表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
197/214

181.地下牢の断罪

 半開きになっていた牢の扉を開け中に飛び込む。ぐったりとする身体を抱え起こした私は、彼の変化に驚いた。


 いつ、どの角度から見ても完璧だった吸血鬼は、無事に見えるところがないくらいボロボロになっていた。白かったシャツは泥と血で汚れ、ボタンがほとんど飛び白い胸元がはだけて見えている。うつむき加減の目は晴れ空のような青から本来の赤へと戻り、尖った耳先が金髪の隙間から覗いていた。目くらましの術を維持できないほどに消耗しているんだ……。


「なぜ……来たのですか」


 ひどく陰鬱な声が、その口元から零れ落ちる。私が答える前にルカは続けた。


「私があなたを騙していたことは既にご存知でしょう。心配しなくとも魔焦鏡の火種になんかなってやりませんよ。魔力の流れを逆流させ、壊してやる算段も付けているところでして――」

「自分の身を犠牲にして?」


 グリの冷ややかな声に、自嘲するような笑みを浮かべていた口角が落ちていく。しばらくして聞こえてきたのは、これまで聞いたことがないほど弱々しい声だった。


「あなたをアキュイラ化する計画はとうに断念しています……。私が罪滅ぼしで最期に出来るのはこのくらいですから」


 憂いを帯びた瞳は、ずっと地面を見続けている。くっと唇を噛みしめた私は、その正面に回り込んでみた。膝立ちになり真正面から覗き込むも彼は顔を上げない。


 ルカ。頼んでも居ないのに他人ひとの魂を勝手に複製し、私欲の為だけに私を騙していた男。


 ふーっと鼻から息を吐いた私は、覚悟を決めて左手を上げた。ぺチンと頬を叩き、のろのろとこちらを見上げたルカの顔を今度は両手で挟み込む。強制的に視線を合わせるとルカの顔が強ばった。何を言われるのかと恐れている。


 この暗い地下牢の底では、上での喧噪が嘘のように静かだった。私はゆっくりと口を開く。


「私、ここに来るまでにすごく迷っていたの。全部流して無かったことにしようかとも思った、仲間だから」


 もう断罪されてしまいたいと言う想いが、すがるような瞳から伝わって来る。私はそれをまっすぐに見返したまま、最終的な判断を告げた。


「でも私、やっぱりあなたの事は赦せない」


 一瞬目を見開いたルカは、どこか安堵したように哀し気な笑みを浮かべてみせた。その口が開いて何か言う前に、私は被せるようにハッキリと言葉を次いでやった。


「赦せないから、これから一生かけて償って」

「は」

「死ぬことは許しません。これからはハーツイーズ国のために生きなさい、リュカリウス」


 反響もしない声はすぐ地下牢に溶け込んでいく。松明のヂヂ……という音が耳になじむ程の時間が流れた。


「……」

「……」


 ポカンと、魂を抜かれたように静止していたルカがこちらの手をゆっくりと外して俯いたのはしばらくしてからの事だった。次第にその肩が震え出し、クククと噛み殺すような声が聞こえてくる。


「えっと、ルカ?」


 私の心配そうな声がきっかけになったのか、片手で顔を覆った彼は今度は天井を仰いで爆発するような笑いを上げ始めた。狂ってしまったんじゃないかと思うほど笑い続けている。困惑して振り返ると、少し離れたところで見守っていたグリも予想外だったのか瞬きを繰りかえしている。


「わっ!?」


 そちらに意識を取られていたのがまずかった。いきなり腰を引き寄せられた私は、何の抵抗もなく目の前の体にすっぽり収まってしまう。慌てて顔を上げると艶やかに微笑むルカの顔がすぐ間近にあった。こんな状況下にあっても人外特有の美しさは健在で、至近距離に鼓動が跳ねる。


「かしこまりました我が主アキラ様。お気に召すまま、わたくしめを心行くまで存分に使役して下さいますよう、これからもよろしくお願い申し上げます」

「えっ、名前――」


 初めて呼ばれた、なんて思う間もなく、しなやかな指先でうなじから肩にかけてスルリと撫でおろされる。


「っ!?」

「そうとなれば、こんな湿っぽい場所からは早々に出るに限りますね」

「ちょっ」


 圧し掛かられるように体重を感じ、反射的に押し返そうと手を突いた瞬間、顔を埋められた首筋に何かがプツッと突き刺さった。


「ひっ!?」


 痛みはほとんどなく、彼が口をつけている箇所から私の中の『何か』が吸い取られていくような奇妙な感覚が走る。助けを求めてグリの方に涙目で手を伸ばすも、ため息をついた死神様はやれやれと言った感じで目を逸らすだけだった。


 時間にして三十秒も経っていないだろう、吸血を終えたルカは最後に傷口をペロっと舐め上げると舌なめずりをしながら立ち上がった。


「あなた様の血は、肉は、魂は、我々にとって至極のご馳走。出会いの場で言いましたよね?」


 さっきまであんなにヘタれていたくせに急に活き活きとし始めて、その全身が暗い地下牢で淡く光り輝いているようにさえ見える。私は腰が抜けてしまって、首筋を押さえたまま見上げる事しかできない。声にならない声が自分の口からうめき声となって出て来る。


 優雅に腰を折り曲げたルカは、芝居がかった仕草でこちらに手を差し伸べた。


「それでは参りましょうか。主様マイロード



 そこからのルカはすさまじかった。地下牢を出たところで異変を感じ取った騎士たちが大挙して押し寄せてきたのだけど、颯爽と歩く吸血鬼の姿を目にした瞬間、片っ端からビクビクと痙攣しながら床に崩れていく。


「エグい。ここまで本気の魅了って初めて見た」


 その後ろをグリと並んでついていく。死神様の言うとおり今のルカは自重なしの全力フルスロットル状態だった。正面から直視していない私たちでもなんていうか、こう……微妙にムラムラしてくるというか、むずがゆい気分になってくる。直撃している騎士さんたちはきっと洗脳が上書きされちゃうぐらい悩殺されているに違いない。


「他愛のないものですね、他の皆はどこに?」


 髪をかき上げながら言うんもんだから、またもフェロモンがぶわわわと流れ出る。歩く十八禁だよもう!!


「ラ、ラスプはドク先生と一緒にリヒター王のところ。ライムと勇者様は魔焦鏡に一足先に行って貰ってる」

「ふむ」


 直視しないよう顔を背けながら言うと、聡明な右腕はそれだけで大体の状況を察してくれたらしい。少しだけ魅了の技を緩めてくれながら考えを述べた。


「魔焦鏡の火種第一候補は私でしたが、こうして逃げ出しました。当然、敵はこういった事態に備え予備の火種となる人物、あるいは物を用意していると思われます」

「それってもしかして……リヒター王とか?」


 嫌な予感がしたのだけど、それは横を走るグリが否定した。


「いいや、王様の魔力はごく平均的な一般レベルだった。それよりもっと扱いやすくて強力な火種をサイードは持っている」

「?」

「お忘れですか? 奴が我々から盗み出した物があるでしょう」


 そこまで言われてようやくピンと来た。


 ――何者かに会場内の魔力のすべてを吸収されてしまったようです。


 豊穣祭の日、劇場の設備魔力がごっそり取られてしまった件だ。忘れてた、サイードがそれをここまで隠し持っていたのだとしたら……!


「急ぎましょう。貸しておいた物はきっちり利子を付けて返して貰わねばなりませんからね」


 走りながら懐中時計の蓋を開ける。十一時四十五分。パチンと蓋を閉じた私は上層部を目指して足元を蹴った。



 ***



 途中、一人で走っていたラスプと合流し私たちは最終決戦場へと向かう。走りながらそちらの状況を簡潔に報告してもらう。


 リヒター王は生きていた。と言うよりかろうじて死んでないという方が正しいらしい。


 自室の近くの塔の中に幽閉されていて、なんと、そこには事態のわかっていないボリス王、そして元老院の皆さまも数日前からまとめて放り込まれているのだとか。全員だいぶ衰弱していたので、今はドク先生の治療を受けている。動けるようなら後から来てくれるそうだ。


 その報告を終えたラスプが、一呼吸置いて隣を走るルカに向かって嚙みつき始めた。


「それにしてもルカ、お前あとで一発ブン殴るからな!」

「はて、バカ犬に殴られるようなことを私は何かしたでしょうか。ねぇ主様?」

「っかぁー! その態度マジで変わんねぇ! 胸に手をあてて考えてみやがれッ」

「不思議ですね、妙に清々しい気分でいっぱいです。それもこれも主様がわたくしにして下さった『愛』のチカラが――」

「おいアキラ! お前、地下牢でこの吸血鬼に何やったんだよ!?」

「二人ともうるさい! 状況わかってんの!?」


 わぁわぁ喚きながら屋上への階段を駆け上がる。メルス城の中でハーツイーズの方角を狙える位置にあり、なおかつ大きな砲台が設置できそうな開けた場所はここしかない!


 勢いよくバタン! と、扉を開ける。


 天高く澄んだ青空に一瞬目が眩む。そこで待ち構えていた光景に私は大きく目を見開いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ