170.泣けよ
「それは光栄だな。だが君は何となく妹に面影が似ているから、複雑な気分になるな」
「……」
お、おいおいおい。無自覚にバッサリ切り捨てられた私はしばらく固まった後、眼前のベッドに頭から倒れ込み呻いた。
「エリック様……フラグクラッシャーって呼ばれたことありません?」
「ふ、ふらぐ? なんだそれは?」
「あぁもういいです、婚期逃したくないならそこ治した方がいいですよ。それじゃあお大事に……」
告白する以前にフラれたとか、想像以上にきつい。要らんダメージを負った私はよろめきながら退出しようとする。ところが、カーテンに手を掛けたところで引き留められた。
「待ってくれ、こちらからも伝えておきたいことがある」
「なんですか、これ以上やさしさで殴るようなら心の傷害罪でブタ箱にブチ込みますよ」
「君、急にキャラ変わってないか!? そうじゃない、勇者と魔王システムについてだ」
一刻も早くこの場を立ち去りたかった私だけど、聞きなれない単語に足を止める。もう一度ひょいと病室をのぞき込むとエリック様は何か考え事をするように考え込んでいた。
「いや、それは本人から直接聞いた方がいいだろう」
「本人?」
誰のことだろうと問い返す間もなく、彼は説明を進めていく。
「起動システムがこの城のどこかにあるはずだから。こういうマークを見たことがないかい?」
サイドテーブルのメモを引き寄せた勇者は、ある図面を描き出した。丸い円の中に三角を二つ組み合わせた六芒星で、中央をメルスランドのシンボルである聖剣が一直線に貫いている。どこかで見た事があるような……。
「あ」
見かけた場所を思い出した私は思わず声を上げる。一つ頷いたエリック様は後押しをするように力強く言ってくれた。
「行って話を聞くといい。きっと力になってくれるはずだ」
***
とはいえ、私が居ない間の事務処理だ何だとやる事が多く、心当たりのある場所に行けたのは結局夕方になってしまった。
ヘロヘロになりながら屋上菜園への木戸を開けた私は、茜色に染め上げられた世界に出迎えられる。冷たくなり始めた秋風が吹き込んで髪をさらうように通り抜けていった。
「……」
扉枠に手を掛けながらしばしその光景に魅入る。夕焼け色の空はあまりにも色鮮やかで、よく似た真紅の彼の事を思い出してしまう。
一つ頭を振った私は、菜園の真ん中でスカートを巻き込んでしゃがみこんだ。手近な土に触れて状態を確かめると、しばらく面倒を見ることができなかったせいか、実験植物たちはほとんどが萎れ掛けていた。ふと視線を上げると、外壁に立てかけられたシャベルが二本目に入る。
不器用な理由をつけては手伝ってくれたことも、収穫できた野菜を一緒に味見してレシピを考えた時間も、今となってはもう帰らない。
――もうお前を好きな事は隠さないけど、待つから。
――だから、それまでは好きでいてもいいか
この屋上で言ってくれたんだ。……待ってて、くれるのかな。私がいつかシワくちゃのおばあちゃんになっちゃったとしても、あるいはもっと早く、例えば三日後に処刑されたとしたら、向こう側で彼に会えるのかな。
(いつか会えた時、胸を張って「頑張ったよ」って言えるように、今は全力で進もう)
心の内でそっと呟いた私は外壁に寄り、乗り出すようにして塀の下をあちこち探し始めた。エリック様が教えてくれた謎のマーク。あれを見かけたのは城の外装を塗り直そうとした時の事だ。上からペンキを流した時に見かけた覚えがある。その時は誰かのラクガキかと気に留めなかったんだけど……
(あった!)
幸いな事に目的の物は一分もかからず見つけることができた。屋上へ出る木戸から見て十時の方角。乗り出すと左斜め下に黒っぽい紋章が見て取れる。言われなければ見逃してしまいそうなほど小さな物だ。
(うーん、ちょっと遠い。あ、でもそこのでっぱりに飛び移ればちょうど目の高さぐらいの位置になるかも。よし、このまま乗り越えて)
よく見ようと乗り出したその瞬間だった。手をついていた塀がガラリと崩れ落ち嫌な浮遊感が全身を襲う。
「えっ」
気づいた時にはもう、バランスを崩した私は前のめりに宙に飛び出していた。
「――」
落ちてる。私、落ちてる。スローモーションみたいに全てがゆっくり動いている。視界がぐるりと前転した。頭上の鮮やかな夕焼け空が一瞬網膜に焼き付いて、
落ちて、
落ちて、
「!」
とつぜん、肩がすっぽぬけてしまいそうな衝撃が走り、私の体は空中でガクンと止まった。時間が等倍に戻りガレキたちがバラバラと下に落ちていく。何が起きたんだか分からずただ目を白黒することしかできない。そんな状態の私の耳に、その声は届いた。
「お前ってさ、どうしていつも落ちそうになってるわけ?」
からかうような、どこか笑いを含んだ声が私の心臓を殴りつけた。
魔王である私を偉そうに「お前」だなんて呼ぶ人を、私は一人しか知らない。それでも期待してしまうことが怖くて、顔を上げる事ができない。
うそだ、そんなわけない、きっと都合のいいように耳が解釈してるだけ。……でも、手首をしっかりと掴んでいる大きくて骨っぽい手は、手は
グンッと一気に引き上げられる感覚がしてギュっと目を閉じる。つま先が固い地面に触れた瞬間、私の身体は誰かにしっかりと抱きしめられていた。
おそるおそる目を開ける。目の前の、茜色の空に溶け込むようなその男は――
「……ラスプ?」
赤い世界の中でもひときわ鮮やかな紅色の瞳が、こちらを愛おしそうに見つめていた。どれだけそうしていたのかは分からない。気が付けば私は足の力が抜けてしまい、ヘナヘナと座り込んでしまった。
「お、おい」
もしかして、エリック様が言ってた『システム』ってこれのこと? 本人から聞いてこいって、死んだ人の記憶を蘇らせるって話?
「おーい?」
焦ったようにしゃがんで目線を合わせてきたシステムさんは目の前でひらひらと手をふる。耳の先からしっぽの先までそっくりすぎて、都合のいい幻想を信じてしまいそうになる。しっかりしろあきら、ラスプの生存はどう考えても絶望的だったはず。
「……」
「なぁ、もう少し喜んでくれるかと思ってたんだが。オレの思い違いか?」
困ったように頭をかくその仕草までそっくりすぎて、次第にやるせなさと怒りがこみ上げて来た。キッとにらみつけながら震える声で言う。
「ひ、ひどい、こんなの生き写しじゃない」
「は?」
「どんな魔術を使ってるか知らないけど」
「おい待て、お前まさか」
「私、幻覚なんかに騙されないんだからぁっ!」
「人を勝手に殺してんじゃねぇよっ!」
すさまじいツッコミと共に、眉間めがけてチョップがズビシィッと打ち込まれる。衝撃で星が飛んだ私は目を瞬く。額をおさえて呆然としていると、こちらの頬を挟んだ彼はジト目で覗き込んできた。
「いやぁ、残念だなぁ。生死をさまよった部下が苦労して戻ってきてみりゃ、こともあろうに幽霊扱いか? ありがたすぎて涙が出るぞ、おい」
「……え、うそ、本物?」
さすがの私も、システム仮説を疑い始めた。このラスプはあまりにも本物みが強すぎる。さっきからちゃんと触れてるし、っていうか実体がなければどうやって落ちかけた私を引き上げたというのか。
「え、えぇ……」
ごくりと喉をならした私は、ゆっくりと目の前の身体を精査するように触り始めた。耳、頬、あご、のどぼとけ――最後に胸に触れる。トクトクと指先を通じて鼓動が伝わってきた。泣きたくなるほど正確な、生きてる証。
「い、生きてるの? 幽霊とかじゃなくて? 実体?」
確認するように問いかけると、彼は少しだけ微笑んで一度頷いた。私は相変わらずポカンとしたまま口を開けている。とつぜん拍子抜けしたかのように眉を寄せたラスプは不服そうにこう言った。
「お前なぁ、ここは涙の一つも見せるところだろ、マヌケ面してねぇで」
「あ、いや、えーっと、なんか私、あなたが死んだと思ってから感情の出し方がちょっとよく分からなくなっちゃって」
あの時ラスプは私の心の半分を持っていってしまった。だからそれ以来上手く泣けなくて、感情の吐き出し方が迷子というか。
「……」
胸の内には確かな喜びが渦巻いている。だけどそれをうまく表に出せなくてもどかしくなる。苦しい、私こんな時どんな顔してたっけ? そうだ笑え、笑って「おかえり」って――
口角を上げようとした瞬間、いきなり引き寄せられ抱きしめられた。息が詰まるほど力強く背中に腕を回され密着する。頭に手をポンと置かれ、耳元で諭すような優しい声が響く
「泣けよアキラ。泣いたって誰も怒る人なんか、この国には居ないんだろ?」
「あ……」
「ただいま」
その言葉がきっかけになったのか、私の眼から大粒の涙が勝手にボロボロとあふれ出す。後から後からとめどなく、いままでため込んでいた分も全部吐き出すかのごとく止まらない。
「うぁっ……うわぁぁぁぁあああん!!」
ようやく心の半分が戻ってきた私は、その胸に飛び込んで大泣きした。
初めてこの世界に来て泣いた日のように、大声を上げて。
――おいしい……何か入れた?
――あー? ハチミツをちょっと
あの時はただ黙って隣に居るだけだったラスプは、今度は力いっぱい抱きしめてくれた。
おかえり、おかえりなさい。
私の大切なひと。