167.良かったぁ
『私、寝てた?』
目をこすりながら隣のグリを見る。厚手のコートを着込んだ死神は、思ったより浮いていないなとぼんやりする頭で思った。だけど時間が経つにつれてハッキリと覚醒してくる。パッと立ち上がった私は確かめるようにあちこちに視線を走らせた。
『えっ、ほんとに日本!? わっ! 人が居る!』
緑のダウンコートを着たお兄さんの前に回り込む。相変わらず私は半分透けている霊的存在だから気づかれはしないんだけど、スマホをのぞき込んでいる現代的な光景が懐かしくてつい興奮してしまう。
『日本、日本だ、帰ってきたんだ!』
いくら異世界生活に慣れて来たとはいえ、やっぱり私の故郷はこちらなのだ。魂だけとは言えホームに帰ってこれたのは単純に嬉しい。だけどこの光景に少しだけ違和感を覚えてしまう。
『そういえば、なんでみんな厚着してるの?』
ルカの話じゃ、あっちとこっちの時間の流れはだいぶ開きがあるって言ってなかった? 私が居なくなった半年前は暖かくなりはじめた春先のはずだったけど。電光掲示板に目を走らせた私は、タイミングよく流れて来た『十月十二日』という表記にぎょっとする。
『じゅっ……!? しっかり等倍じゃない!!』
あの男ぉ、どうしてくれんのよ! ということは、だ。こちらの私は無断で半年間も欠勤してしまったことになる。終わった……間違いなくクビになってるわ、これ。再就職がんばりましょう山野井さん。ところでこちらの半年の空白期間は何をされていたので? えぇ、ちょっとばかり異世界で魔王業を。ありがとうございました、今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。……うぉぁぁぁ! 死んだ! 日本の社会レール的に死んだわ私!
呆然と立ち尽くしていた私の肩をグリがポンと叩く。誘導するように歩き出した彼に連れられトットットと改札に向かって歩きだした。
「心配しなくても、クビにはなっていないと思うよ、たぶん」
『慰めはいらないって……』
確かにルカは私を騙していた。でもまぁ、確かに酷いことは酷いけど、見捨てるレベルではないと思うんだけど。
改札をすり抜けた私たちは、駅前の繁華街を抜けて線路沿いを歩いていく。通い慣れた通勤路はコンビニが新しく出来ていたり、空き地だったところが駐車場になっていたりして時の経過を感じさせた。ここを歩いてるってことは、やっぱり私のアパートに向かってるんだよね?
(うー、家の中どうなってるんだろう。年契約で家賃は自動引き落としだから追い出されてるってことは無いと思うんだけど、冷蔵庫の中身は確実にダメになってるだろうなぁ。転移する前に大量に買い込んだ覚えがある……)
そんなことをグルグル考えている間に到着していた。浮遊して直接三階まで侵入すると、家の扉が見えて来た。覚えてる、あの日私は立谷先輩とのデートを取り付けて、浮かれ気分でクローゼットを開けたんだ。
『み、見てきていいの? いいんだよね?』
何だか急に緊張してしまって、確認するようにグリに問いかける。伏し目がちに目を細めた彼は、ゆっくりと頷いた。ごくりと喉をならした私は一歩進み出てドアのノブに触れようとする。あ、幽体だから触れないのか。このまま突っ込めば、
ガチャリ
なんて、考えていたその瞬間、触れてもいないドアノブが向こう側から回された。
『え――』
内側に扉が勢いよく引き込まれる。中から出て来たその女性と、私は信じられない思いで対面した。
「いやぁぁああ!! なんで今日に限って目覚まし鳴らないかな! 遅れるっ、立谷先輩とのデートに遅れるぎゃぁぁあ!!」
腰までの長い黒髪、フリルのついたブラウスとロングスカート。水色のパンプスをひっかけ、転げるように飛び出していったのは
『わ……たし?』
見間違うはずもない、どこからどうみても自分自身だった。私の姿をした彼女は、廊下の手すりに突進するように掴まると身を乗り出して下に向かって話しかける。
「あぁっ、立谷先輩! ごめんなさい今起きました!」
「ははっ、だと思ったから迎えに来た。ちゃんと戸締りしたか?」
「んばぁ! そうだった」
慌ただしく引き返してきた『私』は、今度はちゃんと鍵を閉める。きちんとメイクをしておしゃれをして、心底幸せそうに頬を染めている。笑顔を浮かべた『私』は足取り軽く階段を駆け下りていった。
――チケットは持ったか?
――そっちはもちろん! もう楽しみで眠れませんでしたよ、B級グルメフェス!
――やれやれ、本当に山野井は色気より食い気だなぁ
――あ、そこが可愛いって言ってくれたの先輩じゃないですか
手すりから乗り出すと、仲睦まじげな二人が笑いながら並んで駅へと向かうのが見えた。何が起きているか分からなくて握りしめた手が震える。
『なに……どういうこと? 今の、誰? なんで私、が』
口調も、思考も、行動も、私だった。なりすましとかそういうレベルじゃなくて、あのコは私でしかなかった。これの意味するところは……
横に来たグリが私の肩に手をそっと置く。真実が、少しずつ明かされはじめる。
「『君』は最初から異世界転移なんかしていない。『山野井あきら』は半年前から変わらずこちらの世界で日常を送っていたんだよ」
『なら、私は』
いったい誰、なの。
振り仰いだ私はきっとひどく青ざめた顔をしているんだろう。こちらを見下ろした死神は、哀し気に、だけどしっかりとした声で言った。
「君は『山野井あきら』の魂をそっくりそのままコピーして作られた存在。立谷先輩に告白したあの日までの記憶を有した、あの日から分岐した、ルカによって複製された人形なんだ」
言葉が、脳に入り込んで理解してしまう。それと同時に足元がガラガラと急に崩れ落ちるようで、私はへたりとその場に座り込んだ。こちらに合わせてグリがしゃがむ。
「ルカが君を『転移の鏡』で召喚したと言ったよね、あれも嘘。あの鏡はロゴスのアーティファクトの一つで『複製鏡ゼーレ』と言う。映し込んだ対象の魂を複製することができるんだ。コピーした魂を魔導人形に入れて固定させた存在。それが君の正体」
震える両手を目の前に掲げてみる。静脈が透けているように見えるのに、人間じゃない、私はヒトですらなかった。ここに居るのは造られた存在。頭の中でグルグルとそんな考えが回る最中、私は無理に口角をあげた。
『よ、良かったぁ』
「?」
『つまり、私が居なくなって哀しんでる人は、最初から居なかったって、ことだよね』
笑えているだろうか、もしかしたらまた笑っているつもりだけなのかもしれない。だけど、この空気は耐えられなかった。だって私にシリアスな雰囲気とか似合わない、し。あぁでも、その私のキャラっていうのも、あそこで笑っていたオリジナルの物であって、
胸が痛い。張り裂けそうな心を抑え込みながら私は無理やり言葉を絞り出した。
『なぁんだ、そうだったんだ……泣いてる人なんか、誰も居なかったんだ』
「……」
苦しい、悲しい、なんで私が? どうして私じゃなきゃいけなかったの? 複製したのなら、あっちの身体に入ってる方を連れて行ってくれても良かったのに。
偽物だ、私はニセモノだったんだ。
「ごめん、俺にも責任がある」
グリは沈んだような声で話し始めた。そもそも、どうして山野井あきらと言う人間が選ばれたのかを。
病気で亡くなったアキュイラ様の記憶をそそぐには、受け皿となる身体と魂が必要になる。
どうせなら『完璧なアキュイラ様を作ろう』と決意したルカは、異世界の対となるドッペルゲンガーをコピーして連れてこようと目論んだらしい。そこから少しずつ記憶を投与し、すり替えていくのが計画だったと。
「アキュイラを失ったルカは半狂乱だったよ。表向きは冷静だったけど、彼女をよみがえらせる為なら悪魔にでも魂を売るぐらいの気迫だった」