼヒュッとヘンな音がする。顔をしかめたおばあちゃんは急に咳き込み始めた。深く肺から吐き出すような嫌な咳だ。しばらくゲホゲホやっていた彼女は胸の辺りをさすりながら謝った。
「ごめんなさいね、ここのところ持病が悪化して……」
「いえ」
なんだろう、どっかで見たような症状だ。既視感を思い出そうとしていると、手首ちゃんを入れたポケットがもぞっと動く。その存在を忘れかけていた私はハッとして席を立った。
「お茶、ごちそうさまでした。そろそろ次の家にも回らないといけないので……」
「あらら、大したおもてなしもできなくて。残念ねぇ、クッキーをこれから焼くところだったのだけど」
「ふぁ! よくよく考えたらもう少し時間があるかも――」
べしっと太ももを手首ちゃんに叩かれて口をつぐむ。わかってる! これ以上抜け出してたらルカに本当に怒られる。でも、うぅ、クッキー……。
「じゃあボクもそろそろ帰ろうかな。お姉さん、途中までご一緒してもいい?」
「それじゃあ、また来てちょうだい」
数分後、私たちはおばあちゃんに見送られ、家を後にしていた。木立の向こうに家が消えた後、私は先を歩く背中にちょっとだけ威圧的な声を投げかけた。
「さてと、それじゃ説明して貰おうかしら?」
歩くスピードを落としたライムは横並びになる。数歩先の足元に視線を落としたまま、ようやく重たい口を開いた。
「アキラ様、話を合わせてくれてありがとう。あの人は、正真正銘ボクのおばあちゃんだよ」
「でも……」
あのおばあちゃんはどう見ても人間だった。スライムであるライムが彼女の血縁とは考えにくい。そこに言及する前に、彼は真相を明かす。
「正確に言えば、この顔の元の持ち主だった『ボクの』だけど」
自分の頬を触った彼にハッとする。藍色の瞳を伏し目がちにしながら、ライムは語り出した。
アキュイラ様の魔王軍に入った当時、ライムはスライム形態しか持たない普通の魔族だった。
ところがルカやグリ、ラスプたちに囲まれた彼は、幹部の中で自分だけヒト形態でないことを気にしたそうだ。
「別にスライムであることを恥じたわけじゃないんだけどさ、どうしても横並びになった時、兄ぃたちと同じ目線に立ってみたくて」
そこでアキュイラ様にトランスフォームの魔術を教えて貰い、猛特訓の末、見事習得することに成功した。そしてヒト形態を一定の外見で固定化させるため、モデルとなるニンゲンを探していたらしい。
「できればオリジナルに迷惑がかからないよう、故人がベストって言われたんだけど、なかなか見つからなくて」
そこまで話して足を止めたライムは、辺りを見回した。静寂の黒い森はどこか物悲しく、暖かな暖炉と誰かの笑い声が恋しくなった。
「この辺りだったかな、ボクは魔物に襲われた一家を偶然見つけたんだ。すでにみんな息絶えていて、ボクはその中の男の子の顔を貰った」