158.バカにしてるの?
「武力に長けた人狼さんたちと力を合わせれば、勇者不在の人間国などきっとひねり潰せましょう。実のところ私は今回の件で人間側にすっかり愛想がつきたのです、やはり魔族がこの世界を統治すべき! そう考えを改めたのでございます」
うわぁ、我ながら舌がよく回る回る。ルカにちょっと似てきたかも……。よしよし、それじゃあここからはウチの国と組むメリットを、私の巧みな話術で売り込みつつゴーゴー!
「勝機はあります、ドワーフ島と共同開発した秘密兵器が――」
「よろしい、それではすぐにでも同盟を結ぼうではないか」
「へっ?」
今度のまぬけ声は素で出たものだった。え、そんなチョロくていいの? 虚を突かれて演算フリーズ中の私の前に、調印用の机と何かの巻紙が運ばれてくる。インク壺と羽根ペンもセットだ。薄く笑いを浮かべた皇帝代理は、余裕をにじませる声で言い放った。
「同盟の内容は昨夜こちらで取りまとめておいた。あとはサインするだけでよい。さすれば有事の際には我らが駆け付け、そちらからの避難民もこの島に受け入れようではないか」
嫌な予感がしながら、おそるおそる巻紙を広げて見る。そこに書かれていた内容に私は目を見開いた。
「こんなの……」
「不満かね?」
「受け入れられるわけないじゃないですか!」
冷静さを欠いて書面からバッと顔を上げる。サイゲツ皇帝代理が出した条件、それは冗談でも笑えないような物だった。
まず貴族階級の制定。うちの国でライカンスロープ族は上級貴族として扱えというとんでもない内容。また有事の際、この島に避難民を受け入れる時はどんな扱いをされようと文句は言わない事。それこそ、気まぐれに噛み殺されたとしても。
「っ、波風を立てたくはありません。これは悪い冗談だとして見なかったことにします」
さすがにこれだけ舐めた条件を突き付けられてヘラヘラと笑ってはいられない。怒りをなんとか呑み込み、毅然とした態度で書面を裏返しにして机に伏せる。
「従わないと言うのかね?」
「交渉の場で『従わせる』つもりですか?」
たとえ形だけの同盟だとしても、こんなものを持ち帰ってはみんなに合わせる顔がない。冷ややかに言い返すと、皇帝代理は急に立ち上がり両手を広げた。
「ならば仕方ない、交渉決裂ということで魔王殿にはお引き取り願おう――が、その前に罪人を捕らえろ!」
「!?」
壇上のシュカさんが合図を出すと、背後の扉からたくさんの者がなだれ込んでくる。ヨロイを付けた兵士と、その倍は居るであろう赤い狼たちがあっというまに私たちを取り囲んだ。
「な、何事!? ぎゃわ!」
槍の先端を突きつけられて、ピッと跳び上がる。背中合わせのラスプも緊張したように低く構えたようだ。おおお落ち着け! 早鐘を打つ心臓を抑えながら、私は壇上の二人をキッとにらみ付けた。
「誰が罪人……っ、侮辱するのもいい加減にしてください!」
「ほう、その様子では何も知らないようだな」
「だから何の話!」
「アキラ、待――」
うろたえたラスプが私の腕に手を掛けて止めようとする。だけど話の流れは止まらなかった。
「では、教えてやろう」
ニヤニヤ笑いを浮かべたままのサイゲツは、まっすぐに伸ばした指をピタリとラスプに当てる。勝ち誇ったような声が静まり返る玉座に響いた。
「その男は、センゲツ帝とスオミ妃を殺した張本人なのだよ」
私は信じられない思いで振り返る。ラスプが、両親を?
「コウ、お前が居ぬ間に法が改正された」
まずい、この状況は……。青ざめたラスプの傍に寄り、私は怯えてしがみつく。ように見せかけてそっと耳打ちをした。
(ラスプ)
「皇族を殺した者は、問答無用ォォォッで!」
サイゲツの声高な宣言が続く中、私はポケットの中に手を滑らせてビー玉ほどの球を握りこむ。場の緊張が最高に高まった瞬間、皇帝代理の怒号が爆ぜた。
「死刑だぁ! 捕まえろ!!」
(目閉じて、息止めて!)
兵士たちが一斉に飛びかかって来た瞬間、私は護身用魔導球を足元に向かって思いきり叩きつけた。すぐさまライム特製の催涙弾が爆発し、まぶたを閉じていても分かる白い閃光と爆竹が次々と連鎖を始め――いや強化しすぎ!
「っ、」
ギュッとつむった視界の中で、腰を引き寄せられグンッと動く感覚がする。何かを蹴り飛ばすような音と悲鳴と怒号が、耳を押さえた手の隙間から入って来る。まるでジェットコースターに乗っているかのように上下左右に揺さぶられた後、そっと目を開けるといつの間にか抱えられたまま長い回廊を疾走していた。すれ違う女中さんたちが悲鳴を上げながら両脇に避けていく。
――追えぇぇ、逃がすな!
振り向くと、玉座の間からは白いケムリが流れ出し、ヨレヨレになった兵士が這い出てくる。嗅覚と聴覚に優れたライカンスロープ族だからこそ、さっきの閃光弾は格段に効いたみたいだ。
「ラスプ! 抜け出した、私も走るから下ろして!」
「っぶはぁ!」
腕を叩いて合図すると詰めていた息を吐き出したラスプは目をかっぴらく。走ると言ったのに、彼は私を小脇に抱えたまま走り続けた。昨日の離れまでくるとようやく下ろしてくれる。
「荷物、取ってこい、オレちょっと耳、おかしい」
「わかった!」
駆け出した私は入り口付近にまとめておいた二人分の荷物をひっつかんで引き返す。扉を開けるとラスプは巨大な狼形態に変化していた。赤い毛がぶわりと雪風になびく。
「乗れ!」
慌ててリュックを前後にかけ、飛びつくようにその背に乗る。首に手を回そうとした時、視界の端で弓に矢をつがえる兵士の姿が目に入った。キリキリと引き絞られる弓はピタリとこちらに向けられている。
「あ――避けて!」
この局面だと言うのに私は失念していた。耳をやられたと言っていたのに、とっさに声でしか警告できなかったのだ。ビュッと弓なりの音が響き、ブツッと嫌な音が響く。またがっている身体が一度大きく跳ねた。
「ラ……スプ」
おそるおそる振り返ると、右の後ろ脚に矢が突き刺さっていた。状況を理解するよりも早く、周囲にブスブスッと矢の雨が降り始める。
「わっ!!」
いきなりラスプは走り始めた。塀の前まで来ると深く踏み込み、軽々と跳躍して乗り越える。着地の際、一度ガクッと崩れかけたけど何とか踏ん張って雪原を走り始めた。
「ラスプ! 止まって、矢が!!」
「しっかり掴まってろ!」
「どこへ行くの!?」
顔に当たる雪を拭うこともできずに叫ぶ。早く矢を抜いて手当しないといけないのに――っ
耳が聞こえなくてもこちらが止めようとしているのは分かったらしい。ラスプは荒く苦しそうな呼吸の中で叫ぶように言った。
「まだこの国に来た目的を果たしてないだろうが!」
ハッとして目の前を見上げる。そこにはそびえたつ霊峰が私たちを呑み込もうと待ち構えていた。
「舌噛むぞ、黙ってろ!」
荷物になるしかできない私は、せめて振り落とされまいと目の前の体に必死にしがみ付く。じわりとにじんだ涙が風にさらわれ吹っ飛んでいく。冷たい雪が吹き付ける中、地獄のような逃走劇が始まった。