188.魔王の子飼い
笑って提案すると、笑い返してきたルカがデスクから立ち上がる。
「もちろん、エスコートは私にさせて頂けるのですよね?」
「ん? んん?」
そのまま私の方に寄ってきたかと思うと、ごく自然な動作で手を取り腰を引き寄せる。ダンスでもリードするように。
真剣な顔で覗き込んできたルカは、至近距離で囁いた。
「今回の事で自覚しました。アキラ様は私に国の為に生きろとおっしゃった。ですが私が仕えたいのは貴女様ありきの国なのです」
「ちっ、近い近い近い!」
「魂の寄る辺を求めていた私にとって、あの言葉は光だった。貴女の存在こそが私の生きる意味となった。この想い、受け止めて下さいますか?」
前みたいなうわべだけのセリフとは違う、明らかに心のこもった告白に私の頬はカァァーッと熱くなる。空色の瞳を直視しないよう突っぱねる。
「わ、悪いけど私っ」
手にしていた資料が床に散らばってバサバサと音を立てる。意外にもあっさり放してくれたルカは、急に声の調子を変えてこんなことを言い出した。
「もちろん、私が不在にしている間の変化も察しております。が、私はまったく構いませんよ。主様、ポリアモリーをご存知ですか?」
「へ、ぽり……?」
聞きなれない単語に思わず顔を上げると、彼は人差し指を立てていた。そして実にいい笑顔でとんでもないことをのたまったのである。
「全員が納得の上でなら、複数の相手と関係を持つことを良しとする新しい恋愛の形です。地球ではそう言うらしいですね」
フクスウの相手とカンケイ。上手く言葉を噛み砕けない私は頭の中で繰りかえす。混乱しきったところにルカは要約した言葉をぶち込んできた。
「平たく言うと嫁共有システムです」
「~~~っ」
反射的に右手を振りかぶるも、頬に到達する前にパシッと止められてしまう。
「もちろん最終的には私のところに堕ちてきて頂く予定ですが、当面の間は我慢しましょう」
「何ふざけたこと言ってんのよ! そっ、そんな一度に何人も、あ、相手、って」
「一週を均等に割って、やはり一人二日が妥当でしょうか。日曜だけは休息と予備日ということでフリーにしておきましょう。さすがに毎日だと主様が壊れてしま――」
「ルカ!」
本気でブチ切れかけた私の手をグイッと引き寄せ、バンパイアは出会った時と少しも変わらない美貌で微笑む。
「もうご存知でしょう? 我々は貴女が欲しいのです。血も肉も魂も、そして何より心が」
言ってることは最低なのに、一瞬でもドキッとしてしまった自分が悔しい。
スッと抵抗をやめた私は力を抜き俯いた。受け入れてくれたと思ったのか、ルカはようやくこちらを解放して両手を広げる。
「というわけで、さっそく本日より」
「っ、ありえないからーっ!!」
斜め下・四十五度の角度からえぐるように一発。スパーン!と、今度こそ小気味よくビンタが決まった。ところがぶたれた本人は頬に手をやりながらどこか恍惚とした表情を浮かべている。
「なるほど、これも愛のカタチ……」
「怖っ! なにっ、そういうキャラ路線で行くの!?」
もうドン引きだ。逃げるように距離を取った私は部屋の出口に手を掛けながら振り返った。牽制の意味も込めて彼女の名前を出してやる。
「うぅ、ルカの変態! だいたいねっ、アキュイラ様には会ってきたわけ!? そっちを先に清算しなさい!」
しれっと復活した吸血鬼は腕を組みながらまっすぐにこちらを見ていた。窓から差し込む光がその金髪を輝かせている。
「もちろん会いましたとも。色々と話をしましたよ」
「え、どうだったの?」
てっきり、映像とは言え元カノと会うのはためらうだろうと予想していたので、素の問いかけが口を突いて出た。
するとルカはしなやかな指先を唇にあてて目を細めてみせた。満ち足りた表情で一瞬溜めると場の空気を支配する。
キラキラ、きらきら、陽の光で輝く彼が一枚の絵のようで、一瞬怒っていたのも忘れて見とれてしまう。ゆっくりと口を開いた彼は耳障りのいい流れるような声で答えた。
「それは、内緒です」
「……」
この場に女の子が居たら、百人中八十人は黄色い悲鳴を上げていたであろう仕草だった。あとの二十人は声すら出さずに多分卒倒してる。
「それではお覚悟を、主様。私は本気ですからね」
ニコニコと満面の笑みで見送られ、私はぎこちない動きで部屋を出た。パタンと扉を閉めたところで頭を抱えてしゃがみ込む。
(何を言ったのアキュイラ様ー!!)
今のルカはブレーキの壊れたスーパーカーみたいなものだ。真っすぐこちら目掛けて突っ込んできて、これまで以上にセクハラ行為をしかけてくる予感しかない。
(なんだってこんな展開に……)
ヨロヨロと立ち上がった私はふらつく足元でその場を離れる。みんなの部屋の前を通りかかった時、いきなりどこからかゴンッと音がした。続いて壁から白い物がにゅっと現れる。
「ぎゃあ!」
「あ、あきらだ」
相変わらずドアを通る事をしない死神は、のけぞった私の傍にトンッと降り立つ。同時にグリの部屋のドアがひとりでに開いた。ユーレイの仕業かと思ったけど視線を下ろすと何てことはない、手首ちゃんが出てくるところだった。ひょこひょこと動きが少しおかしい彼女は、怒ったようにグリの足首を叩いている。
「ごめん、エーリカがすり抜けられないの忘れてた」
どうやら肩に乗っていた彼女の存在を忘れ、死神式に出てきたらしい。なるほど、さっきの痛そうな音は手首ちゃんが壁にぶつかった音か。なんというか、この人も出会った時から変わらないなぁ。
「魔力の流れの調整をしてたの?」
苦笑しながら尋ねると、グリはこくりと頷いた。
「だいたい終わったよ。これからはあきらが保有している膨大な魔力を少しずつこっちに流すことにするからね。今までの流れを逆にするだけだけど」
――以前ご主人様に頂いたブローチを媒介に使う事にしました
どこからか筆談メモが飛んできて私の前に浮かび上がる。確かに、手首ちゃんのハンカチ留めに使われている房ぶどうのブローチが淡く輝いていた。
――こうしてまたご主人様にお仕えすることができて、わたくしは幸せです
羽根ペンがサラサラと気持ちを綴っていく。休眠状態だった彼女が再び動き出した時の事を思い出して、私は何度目になるか分からない喜びをかみしめた。スカートを折り込みながらしゃがみ、手を差し出す。
「こっちこそ嬉しいよ。これからもよろしくね、手首ちゃん」
ぴょっ!と、飛びついてきた彼女が興奮したように上下に揺れる。最後に一度ぎゅっと握ると、彼女は床に降り立った。
――それではこれにて失礼。眠っていた間のお掃除が溜まっていますので!
敬礼でもするように姿勢(?)を正した彼女が、足取り軽くサササーッと駆けていく。私はそれを微笑ましい気持ちで見送った。
「……さてと、それじゃあ次はこっちの処理だね」
だがそれも一陣の風が吹くまでだった。鎌の刃がピタリと喉に狙いを定めているのに気づいた瞬間、背中から冷たい汗がドッと噴き出すのを感じる。私はぎこちなく笑いながら背後のグリを振り仰いだ。
「ど、どうしたの? 何の話?」
そこにある銀の眼差しは鋭利な刃のように鋭く、触れたら切れてしまいそうな光を宿していた。彼は剣呑な雰囲気を隠そうともせず、厳しい口調のまま続ける。
「とぼけるな、魂の形が見える俺をごまかせるとでも思ったか。だとしたら相当見くびられたものだな」
普段あれだけ『のほほん』としたグリが完全にブチ切れていた。激おこモードな死神様に私は恐れを抱いて何も言えなくなってしまう。でも『彼』は違った。
『あらー、やっぱりぃ?』
「ルシャ」
『ま、どの道アンタにはバレちゃうと思ってたけどね』
自分の口が勝手に開き、誰かの言葉を紡ぐ。そんな傍から見たらひとり芝居状態の私を見て、グリは不愉快そうに鼻に皺を寄せた。
「なに、ルシャなんて愛称付けてるの」
「だって、本人がもうルシアンじゃないって言い張るから」
そう、ここまで来ればもう分かるだろうが、私の中には『彼』が居た。魔力高炉に自ら落ち、ハーツイーズを焦土にしようとした張本人ルシアンが。
どうやらルシアンを元にした魔力を取り込んだことにより、今この身体には二つの魂が共存する状態になっているらしい。
普通なら他人の身体に別の魂が入り込むなんてあり得ない話らしいんだけど、私の身体は魔導人形――本来、魂を取り込むのが目的の器であったため、特に拒絶反応もなく収まってしまった。
意図しない筋肉の動きが頭の後ろで手を組み、口の端を吊り上げさせる。飛び出た言葉は、私の声なのにどこか面白そうな響きを含んでいた。
『そっ、オレはもう人という醜い器から抜け出したわけー。言うなれば魔王の子飼い悪魔ルシャ様? なんちゃってー』
パッと手を離した私は、今度は身体のラインをなぞり上げるように自分を掻き抱く。
『これからはいつでも一心同体。アキラちゃんの魂とぴったり寄り添っていかなきゃダメみ・た・い』
鎌を構えたグリの顔が、そんな表情ができたのかってぐらい歪んでいく。明日、表情筋が筋肉痛になるんじゃないだろうか。
「あきら、動かないで。今すぐそいつを切り離すから」
「えっ、ちょっ」
まじトーンで上段に振りかぶる死神に青ざめる。なだめようとした私の口は煽りの言葉を吐き出した。
『やれるもんならやってみろ! ちょっとでも手元が狂えば道連れだ、ハッハー!』
「うわぁあぁぁ!」