187.見守ってるよ
あれから少しだけ季節は流れ、ハーツイーズは冬の足音がすぐそこまで聞こえ始めていた。早朝はうっすらと霜が降り、布団から身を起こした者が昨日よりも中に一枚多く着ようと考えるのだ。
「だからそこは傾斜をつけて組まないと、後から上手く嵌まらないよーっ」
街の外の飛行場建設地にライムの声が響く。耳たれ帽子をかぶった彼の隣で、ステラが真似するようにピィピィと同じだけ鳴いた。建設員も含めてその場にいた全員がドッと笑う。
「あははっ、ほらステラも早くってさ。本格的に寒くなる前に骨組みだけでも終わらせちゃうよ!」
おーっと返事が上がり、再び作業が再開される。私は空中でそっと微笑み街の方へと引き返す。空をスーッと飛んでいると賑わいを取り戻し始めたハーツイーズの様子があちこちで見えてきた。
城門では抱き合って涙を流しながら喜び合う一家が居る。魔族諸島に避難していた家族が朝一で帰ってきたのだろう。
街中では、朝の開店準備を終えたパン屋の主人が看板を出している。隣の肉屋と目が合うとクイッと盃を傾けるジェスチャーを取った。仕事終わりに一杯行こうと秘密の合図だったらしいが、後ろから出てきた奥さんに睨まれてビクリと肩をすくませた。
その前の通りを、すっかり厚着になった子供たちが笑いながら坂道を駆け下りていく。毛をフサフサに生やした種族の子は、みんなから暖を求めて抱き着かれてはキャアキャアと楽しそうな声を上げていた。
日常が少しずつ戻り始めている。半透明の私はそんな光景を見下ろしながら、これでよかったのだと小さく呟いた。ふわっと急上昇をかけて城の執務室目掛けて一気に飛んでいく。
窓を透過して中に入ると、デスクに腰掛けたルカが書類の山に埋もれていた。その山の中から二枚引き抜いたかと思うと一瞥し、片方に何かを記入して左の山に積み重ねる。動いた拍子に肘が当たったのか、重ねていた何かの資料がバサバサと床に落ちた。一瞬顔をしかめた彼は苛立ちを抑えるように息を吐いた後、目頭を押さえた。
「……主様」
つぶやくように落とした声は、失ったものを尊ぶような響きだった。そのままの姿勢で俯いたルカは言葉を続ける。
「あなたはこうしている今もどこかで見守っているのでしょうね、こちらからの声も伝わっていますか?」
うんうん、聞こえてるよ。私は遠いお空の彼方から見守ってるからね。
ここでギロリと視線を上げた吸血鬼は、急に怖い声でドスを効かせた。
「ならば言わせて頂きましょう。サボるのもいい加減にして下さい、全部分かっているんですよ」
無い身体を強ばらせた私はしばし考えた後、すぅっと降りて彼の顔の前で手を振ってみた。……えーと、バレてる?
「貴女の事ですから『バレてる?』とか言いましたね? バレバレです、何を遊んでいるのですか、戴冠式はもう間近に迫っているのですよ」
しまった、これは完全に見透かされている。素直に自室に戻った私は、今度は生身で苦笑いを浮かべながらドアを開けた。
「あはは……ルカってエスパーなの?」
「まったく、妙な技を身に着けましたね」
ようやく戻ってきた宰相は、呆れたようにこちらをにらみ付けていた。
あの時、お城のてっぺんから撃ち出された私は、あちこちに魔力を巻き散らかしながらダイナミック帰国を果たした。勢いをなんとか削いで、街外れのわーむ君の畑に軟着陸したのだ。
気を失って泥に埋もれているところを、慌てて追ってきた幹部たちに発見されたらしい。まるで土から生えてきた芋みたいだったと言ったグリは一発はたいておいた。
「しかし、あの時は本当にギリギリのところでしたね。魔力過多でしばらく肉体が安定していませんでしたし」
そうそう、何が起きたんだかわかんなくて、ようやく意識がはっきりしてきたのは二日ほど経ってからの事だった。
グラスいっぱいに注いだ魔力の上にちょこんと小舟に載せた魂がゆ~らゆ~らしてるような感覚と言えば伝わるだろうか。取り込んだ魔力と肉体がなじむまで高熱に浮かされっぱなしで、ベッドの上でうめいていた記憶しかない。
だからこそ、めんどくさい後処理はみんなルカに押し付けることが出来――おっと、任せっきりになってしまったのだ。
まず魔焦鏡。今まで国民に隠されていた存在を、リヒター王は認めて正式に公表した。
だが、当の兵器は色々とイレギュラーなことをして内部が狂ってしまったのか、うんともすんとも反応しない状態らしい。
直すにしても伝説のアーティファクトなだけあって修復は絶望的だとの見方が各紙面ではされている。
いずれにせよ、当面の間はガラクタだ。監査と修復のアドバイスとしてライムが月一で訪れることになっている。
もし修理が成功しても、こちらの許可がなければ起動できないようプロテクトをかけるつもりだ。そうすれば二度と悪用されることは無いだろう。
次に、今回の騒動で亡くなってしまった人へのフォロー。
最後に私がヤケクソ治療を施したとはいえ、犠牲者をゼロにはできなかった。
騎士や自警団、他にも有志で戦ってくれた民間人も……やはりどうしてもハーツイーズ側の犠牲が多かった。
家族への補償などはそれぞれの国が引き受けることになり、国葬は合同で行った。
失われた尊い命を思いながらレーテ川に花を手向けた記憶は新しい。いずれ慰霊碑を建てようかという話も上がっている。
そしてサイード。今回の首謀者である彼女は、いずれ両方の国で裁判を受けることになる。
現在は塔に幽閉されていて大人しいけど、誰とも口をきかずに沈黙を貫いているらしい。
ハーツイーズに今のところ死刑はなく、そしてメルスランド側では王族に限り死刑は適用されないルールがある。
これだけの事をして終身刑では、いずれ世間から不満が上がって来るのではないだろうか。
遺族との感情の兼ね合いもあるし、落としどころが難しくなるだろう。私たち上の立場の裁量が問われる。
なんだかなぁ、物語のハッピーエンドなら、ぜんぶ丸っと解決して後腐れなく終わるんだろうけど、現実は厳しいなぁ。
「聞いていますか主様」
そんな事を考えている間もルカのお説教は続いていたらしい。温度を下げた声に、慌てて考え事をいったん閉じる。
「はいっ、はいっ、聞いてます! 反省してます!」
「まだ完全には安定していないのですよ、そうやって気軽に離脱して戻れなくなったらどうするつもりですか」
ごまかし笑いを浮かべた私は、指の先を合わせながらチラッと見上げた。
「そうは言うけど、どうしても外の様子が気になっちゃって……」
だいぶ良くなってきたとは言え、特別な時以外の外出はまだ禁止されている。それを聞いたルカは、重いため息をついてから何かの資料を手渡してくれた。
「まったく……気持ちは分かりますが、少しはご自愛下さい。それと、頼まれていたルシアンの身元が判明しましたよ」
「!」
「地方貴族の末子だったようです、現在の家長は否定していましたが、過去に何らかの理由があり子供を孤児院に捨てたのでは」
やっぱりそうだったんだ。カサッと送った紙には、インクでそっけない結果だけが綴られている。裏付けを取るために調査を頼んではいたけれど、実は私はこの結果を知っていた。
光に呑まれ、意識が遠くなった後の事を思い出す。
***
静かだった。時間の感覚を失い不思議な気分で白い空間をただよっていた私は、ふと目の前に二つの影が立っていることに気づいた。それを誇らしげに見上げている自分は子供のように小さい。
――頼んだぞ××! お前ならきっと勇者になれる
――ごめんなさいね、孤児から選出すると言う決まりさえなければ、あなたをあんな汚らしい施設に入れる必要もないのに
こちらの肩を叩いて力強く言う父と、ハンカチを手に涙ぐむ母がさぁっと溶けるように消え去る。私は――いや、記憶の中の『オレ』は、幼い声に希望をみなぎらせた。
――任せてよ、きっと勇者になってみせるから。そうしたら『かとく』を継いで兄さんたちを見返してやるんだ。約束だよ
舞台女優だった母の影響もあるのか、演技は得意だった。記憶を失った子供のふりをして震えながら孤児院の門を叩いたのは、雪が降りしきる冬の日だったと記憶している。
最初は順調だった。実家で付けられていた訓練の賜物か、どの分野においても孤児にしておくにはもったいないくらいの神童だと褒めそやされたのだ。院長から勇者間違いなしだとも太鼓判を押された。
だけど転落はあっという間だった、別の孤児院から勇者第一候補が――そう、あのエリックが選出されたと聞いた時、オレは自分の中のアイデンティティがガラガラと崩れ落ちていく音を聞いた。
親の期待を一心に背負っていたのに、約束された道の第一歩目から躓いてしまった。
それ以外の生き方を知らない。
両親からの便りがふつりと途絶えた。
なんて不出来な息子。
出来損ない。
何のために生まれたのか。
存在価値は。
これからどう生きていけばいい。オレは何だ。何になればいい。
呆然と庭の片隅で座り込んでいたある日、孤児院の裏庭に黒い二頭立ての馬車が止まるのが見えた。そこから降りて来た黒服の男たちは、孤児の一人を迎えに来たらしい。院長から引き渡され馬車に乗り込む時に彼女と一瞬だけ目が合う。
揺れる遠浅のような瞳が迷子のようだと思った。あの子も、大人の勝手な都合に振り回されているのだろうか。ぼんやりと、そんなことを思った。
理不尽だ、何もかもがクソだ。世の中不条理であふれてる。両親から見捨てられ、晴れて本当の孤児になったオレは施設を飛び出した。そうして気づけばどこかの路地裏で腐り果てていた。
――いい目をしている。私の手駒になる気はないか?
あぁ、そうだ。そんな時にあの女と出会ったんだ。意気投合したオレらは自分たちをないがしろにした奴らを見返してやると計画を……。
ルシアン? 私はふと思い当たった名前をつぶやく。実際に声に出来ていたかどうかは分からない。ただこの白い世界は彼の存在を強く感じた。
しかしそれも次第に薄れていく。
***
あのエネルギーはルシアンそのものだった。だから吸収した私に彼の記憶が垣間見えたのではないだろうか。
ぼんやりしていると、ルカが冷静に提案をしてきた。
「何ならその貴族に責任を追及することもできますが」
『いいよ、今さらあんな家、関係ないし』
「?」
無意識の内に出てしまった言葉にパッと口をふさぐ。不審そうな顔をする右腕に向け、私はあわてて弁解した。
「あっ、いやっ! ルシアンが生きてたらそう言うんじゃないかって思うだけ! それより戴冠式のことだけど」
そうそう、暗い話題ばかりじゃなく、明るい話もしなきゃね!
豊穣祭からの約束だった王冠をようやくリヒター王から贈られることになったのだ。これで私は国外から正式にハーツイーズの国王として認められる。
「みんなからのリクエストもあったし、式の後にダンスパーティーやろっか」