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179.試しの道

 痛いほどの視線を浴びながら、私は通りを進んでいく。圧がすごい、パンパンに張り詰めた風船をあらゆる方向からギュウギュウに押し付けられているみたいだ。


 ふと、パン屋の路地裏が目に入り、そこでラスプに助けられた時のことを思い出した。あの時と同じだ、ここで誰か一人でも空気をつついてしまえば、一気にパニックになって大混乱が起こってしまうだろう。


(怖い……なんで私、こんな無謀なことしてるの?)


 弱気な心が平静を装った仮面の下で叫んでいる。ほら、今にもパッと手を掴まれて……


 冷や汗が頬を伝うのを感じる。手足が震えそうになってしまい、まっすぐ歩くことだけを考える。焦るな、ルカのアドバイスを思い出せ、視線を上げろ、胸を張って堂々と。指先一つまで所作に気をつかって上品に、落ち着いて。


 ルカの事を考えた途端、不思議と心の奥底から勇気が奮い立ってくるのを感じた。きっと今も牢屋に放り込まれている。全てを諦めて俯いているのだろう。


 キュッと口元を引き締め直して視線を上げた、その時だった。人垣をかき分けて一人の男が私の目の前に飛び出して来る。ひっと息を呑む音が自分の口から漏れ出て、往来に緊張が走った。場が凍り付く。


「……」

「……」


 鬼気迫る表情をしたその男は、フォーク型の鍬を握りしめ肩を上下させていた。低く構えた体勢のまま、ギラギラと光る目が一心にこちらを見据えている。


 その凶器の切っ先がピクッと動くのを見て、私は反射的にギュっと身構えた。


「っ!」


 せめて頭と心臓はガードを――!!


 ところが、いつまで経っても痛みは来ない。ガランガランと何かを取り落としたような音が響いて、おそるおそる目を開ける。襲撃者は両手を投げ出すようにして地に座り込んでいた。


「魔王よ、すまねぇ! 俺はあの時のことをどうしても謝りたかったんだ!!」


 クシャクシャに泣き出しそうな顔をした男は、ほとんど叫ぶようにして言う。私はポカンとして彼の顔をじっと見ることしかできない。短い茶髪を刈り込んだ四十代くらいの男性だ。なんだか見覚えがあるような?


「あ」


 あの人だ、ウチが建国して間もない頃、井戸に汚水を巻き散らかして食中毒事件を引き起こしたメルスランドの農夫。勝手に逆恨みして、見つかって情けなく逃げ出していった。


 涙をにじませた農夫は、シャツの袖で汗を拭いながらしどろもどろに喋り出す。


「俺、逃げ帰ってからアンタらの野菜を食べたんだ。どうせ付け焼き刃な作物だから難癖つけてやろうって。……悔しいけど完敗だった。俺あんな美味いトヌトを喰ったのは初めてだったよ。世の中にこんな愛情の詰まった野菜があるのかと」


 その時のことを思い出したのか、自分の両手を見つめながら農夫はわなわなと震え滂沱のごとく涙を流す。


「急に自分がしたことが恥ずかしくなって、それからは心を入れ替えて農業に打ち込み始めたんだ。まだまだ満足いくようなレベルにはなってねぇけど、俺をそんな気持ちにさせてくれた魔王さんには感謝しかねぇ! 許して貰えるとは思ってない。だがこれだけは伝えたかったんだ!」


 ゴッと頭を通りのレンガに打ち付けた農夫は、大通り全部に響き渡るぐらいの大声で叫んだ。


「本当に! すまなかった!!」


 密かにポケットの中で護身用魔導球を握りしめていた私はそれをそっと放し、体の前できちんと手を重ねる。考えろあきら、この降って湧いたチャンスを確実に掴むためには――


「過去の……自らの過ちを素直に認めるというのは、誰にでも出来ることではないと思います」


 本当は怒鳴りつけてやりたかった、あなたのせいでうちの国民一人が死んだのだと。でも今さらそれを持ち出したところで何になるんだろう。責めたところでそのお年寄りが生き返るわけでもなし。なら、その尊い犠牲をせめて最大限利用するのが上に立つ者としての務めではないだろうか。


 ふっと息を吐くと猛りかけていた感情はゆるやかにほどけて行った。そして自然に出てきた私の表情は、穏やかな微笑みだった。


「自分を正しく見つめなおすことができる。それができるあなたは素晴らしい人です。顔を上げて下さい、これからもウチの国と切磋琢磨してくださいね」


 バッと涙目で顔を上げる農夫の横をすり抜ける。もう怖くなかった。無事、目的の広場まで通り抜けた私は振り返って群衆を見渡す。胸に手を当てるとお腹から声を出した。


「ありがとう! あなたがたのこの選択が間違っていないことを、私は絶対に証明してみせます!」


 彼らの戸惑いや疑いしかなかった目の色が少しだけ変わった、魔王と呼ばれたこの女性を信じてもいいのかと。それでもまだ決定打が足りない、あと少しでいい、きっかけになる一押しを何か――


 その時、ライムたちが突撃していたはずの大門がワッと沸き立つ。皆がそちらを振り返ると、あれだけ強固だった門が開かれ、馬に乗った勇者が入って来るところだった。魔族の残りをぞろぞろと引き連れたエリック様は、腰に佩いた聖剣をスラリと抜いて天に掲げる。切っ先が太陽の光を反射してキラリと輝いた。


「みんな! 私は帰ってきたぞ! そこに居る魔王殿は私の命の恩人だ!!」


 勇者エリックの帰還に、市民たちは一瞬呆けたような顔をしていた。だけど次の瞬間、そこに居るのが誰なのか理解したのか一斉に歓声を上げた。エリック様! エリック様だ! 声は伝染して町中に広がっていく。


 最高のタイミングでやってきてくれた彼は、通りを抜けてこちらにやってくる。私の決死のデモンストレーションのおかげもあってか、その存在を疑う者は一人として居なかった。町全体が沸き立ち、最後まで疑っていた者も雰囲気に流され涙を流して喜び始める。


 馬を降りた彼が私の隣に立つ。しっかりと手を握り肩に手を置かれたところを、すかさず人垣の中から現れたリカルドが撮影した。フラッシュが盛大に焚かれてちょっとまぶしい。


「魔王殿の正当性はこのエリック・グロウリアが保証しよう! 真の敵は私を蹴落とし勇者の地位に納まっているルシアン、及び背後で糸を引いているサイードである。リヒター王に対して謀反を起こしたサイードがこの国の実権を握ろうとしているのだ!」


 お、おぉ、かなり強気だけど確かに今がチャンスだ。このボーナスタイムに勇者様が言った言葉はストレートに市民の中に届くだろう。全部本当のことだし、勢いに乗せて全部言ってしまった方が真実味が出る。


「奴らは、その真実を知る隣国ハーツイーズをアーティファクト『魔焦鏡』にて草の根一本も残らぬほど焼き払おうとしている!」


 国家機密だった兵器の存在をエリック様はあっさりと市民に向けてばらす。いいぞいいぞー!


 再び聖剣を抜いた勇者は、それを天に掲げる。


「立ち上がれ諸君、今が人類の歴史に汚点を残すかの瀬戸際だ。これまでの過ちを正しい方に導けるかどうかは君たちの手にかかっている! 時間がない、これから私たちは城に進入する! 皆、協力してくれ!」


 地割れが起きそうなほどの呼応がビリビリと空気を揺らす。すご……さすが勇者様、私の比じゃないくらいのカリスマ性だ。


 自然と人垣が割れ、メルスランド城までの道が開けられる。エリック様に先導されるままにその道を進むと、両脇からひっきりなしに話しかけられた。


「頼んだよぉ、魔王様」

「ねぇ、そちらの国にいるゴブリンさんは無事なの? 以前そちらに伺った際に本当に親切にしてもらって……」

「またおたくの特産品が食べたいんだよ、この半年間、人間側も本当にいい雰囲気になっていった。実のところ、みんな仲良くしたいんだ」


 一つ一つに返している時間はないので、私は毅然とした表情のまま力強く頷き返すだけにとどめる。と、いつの間にか近くまで来ていた幹部たちが横に並んだ。


「アキラ! お前なぁ、どれだけムチャなことする気だ!」

「今に始まったことじゃないけどね、あきらの無鉄砲さは最初から変わらないよ」

「でもボクの護身球をちゃんと持ってたんでしょ? ヘーキヘーキ」


 心強い。みんなが傍に居てくれる。私はいつだってみんなに支えられてきた、だから今度は私がみんなに恩返しする番だ。


「女性や子供は決して家から出ずに居ること。騎士団は皆が不安にならぬよう街角に立って待機!」

「ハッ!」


 エリック様もテキパキ指示を出している。見上げるほど大きな城の手前まで来た私は、敵が居るであろう上層をキッと見上げる。拳を握りしめると合図を出した。


「みんな、行こう!」

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