165.今宵、君の魂を刈りに来た
こうやって横になってどのぐらいの時間が経ったんだろう。明かりも点けない室内は薄暗く、胸元に抱えた手首ちゃんがいつの間にかぼんやりとしたシルエットになっていた。
丸一日引きこもっていたのに誰も何も言ってこない。長旅から帰ってきた私を気づかってくれているんだろうか。指先一つ動かすのすらだるくて、まるで自分が砂を詰め込んだ重たい皮袋になってしまったかのようだ。
「……」
起きて、行動しなければと思うほど砂が詰め込まれていく。いやに鼓動がドクドクして熱い。水ですら喉元をつかえて通らない……。
(わたし、どうしよう。こんな状態で)
まんじりともしない内にどんどん時間だけが過ぎていく。眠れ、眠れ、今日一日無駄にしてしまっただけでも痛手なのに、これ以上みんなに迷惑かけてどうするの。せめて明日からはしっかりしないと!
(いやだ……)
こんな時、いつも余裕の笑みで導いてくれたルカがいない。優しく頭を撫でてくれたラスプがいない。立てない、私ひとりじゃ何にもできない。ぎゅっと手首ちゃんを抱え込んだその時、控えめに扉をノックする音が響いた。
「!」
ハッとして上体を起こし、飛びつくように鍵を開ける。扉を引いた先にいたのは、こんな暗闇の中でもぼんやりと白く浮かび上がる死神だった。しばらく私たちは見つめ合ったまま静止する。
「ごめん、俺で」
申し訳なさそうな声に、無意識の内に落胆の色を顔に出した自分が嫌になる。ごめんはこっちなのに……気まずい雰囲気をごまかしたくて私は無理やり声のトーンを上げて笑みを作った。
「どうしたの? こんな時間に」
こちらをじっと見降ろしていたグリは、唐突に妙な事を言い出した。
「もしかして、笑ってる?」
「え?」
何を言い出すのかと思ったけど、彼が指す鏡台を見た私は固まった。自分では口角を上げているつもりだった、だけど鏡の中の私は少しも笑っていない虚ろな無表情でこちらを見返していたのだ。
「……」
「食事を持ってきた。もうエーリカからの魔力供給も受けられないんだから」
あえてそれには触れず、グリは皿を差し出してくる。色鮮やかなサンドイッチなのに、まるで紙粘土でも見ているような気分だ。ぜんぜんおいしくなさそう。
「あきらは食物から魔力を補うタイプみたいだから。少しでも食べて補給しないと」
震える手で取って一口含むのだけど、パンとチーズの香りがふわっと鼻から抜けた瞬間、ものすごい勢いで喉が呑み下すことを拒否した。投げ捨てるように皿に戻し、口元を抑えて膝から崩れ落ちる。
「うっ、ぐっ、おぇぇ」
喉から胃を全部ひっくり返したみたいだ。胃酸まで全部吐き出した私は涙目でケホケホと噎せながら肩で息をする。ツンと酸っぱい臭いにまた戻しそうになった。
「わたし、なんで、こんな」
恥ずかしいやら情けないやらで顔が上げられない。グリはどこか悲しげな声で頭上から言葉を降らせてきた。
「元から食欲旺盛だったとは言え、こっちの世界に来てから君が食べていた量は明らかに異常だよ、自分の体積より多い量を胃に詰め込んでるのに平然とした顔をしている。気づかなかった?」
屈んだグリがお皿を差し出す。見ただけでも吐き気がこみ上げてきて慌てて目を逸らした。
「吐いてでも食べなきゃ。収支のバランスが取れていない。足りてないんだ」
「だって、私、そんな魔力を使うようなことなんて何も……」
「いいや、君は生きていくだけで大量の魔力を消費している」
言ってる意味が分からなくて、顔を上げた私は説明を待つ。複雑な表情でこちらを見降ろしていたグリはふぅっと重たいため息をついた。閉じていた目を急に開くと、銀色の瞳に燐光が宿る。
「決めた」
「えっ」
こちらの手首をつかんで立ち上がらせた彼は、そのままグイグイと引っ張っていく。
「ちょっとグリ? 何――うわっ」
ベッドに投げ出された私はぎょっとする。上に圧し掛かってきたグリが真剣な顔をしてこちらの肩を縫い留めたのだ。
「な、なにっ」
馬乗りになった彼は右手をまっすぐに横に伸ばす。白い光が収束し、次の瞬間その手には巨大な鎌が握られていた。暗い部屋の中で神々しいほど光る彼と鎌から目が離せない。風圧を感じた時にはもう、私の首筋に鋭い刃があてがわれていた。状況を理解すると同時に冷たい汗がどっと噴き出て来る。
「ひっ……」
「さっき、何しに来たかって聞いたよね」
突然の展開にわけが分からなくて、微かに震えることしかできない。儚げな美しさを持った死神は、はっきりと通る声で宣言した。
「答えよう。今宵、君の魂を刈りに来た」
グッと鎌の柄を握りこんだのが振動で伝わって来る。本気だと言うことも。
「あきら、一緒に逝こう」
「ひっ、いやあああ!!!」
ザウッ! と、自分の首に食い込んだ刃が一直線に引き抜かれる感覚がする。ギロチンって痛みを感じる暇もないくらい一瞬だって言うけど、鎌でも同じなんだと最後の瞬間に思った。
……。
…………。
最後? あれ?
いつ意識が途切れるのかと思っていたけど、ぎゅっとつむった目は相変わらず感覚があるし、上からどいたグリの衣擦れの音も聞こえる。おそるおそる目を開いた私は、普通に部屋の中が見えることに安堵して、そして同時に拍子抜けした。
『なによ、何のつもり? 脅かしたところで――』
上体を起こした私は言葉を止める。いつの間にか隣に小さな女の子が寝ていたのだ。手首ちゃんの傍で丸くなっている幼女はアッシュグレーの髪の毛をおかっぱにした可愛い子だった。真っ白なワンピースを着て全身が淡く光り輝いている。
誰? と、手を伸ばそうとしたところでようやく気付いた。私、手が透けてる……。嫌な予感がしておそるおそる振り向いた私は近年まれにみる奇声を発した。
『ほげえええええええ!!』
「あ、久しぶりの汚い悲鳴」
何だか失礼なことをぼやくグリを横に、私は完全にパニックに陥っていた。だだだ、だって私が、自分の体がそこに横たわっている。これは俗にいうアレでは!? ほら!
スンッと冷静になった私は、もう一度寝てから両手を前に伸ばしつつ上体を起こした。
『ゆーたいりだつ~』
「案外余裕?」
『んなわけないでしょっ!!』
ズビシッとツッコミを入れる。この世界に来て知ったけど、私ってば心底混乱するとノリツッコミをして冷静さを取り戻そうとするクセがあるらしい。とにかく一呼吸置くことには成功したので改めて慌てる。
『どっ、どうしよう、わたし死っ、死んっ……』
「落ち着いて、生きてるよ」
『え?』
言われてよく見ると、確かに横たわっている私の体の胸元は微かに上下していた。耳を近づけると穏やかな呼吸音も聞こえたので寝ているだけらしい。
「一時的に切り離しただけだよ。寝不足みたいだし、肉体は寝かせてあげよう」
『グ~リ~~?』
恨みがましい目で睨みつけても、天然な死神さんはきょとん顔でこちらを見つめている。私はその襟元を掴んで前後に激しく揺さぶった。
『あんな不穏な空気出さなくてもいいでしょ! まぎらわしいのよっ』
「ごめん」
どうやら怒りの感情は生きていたらしい。つまり、今の私は幽体に近い状態ってわけ?
『ってことは、この子は』
「エーリカだよ。もうずっと寝てるけどね」
そうか、この子が……そっと手を伸ばして頭を撫でるとサラサラとした指通りが心地よかった。対になる存在だと言うぐらいだし、言われてみればちっちゃい頃の私とちょっと似てる、かも。
「さぁ行こう、あんまり長時間肉体から抜け出してると良くないから急ぐよ」