EX2.時には昔の話を
とぷとぷと白い陶磁器の器に黄色がかったお茶が注がれていく。豊かに立ち昇る花の香りが鼻腔を刺激してなんともいい気分。
ん~っ、わざわざピアジェ運送に頼んで遠い島から届けて貰っただけのことはあるわ。ジャスミンティーに似てるけどもっと複雑に何種類もの花の香りが混ざって、まるでブーケを丸ごと飲んでいるかのよう。これ絶対人間領で流行るでしょ、貿易で転がしたいわね。
そんなことを考えていると、丸テーブルの斜め右に座っていた狼さんが鼻にシワを寄せて舌を出す仕草をした。
「うぇ、またその臭ぇ茶か。なんでニンゲンはこんなもんをありがたがって飲むかね」
「失礼ね、人間だけじゃなくて最近は魔族の女性の間でもすごく人気が出てきてるのよ」
問答無用でその前に一客置いてやる。ついでにニヤリとからかってやるのも忘れない。
「ま、女心が分からないラスプじゃこのセンスが理解できないのも無理ないか」
「ぐっ……オレは嗅覚が敏感なんだよ」
フッと鼻で笑った私は、もう一杯用意して今度は斜め左に座っていた人物の目の前にコト、と置いた。
「なら意見を聞いてみましょうか、ちょっと試してみて貰えます?」
その人物は慣れた仕草でティーカップを持ち上げ、二、三度ゆすった後、口に含んで呑み込む。赤いまなざしを上げた彼女はキリリとした表情のまま感想を呟いた。
「悪くないですね。お兄様、鈍感なのは鼻だけにして下さい」
「ぐぼぁ」
撃沈されたラスプはヘンなうめき声を出してうなだれる。私はそれを見て声を立てて笑い声をあげた。
シュカさんがやってきた。本人は正式な同盟を結ぶ打ち合わせの為と言い張っていたけど、予告なしで来たところをみると単に様子を見に来ただけらしい。というか、城の前で不審者よろしくうろついていたところを私が発見して中へと引きずり込んだというのが正しい。
今日は冬の入りにしては珍しく小春日和だったので、庭でお茶会をすることにした。彼女は戸惑っていたようだったけど、私が呼び寄せておいた人物にさらに目を真ん丸に見開いた。庭でテーブルの設置をしていたラスプと対面してお互いに固まったのが五分ほど前の話。強制的に座らせて今に至る。
「……」
「……」
しかし、別れ際があんなだったせいか、非常に気まずい空気がただよっている。さっきから全然視線を合わせようとしないし、ラスプに至っては完全なる逃げ腰。今すぐにでもこの場を離れたいらしく、耳は伏せてしっぽは巻き込んじゃってる。まったくもう。
「えっと、とりあえずクッキーでもどうぞ! これね、手首ちゃんとラスプが作ったものなんだよ」
場の雰囲気を変えようと、私はシュカさんに向けてクッキーのカゴを笑顔で差し出す。彼女はちょっと戸惑ったような顔をしながらも一つ摘まみ上げた。
「お兄様が?」
「ばっ、アキラ! いいっ、喰うな!」
ところが、急に焦り出したラスプがパッと取り上げてしまう。ビクッとしたシュカさんだったけど、ムッとしたように眉根を寄せた。
「魔王殿、勧めて貰って申し訳ありませんが結構です、どうやらお兄様は私に食べて欲しくないようなので」
「あ……」
あぁぁ、何やってるかな。大方、お菓子を手づくりしてるだなんて知られたのが恥ずかしくてとっさに取ってしまった行動だろう。そこは誇っておきなさいよ、相変わらずムダに硬派きどってるんだから。
お茶を無言で飲むシュカさんに、力なく椅子に戻るラスプ。居たたまれなさすぎる……こ、ここは一つ、ラスプの株を上げるような話題を!
「その、ラスプももうすっかり元気になってね、今も自警団の長としてすごく頑張ってくれているのよ。みんなから慕われてるし尊敬されて――」
その時、ガサッと茂みから音がして自警団の制服を着た三人がなだれ込んでくる。あっけに取られる私たちを見上げて、彼らは頭や顔に葉っぱをつけたまま目を輝かせて喋り出した。
「団長ォ! 妹さん来てるって本当っすか!? 紹介して下さいよ!」
「わっ、すげぇそっくり! しかもめちゃくちゃ可愛いじゃないっすか! お嬢さん名前は!?」
「まずはお友達からどう!?」
「お、お前ら……」
これ以上ないってタイミングでやってきた部下たちに、我らが団長さんはカタカタと震え始める。そんな様子にもお構いなしに、三人は調子に乗って雑談を始めた。
「あーでも、彼女いない団長に紹介しろってのは酷かぁー」
「だよなぁ、まずはオレたちが面倒見てやらないと」
「いつまで経ってもヘタレなんだからなぁ。そんなんだから童――」
「散れえええ!! こんなところでサボってていいと思ってんのかテメェら、見回りはどうしたっ!!」
テーブルを踏み越えて飛びかかっていった団長に、下っ端たちは笑いながらクモの子を散らすように逃げていく。威嚇していたラスプがハッとして振り返ると、冷ややかな視線を寄こしたシュカさんが目を閉じて再びお茶を飲むところだった。
「なるほど、ずいぶんと慕われているようですね」
「……」
何なんだこの間の悪さは。さすが我が国が誇るツいてないキング。不幸の女神に愛されしその凶運はこんな場面でも遺憾なく発揮されるのか……。
「あ、アハハ~、まったく行儀が悪くてごめんなさい、冗談が過ぎるんだから。あっ、もう一杯いかが?」
ムリに笑顔を作ってティーポットを掲げる。ありがとうございます、と言いかけた彼女は、ふと何かに気づいたようにカップをひっこめた。
「すみません、その前にそちらのお水を一杯頂いてもよろしいですか?」
「水? いいけど」
テーブルの端にあったピッチャーから水を注いでいる間に、彼女はポケットから何かのケースを取り出した。開けると小さな白い粒が十粒ぐらい入っているのが見える。その内の三粒を取り出し、失礼と断りを入れてから呑み込んだ。興味を惹かれた私は何気なく尋ねてみた。
「何かの薬?」
「えぇ、じき月が満ちるのでヒートを抑える薬です。お兄様は飲みました? 月司によると今月かなり大きい波が来るそうですが」
問いかけられたラスプがギクッと固まる。しばらくきょとんとした顔をしていたシュカさんだったけど、その顔が見る見る内に般若のような形相になっていった。
「まさか、服用していないのですか?」
「あっ、いや、その」
あぁ、どこまでも嘘をつくのが下手な狼さんは、見ているこちらが哀れになって来るほど分かりやすい。立ち上がったシュカさんはバンッとテーブルに手を叩きつけて問い詰めた。
「薬で抑えないとか正気ですかお兄様!? 今どき原始狼でもそんなことしませんよ! それで誰かを襲って取り返しのつかない事になってしまったらどうするおつもりですか! ライカンスロープ全体の信用問題ですよ!」
「悪かった! 飲む! これからはちゃんと飲むから!」
その襲われかけた経験のある私は、ひたすら平常心を保ちつつ引きつり笑いを浮かべる事しかできない。お兄ちゃん株が大暴落すぎる……。
ひとしきりお説教を終えたシュカさんは、ストンッと腰を下ろすと膝に手を置く。それまでの怒った顔から少しだけ寂しそうな顔で俯くと、独り言のように小さく呟いた。
「薬も取り寄せたくないほど、我が一族が嫌いでしたか」
「それは……っ」
私にも聞こえたのだから、耳の良いラスプに聞こえていないはずがない。彼は何か言いたそうに口を開きかけるのだけど、結局言葉にはできずに黙り込んでしまった。
やれやれ、口下手なところはどこまでもそっくりな兄妹だ。ゆるやかな風が葉擦れの音を響かせるのをたっぷり聞いた後、私はカップをソーサーに戻して穏やかに問いかけてみた。
「ねぇ、二人は子供の時どんなことをして遊んだの? 小さい頃の話、聞いてみたいな」
視線を上げた二人は困惑して顔を見合わせる。先に話し出したのは左手に座っていたシュカさんだった。
「そんなに面白い話でもないと思いますが……そうですね、お兄様は父との鍛錬の後よく遊んで下さいました。『鈴投げ』という遊びをご存知ですか? 鈴に長い紐を取り付けた物を遠くまで投げ、捕り手はそれを鳴らさないように走ってキャッチする児戯なのですが、お兄様はそれを投げるのが上手くて、私は陽が暮れてもいつまでも飛び跳ねていたものです」
「あぁ、懐かしいな。しまいにゃ母上がいい加減に夕飯だからって呼びにきたよな」
その時の事を思い出したのか、ラスプの目が懐かしそうに細められる。シュカさんの表情も心なしか柔らかくなったようだ。
「お兄様が力加減を間違えて、山の方へ飛んで行ってしまった事も何度かありましたね」
「山、と言えばあれだ。ほら、オヤジが風邪ひいた時に、精の付くもの食べさせるんだってシュカが一人で山にウサギを捕りにいって迷子になったやつ。オレが発見した時、木の洞でうずくまって泣いてたよな。顔ベチャベチャにして『お兄ちゃぁぁぁん』って」
「うっ、そ、それは子供の時の話じゃないですか! やめてくださいよっ」
頬を染めて怒るシュカさんに、私もラスプも笑い声を立てる。次第に彼女もつられて三人で笑いあった。
それが収まりかけてきた頃、ふと彼女と目が合ったのだろう。ラスプは急に真剣な顔をして声のトーンを変えた。
「シュカ、一人ぼっちにしてごめんな。あの時のオレは自分のことで精いっぱいで、お前を巻き込むまいと接触することも恐れていたんだ。まだほんのちっちゃい女の子だったから」
「お兄様……」
この人は、照れ屋でごまかすことも多いけど、本当に大切なことは素直に口に出せることを知っている。だから私は安心してその様子を見守った。
「でも違ったな、お前はオレよりよっぽど賢かった。これからは頼りにしてもいいか?」
優しい笑顔を向けられたシュカさんの目が、うりゅぅぅっと見る間に滲んでいく。目のふちに溜まった水滴が落ちる前に、彼女は深く俯いた。
「そんな、こちらこそ、ずっと謝りたくて……今日来たのも、本当は」
その先は言わなくてもいいと、ラスプの手が小さな頭に乗せられる。冬の日の暖かい光景を、私は微笑みながら見守っていた。
「すっかり長居をして申し訳ありませんでしたアキラ殿。また来ます」
「気をつけてね、送って行かなくて平気?」
陽も傾いてきた頃、私たちは城の正面玄関の前でシュカさんの見送りをしていた。フンスッと胸を張る彼女は、心なしか来た時よりも明るくなったように見える。
「ご心配なく、襲ってくるような輩には噛みついてやりますので」
「オレより容赦ないからな……」
私の隣に立っていたラスプが遠い目をしながらぼやく。私が軽く笑い声を上げていたその時、丘を登ってやってくる新聞記者の姿があった。小脇に紙束を抱えたリカルドは片手を上げて気楽に挨拶をする。
「ようシュカ女帝、二国のトップが会談でもしてたのか? なんで俺に知らせてくれないんだ」
「残念、ただのお茶会よ。政治的な話は何もしてないわ」
「ただの雑談でもそれはそれでおいしいんだけどな」
「おあいにくさま、プライベートです」
ふふんと腕を組んで笑い返してやる。前を素通りしたリカルドは噴水の脇に作られた掲示板の前に立ち、抱えていた紙を一部引き抜くと貼り出した。興味を持ったらしいシュカさんが覗き込みに行くので私たちも続く。ニヤリと笑った悪徳ライターはよく見えるよう立ち位置をずらしながら言った。
「お、見るかい? こんど城の小劇場で幹部たちがまた演劇をやるらしくてな、これは前回までのおさらいだ」
ヒュッと息を呑む音がしてラスプが固まる。貼りだされた掲示物には、いつぞやの赤ずきんの写真がデカデカと掲載されていたのだ。そう、ラスプが主人公を張ったあの赤ずきんちゃんである。
「こ、これは一体……」
フリルがふんだんになされた兄のミニスカ姿に、シュカさんがプルプルと震え出す。ブチ切れたラスプが掴みかかるのと、リカルドが逃げ出すのが同時だった。
「てめぇーっ! ネガは破棄したって言ったろ!」
「ぎゃははは! 勝手に一本だと思い込んでたお前が悪い!」
夕焼け空の下、二つの影が驚く周囲を物ともせず街の方へ駆けていく。その背中に向かってシュカさんが叫んだ。
「あ、あなたと言う人は、いったいこの地で何をしていたんですかーっ!!」
もうここまで来ると笑うしか無くて、私はお腹を抱えたまま涙を流していた。結局こうなっちゃうんだからなぁ。
「ほんと信じられないっ、誇り高き皇族としての自覚はないのでしょうか! あんな、女装だなんて……」
「あはは、一応フォローしておくけど、あれはクジで当たって仕方なくだからね。罰ゲームみたいなもので」
「……」
まるで反応しない彼女に、私の笑いの波は少し引き始めた。あらら、これはさすがにやりすぎちゃったか。
もう少しフォローしようと口を開きかけた時、ちらりとこちらを振り返ったシュカさんは、ちょっとだけジト目のままこう尋ねてきた。
「あの……さっきの写真、どこかでブロマイドとか買えたりします?」
あんぐりと口を開けた私は、しばらく返事を返すことができなかった。
ブラコンだった……。