177.レーテ川・国境戦
私の声は一度響き渡った後、ゴウゴウと流れる川の濁流の合間に消えていった。
対岸には横一列にズラリと並んだ騎士たちが見える。彼らは戸惑いながら顔を見合わせていた。やがてその中から壮年の男性が進み出て来る。灰色のアゴひげを丁寧に刈り込んだその人は朗々とした声を張り上げた。
「私がこの駐屯地を預かっている者だ! 魔王アキラ殿とお見受けする、用件を聞こう!」
「書簡を飛ばしても応答が無かったので口頭にて失礼します。ボリス王に謁見を願いたい、お取次ぎ願えますか!」
話し合いで解決できるのならそれに越したことはない。情報部隊の流したウワサが騎士団内にも蔓延していれば良いのだけど――
「それは、魔族側の全面降伏と捉えて問題ないか!?」
あちゃあ、この分だと難しそうだ。思わずヘンな顔になりそうなところを引き締めて私は反論する。
「もちろん違います! 無実の罪を着せられたことに対する抗議の申し入れです。根拠のない一方的な決めつけによりハーツイーズは名誉を傷つけられました。その誤解を解きたいのです!」
私が合図を出すと、白いローブを着込んだ軍団の中から一人が進み出てきて隣に立つ。その人物がフードを引き下ろすと騎士団からどよめきの声が上がった。
「ご覧の通り、我らは勇者エリックを手にかけてなどいません!」
「メルスランド騎士団、全団員に告ぐ! 私はこの通り生きている!」
力強く胸に手を当てたエリック様はそう宣言する。若草色の瞳をまっすぐ前に向けた彼は続けた。
「とある人物にはめられ、死にそうになったところをアキラ魔王の手によって一命を取り留めた! 裏もきちんととれている。真実を知った上でこの恩義を返さずにいることこそ騎士の名折れ。彼女を王城まで送り届けるのに協力して欲しい! まずは話を聞いてくれ!」
しかし反応は芳しくなかった。先ほど応答した責任者さんが疑わし気な視線のまま切り出す。
「……あなたが魔王の手によって蘇生されたアンデッドでないとどう証明できます? もしかしたらあなたはエリック隊長の死体を使った魔王の手下かもしれない。仮に本人だとしても洗脳されていないと言う証拠がどこに?」
「部隊長!」
そりゃそうだ、怪しすぎるもの。もし私が部隊長の立場だったとしても同じことを言うだろう。それでも信じていた部下に拒否されたのがショックだったのか、勇者は悲しそうに押し黙った。そこに部隊長は追い打ちをかける。
「元隊長のあなたには恩義がある。その美しかったイメージを損なわせないで欲しい。残念ながら、今の私たちにとって『勇者』の称号を持つ者は、ルシアン隊長なのです」
やっぱりこうなったか……。一つため息をついた私は絶句する勇者を置いて進み出る。
「話し合いは決裂のようですね。残念です」
「動くな! その橋を渡り切ったところでわが国への侵入と見なし捕らえる!」
警告を無視して私はズンズン進む。その時、背後の関所から合図の銅鑼が鳴った。間隔を空けて二回……三回。よし。
ジャキと武器を構える騎士団に対して、こちら側も進軍を始める。私の後を追いかけてくるように背後の集団が少しずつ勢いを増して動き始める。
「来るな!」
ニヤリと笑った私は先陣を切るように駆け出した。低い体勢のまま駆け抜け橋を渡り切る。驚いた顔の部隊長が聖剣を構え、大きく薙ぎ払いをする予備動作のように腰を落として構える。それもお構いなしに突っ込んだ私は、振り切られた刃の風圧に乗るようにタンッと跳躍した。
「なっ!?」
クルッと宙で一回転した私はそのままあっけに取られた顔をしている部隊長の顔を二度踏みつける。むぎゅうとかヘンな声を出したそいつを踏み台に跳び、騎士団たちが身構える中心に着地した。
なぁ、アキラ。お前ならこんな状況になっても説得を続けようとするんだろうな。知ってるぜ、だって『アタシ』はアンタの思考をトレースする影だから。
「貴様……魔王ではないな!?」
ククッと笑って白いマントと黒いカツラをかなぐり捨てる。使い慣れたダガーを腰から外したアタシは不敵に笑って身構えた。
「残念、アタシは一言もアキラだなんて名乗った覚えはないぜ」
「部隊長! カイベルクに向けて何らかの集団が全力で疾走しているとの情報が!」
「何ィ!?」
部隊長は鼻血を出しながら顔面を抑えている。アタシはそれを横目に昨晩のことを思い返していた。
『あぁ? アタシにまた魔王役を演じろっていうのか!?』
集会が終わった後、密かにアキラの自室に呼び出されたアタシを待っていたのはとんでもない大役の依頼だった。真剣な顔をした魔王はコクリと頷く。
『みんなの前ではあぁ言ったけど、正直なところ一秒でも時間は惜しい。あなたが敵の防衛ラインを国境側に引きつけている間に私は脇をすり抜けて引き離したいの』
確かに、聞いた話じゃドでかい魔砲がお昼ちょうどにこちらに撃ち込まれるらしい。国境でグズグズしている時間は無いのかもしれない。だけどこちらの隊と合流しないとなるとアキラには大きな危険が伴う事になる。いくらあの犬や死神が付いていくとしてもそれは……。
承諾しても良いものかと考えていると、アキラはこちらの手を握り込んで懇願してきた。
『あなたにしか頼めないことなの、お願い』
しばらくじっとその表情を見つめていたアタシは、ふっと口の端を吊り上げる。
『わかったよ、アキラがそう決めたのなら、協力する』
ふわりと、ほころぶような笑みをアキラは浮かべる。不思議なことに、その目を見つめていると心の中心がグゥーッと暖かくなるような感覚がした。ハッとした時にはもう遅く、胸元にかけていたアーティファクトがピンク色の光を宿してしまった。空中に光が収束しポンッと一輪の花が出現する。
『えっ、なになに? 何の花!?』
『だああっ、うるさい! 誤作動!』
目にも止まらぬ速さでシュパッと掴み、慌てて服の内ポケットに突っ込む。ゆ、油断した。まさかアキラ相手に花を出してしまうとは。初対面の時はあんなに憎かったのに。
『……』
そうだ、最初はコイツを暗殺しようと乗り込んできたんだっけ。アキュイラ様の名を騙る太ぇヤツだと。それがいつの間にか、こんなにも存在が大きくなっていた。
『わっ』
アキラの手を掴んで引き寄せる。アタシらリュンクス族とは違う骨格、柔らかいニンゲンの身体、だけど今は少しも弱いだなんて感じない。もしかしたらこれが最後かもしれないと思うと素直な気持ちを口にできた。
『明日、アタシはアキラになる。せいいっぱい演じるから、だから……絶対に死ぬな』
『うん』
『アキュイラ様の後を継げる魔王は、アキラしか居ないんだからな!』
胸ポケットに刺した黄色いゼラニウムの花が揺れている。アタシはアタシに出来る事を!
「アキラたちがたどり着くまで、悪いがここで引き留めさせて貰うぜ!」
自軍が突撃して、レーテ川・国境戦が始まった。自警団の面々を筆頭に先頭の男たちがサスマタを構えて突進していく。慣れない武器とリーチに驚いたのか効果はてきめんだった。騎士たちは戸惑ったように防戦一方だ。
アタシは戦場を駆け抜けながら、苦戦している者の手助けに入った。牢番の部下でもあるトカゲがやられそうになったところで、振りかぶった騎士の剣を背後から叩き落とす。
「こんな芋騎士相手に手間取ってんじゃねぇよ!」
「姐さん!」
即座にトリモチで動けなくなったのを確認して、中央辺りに戻る。エリックが居たので近寄ると、トリモチを構えた勇者は膝をついた部隊長に向けてその先端を向けていた。
「騙すような真似をしてすまない、だが私は己が信じた道を貫くためなら騎士のプライドを捨ててもいい。ハーツイーズのために、何よりメルスランド自国民の為にもそう思ったんだ」
「……」
トリモチが発射され、部隊長は何も言わず地にへばりつく。その表情がどこか安堵しているように見えたのはアタシの気のせいだろうか。
「おい勇者、ここはアタシらに任せてアキラたちの後を追え」
この戦況なら大丈夫と判断したアタシは、センチメンタルな気分に浸っているエリックの背中をバシッと叩く。口を開きかけたのを遮るようにこう続けた。
「ニンゲンの市民に向けての発言にアンタの顔は必要だ! 言い争ってる時間ももったいない、行けっ!」
同じことを二度言わせるなとのプレッシャーをかけると、エリックはキリッとした表情で一度頷いた。
と、その時、乱戦の中から馬を連れた一人の騎士が弱々しくこちらに倒れ込んできた。なんだコイツと思って見ていると、ヘロヘロ騎士は棒読みで喋り出した。
「あぁぁ~、やられちまったぁー。エリックたいちょーお久しぶりです。これで俺も騎士はく奪かなぁ。あぁ馬が、馬が取られてしまう~~」
へぇ、意外と騎士側にも見込みのありそうなヤツがいるんだな。そいつから馬の手綱を受け取ったエリックは、小さくお礼を言うと慣れた動作でひらりと鞍にまたがった。キッと視線を上げると振り返らずに駆けて行く。残されたアタシたちはどちらからともなく目を合わせた。
「まぁ、一応は形式的にな」
「あ、はい」
そこらに居た子ゴブリンからトリモチを借りて発射する。名も知らない騎士くんは仰向けに張り付けられたまま「ぶはぁっ」とヘンな息を吐いた。
「なー猫耳ちゃん、この国あと数時間でどうなっちまうんだろうなぁ」
「次にちゃん付けしたらブッ刺す。そんなん、全部誤解が解けてみんなで宴会してるに決まってんだろ」
「そうかなぁ、そうなるといいなぁ」
アキラなら必ず成し遂げてみせるに決まってるだろ。そうだろ、なぁ。
エリックが走り去った先を見やったアタシは妙な胸騒ぎを感じて眉を寄せる。危機回避能力の高いリュンクス族は、昔から嫌な事にかんする勘だけは妙に鋭いのだ。
(頼んだぞアキラ、お前の夢見た世界をアタシにも信じさせてくれ)
祈りを捧げるなんてガラじゃない。それでもアタシは神とやらにすがりたくなるほどに、クビの後ろの毛が逆立つのを感じていた。