160.時を越えて
その頃から、平和だった島に急に侵入者がやってくるようになった。オレの采配ミスで、北の海岸線で戦った三人が死んだ。オレが許可を出した工事で、五人が死んだ。今日は二人。今日は小さな子も含めた七人……来る日も来る日も、そんな報告ばかり聞かされた。
なぁ、オレはどうすればよかったんだろう。死ぬ勇気もなくて、明日が来るのがただただ怖かった。重責がこのままオレを押し潰して跡形もなく消してくれればいいのにって、眠れない夜に何度も願った。どうしてオレなんかが生き残ったんだろう、あの時、本当に生き残るべきなのは親父たちの方だったのに。誰にも頼れなくて。泣くことも許されなくて。
そんなある日、アキュイラが島にやってきたんだ。魔族連合軍の話し合いとかで来たんだけど、オレはロクに挨拶も返さずボーっと玉座に座っていた。その時にはもう、叔父のサイゲツが政治のほとんどをやってくれていたから。
そんな状態のオレを見かねたのかもな、アキュイラが「この子を引き取って自分の元で学ばせたい」と、サイゲツに申し出たんだ。話はトントン拍子で進んだよ、一も二もなく飛びついたオレはさっさと皇帝代理の座を叔父に託して、留学という形でこの島を後にした。シュカも自分が守るべき民も置き去りにして……
***
話の合間に灯した焚火が、パチパチと爆ぜながら揺らめいている。くっきりと濃い陰影が洞窟の壁に映し出される中、私は腿に置いた両手の拳をひたすら握りしめていた。
「なぁ、アキラ。こんなオレを軽蔑するか?」
俯いて自嘲するラスプは自らの心にナイフを突き立てていた。いつかと同じように、まるでそうでもしなければ赦さないとでも言わんばかりに。
「弱くてごめん、オレもお前みたいになりたかった。お前の事が好きだって言ったのも、堂々と人の上に立つ姿に憧れていただけなのかもしれない」
もう、限界だった。私はできるだけ冷静に話そうと深呼吸してから口を開く。
「逃げちゃいけないなんて、誰が決めたの?」
それまで俯いていた赤い髪が、ピクリと反応する。言葉よ、届け。想いの丈を丸ごと息に乗せたくて、私は胸を握りしめた。ここにつかえている感情を一つでも多く声に変えるんだ。でなければ、胸が張り裂けてしまいそう。
「全部つらくて、死んでしまいたいって思うほどの状況から逃げるのなんて当たり前だよ。誰がそれを咎めるの?」
言葉なんて感情の下位互換だ。こんなんじゃ全然足りなくて、もどかしくなる。私は息をするのすら惜しくて、矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「逃げ出した先で見つかることだってあるでしょ、その時の選択があるから今のラスプがある。逃げたからこそ、アキュイラ様に、ルカたちに、ハーツイーズのみんなに……なにより私と会えたんだよ? 私はあなたと出会えたことを後悔なんてしたことない、だったら私は自分自身を守ったコウ君に感謝したいよ!」
感情が高ぶって視界が潤みだす。驚いたようにこちらを見つめるラスプの赤い瞳を逃さない。キッと眉尻を上げた私は不満をぶちまけた。
「とにかく、私の好きな人をクズ呼ばわりするのはやめて、たとえ本人だとしてもそんな事言うのは絶対に許さないから!」
「は、はぁっ!?」
一度堰を切った感情は止まらない。すっとんきょうな声を出すラスプにもお構いなしに、私は先ほどからくすぶり始めていた怒りに油を注ぎこんで加速させていった。
「っていうか何よその話! 全部サイゲツのオヤジが悪いんじゃないっ、右も左も分からない初心者に最初から重責負わせるなんて、そんなパワハラ日本だったらネットの槍玉にあげられて大炎上してるわよ!!」
「ねっ……? なに? おい泣くな、なんでお前が泣く」
もうその頃になると悔しさと悲しさと怒りで感情がミックスジュース状態になっていて、うまく飲み干せない私は、なぜか当の本人よりもわぁわぁ泣いていた。
「ひどい、ひどいよ、そんな話って、ある? 泣いてよラスプ、泣いたって誰も怒る人なんか、ハーツイーズには居ないんだから、ひっく、ひっぐ、おぇ」
「わかった、わかったから泣き止め。えづくな」
垂れてきた鼻水をずずっとすすり、私は涙をぬぐってくれていたラスプの手首をしっかりと捕まえた。
「あなたは悪くない。一ミリも悪くない。他の誰がなんと言おうとも私が全部赦す! もしご両親が生きていたとしたら絶対に同じことを言うはず、その証拠にほら」
「!?」
戸惑って疑問符を浮かべているラスプの上着に手を突っ込む。内ポケットのファスナーを開けて、中の紙をひっぱり出した私は、四つ折りになっているそれを手渡した。
「お母様の美術室で見つけたの。勝手に持ってきたらマズいかとも思ったんだけど、明らかにあなた向けのメッセージだったから」
震える手で紙を広げたラスプが、目を見開く。そこには満面の笑みを浮かべたコウゲツ皇子のスケッチと共に短い一文が書かれていた。
“あなたが選びとってきた道は 決して間違いではない”
本当に短い、子供を信頼しきっているからこその短いメッセージだった。長い歳月を経てようやく届いた想いは、見る間に赤い瞳を潤ませていった。私は微笑んでそれを見守る。外は寒いはずなのに、胸の中にぽっかりと暖かい火を灯されたみたいだった。
***
「この期に及んで恥ずかしがることもないでしょ。胸でも貸してあげようか?」
しばらくして、からかうようにほらほらと両手を広げる。うつむいてしまった彼がいつもの調子に戻るタイミングを探していると思ったからだ。案の定、覆った腕の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
「……るせぇ、ンなガキみてぇなことできるか」
「まったく、強がりなんだから」
なぐさめるようによしよしと頭を撫でる。さっきまでコウゲツの話を聞いていたからかな、私はそこで膝を抱えているのが小さな男の子のような気がしていたのだ。
「好きな人って、どういう意味」
だからこそ、急に問いかけられて手が止まった。本当にもう、みぞおちにボディーブローでも喰らったかのような衝撃だった。す、好きな人? そういえばさっき、話の流れでそんなこと言ったような気がするようなしないような……。
――私の好きな人をクズ呼ばわりするのはやめて
いいい、いや、でもあれは友愛って意味の好きだし、ライムとか手首ちゃんに対するライクと同じような意味だってそうだってば。
「それはその、もちろん大切な仲間だからに決まって、私たち幹部はもう家族みたいなものだし、それをバカにするやつは許さないわよー、って」
いつの間に泣き止んだのか、ラスプは膝を抱えた体勢から少しだけ顔を上げてこちらを見ていた。髪をくしゃりと掴んで伺うような視線を向けている。頬が赤く見えるのは何も焚火のせいだけではないだろう。
スッと伸ばされた左手が私の頬に触れる。ビクッとしながらも嫌な感じはしなかった。むしろ触れられたところから熱が伝わっていくようで、心地よささえ感じる。ふと正面を見ると、真剣なまなざしとぶつかる。あ、あれ、ラスプってこんなにカッコよかったっけ? 吊り橋効果? そんな失礼な事を考えながらも見とれていると、さらなる爆弾が私の心臓に投げ込まれた。
「アキラ、例の返事、聞けていない」
ここで!? 一気に熱の上がった私は不明瞭にうめきながらせわしなく手を動かした。
「えと、その……う、うぅー……」
気まずくて視線を逸らしながら空中に浮かせていた手を下ろしていく。一つ息をついた私は、覚悟を決めた。
「イヤ」
「え」