19.私のポリシー
「本当にごめんなさい! 二度とこんなことさせませんからっ」
すっかり日も暮れて薄暗くなってきたころ、ようやく全ての食料を返し終えた私は通りの真ん中で村長さんにひたすら頭を下げていた。少し頭部が寂しいヨボヨボのおじいちゃん村長は、やんわりと私を制止して顔を上げさせる。
「良いんですよ、新しい魔王さん。ワシらはもう覚悟してますゆえ……」
「覚悟?」
全てを諦めきったような表情を浮かべているのは村長さんだけではなかった。村の人たちをよく見てみると、働き手であるはずの男の人たちは足を悪くしたり身体を上手く動かせない人が多いみたいで、あとは力の弱そうな女子供ばかり。みんな疲れきったように肩を落としている。生きる気力がないというか、活力というものがまったく感じられない。
「ご覧の通り、ここに居るのは人間領を様々な理由で追い出されてきた者たちばかり……ここで産まれた若者はある程度成長すると自由を求めてあちらの大陸に渡っていきますが、そのまま帰っては来ません」
そして少ない労働力で細々と暮らしている彼らの食料を、魔族はあっさりと奪っていく。
「夢も希望もありませぬ、朽ち果てていくのを待つばかりです……」
怒る気力も、反抗する力もない弱りきった人たちがそこにいる。貧困に直面することの少ない日本で育った私にとって、彼らの存在は衝撃的だった。
「お気持ちはありがたいのですが、年貢を納めるのは先代の魔王さまとの約束ですので」
半ば押し付けられるような形で食料の入った袋を受け取る。肩を落とした彼らはそれぞれの家へと入っていった。ポツンと取り残された私は、そういえばと振り返る。
「……ライム?」
むくれたように頬を膨らませていた彼は、道端の柵によりかかってそっぽを向いていた。近寄ろうと踏み出すと、キッとこちらをにらんだ少年は噛み付くように言った。
「なんでせっかく貰ったのに返しちゃうのさ! アキュイラ様が最初にこうしろって言ったんじゃないか!」
その剣幕に少しだけひるむ。だけど私はゆっくりと頭を振った。
「ライム、私はアキュイラ様じゃないよ」
「でも……」
泣き出しそうな彼の頭に手をやり、優しく撫でながら諭すように言う。
「ごめんね、でも私のやり方はこうじゃないの。一方的に奪ったら村の人たちが困るでしょ?」
「でも、だって」
どうしても納得がいかないとでも言いたげな彼は、こちらが予想だにしない一言を口にした。
「あいつらニンゲンだよ? どうなったってボク達には関係ないでしょ?」
ぐすぐすと泣きながら言った一言にまた衝撃を受ける。さっき私はネコ君が奴隷にされているのを見て、この世界では一方的に魔族側が虐げられているものだと思っていた。でも違った、魔族だって人間に同じようなことをしている。これはライムの性格が悪いとかそういうことじゃなくて、それが『当然の事』だと認識しているんだ。街で奴隷を無視していた人間側もそれは同じで……
(あぁもう、想像以上に厄介な世界だ)
とりあえず歩み寄る最初の一歩として、私はしゃがみこんでライムと視線を合わせた。
「ありがとね」
「?」
「私にも食べさせてくれようとして、あんなに張り切って食材集めしてたんでしょ?」
綺麗な紺色の瞳からキラキラ涙が零れ落ちる。柔らかい栗色の髪の毛を撫で続けていると、ほとんど聞き取れないくらいの声が少しずつ聞こえ始めた。
「ボク……アキラ様の喜ぶ顔が見たかったんだ。だってアキラ様おいしい物食べるときすごく嬉しそうな顔してたから」
ふっと顔の力を抜いたライムは、目を伏せて謝った。
「でもその事で怒らせちゃったなら、ごめんなさい」
なんて素直で優しい子なんだろう。そこに善悪なんてなくて、きっと彼にとってはこれが一番良いことだと思ったんだ。理由が私の為だったと知り、心の奥がむずがゆいような、ほっこりと温まるような感覚が走る。
「ね、ライム。お願いがあるの」
そう切り出すと彼はパッと目を開けた。まだ泣き濡れる瞳に通りのランプのぼんやりとした光が映りこむ。私がある言付けを頼むと、大きく頷いたライムは元気よく駆け出した。
「わかった! すぐ行ってくるねっ」
手を振りながら見送ると、ずっと後ろで成り行きを見守っていたルカがどこか面白そうな顔つきで横に並んだ。
「これまでの体制を変えてしまうおつもりで? そう簡単な事ではありませんよ」
「わかってるわよ、でもやっぱり一方的に搾取するのは私のポリシーに反する」
「ほう、ポリシー」
そう、これだけは譲れない。私はグッと拳を握り締め、高々と天に突き上げた。
「ゴハンは笑顔じゃないとおいしくない!!」
***
ライムが伝言して戻ってくるのを待たずに、私は村長宅へと駆け込んだ。ドンドンドン! と、扉を叩くと驚いたような顔が出てくる。何事かと目を剥く彼がドアを閉めないようにと押さえながら、私は尋ねた。
「あの、死体ってありますか!」
その後、気味の悪そうな彼の表情を何とか振り払って指差された方向へと向かう。いや違くてだな、自分でもどんな質問だとは思うけど決して死体趣味とかじゃないから。違うから。
悶々と頭の中で弁解していると、村はずれの丘にたどり着く。とっぷり暮れた夜を背景にして雰囲気たっぷりなそこは――
「墓地ですね」
「墓地です」